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  • 木曽川・飛騨川の筏流しと人びと

    「ふるさと岐阜の歴史をさぐる」No.24 木曽川・飛騨川の筏(いかだ)流しと人々 はじめに 木材の需要が増加したのは平野部の河川流域や海岸近くに都市が成立した中世以降で、山地から木材を運ぶ「筏(いかだ)流し」も、中世都市の発展とともに全国的に広まりました。そして、少しの労力で木材を大量に運ぼうとし、人々は「筏(いかだ)組み」「筏(いかだ)流し」の方法を考案したのでしょう。 江戸時代になると、城下町と並んで宿場町や門前町などの発達にともない、ますます木材の需要が増えました。そして木材の流送が全国各河川で活発に行われ、それと共に「筏(いかだ)組み」「筏(いかだ)流し」に従事する筏(いかだ)師の活躍が各地でも見られるようになりました。 そんな「筏(いかだ)組み」「筏(いかだ)流し」で、最も盛んだった河川の一つが木曽川・飛騨川であり、その主人公は信濃と美濃の人々だったのです。 1.木曽の山々と木曽

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