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ブックマーク / okiron.net (4)

  • 荒唐無稽な「敵基地攻撃」論 | OKIRON

    ウクライナ戦争と国連「軍縮アジェンダ」 ウクライナ戦争を奇貨として日政府は、戦後の防衛政策の大転換となる「敵基地攻撃能力」の保持に踏みだし、今後5年間で防衛費に43兆円もの巨費を投入するという防衛力整備計画を打ち上げた。しかし、こうした大軍拡の方針は、ウクライナ戦争から誤った結論を導き出したと言わざるを得ない。この戦争歴史的な背景については無数の論争が交わされているが、概ね二つの見方に分けることができるであろう。一つは、ロシア帝国の再現を夢想するプーチンの野望の現れとする見方であり、二つは、侵略を批判しながらも米国主導の「NATOの東方拡大」がプーチンを追い込んだとする見方である。おそらく現実は、これら二つの要素が複雑に交錯して戦争が展開されているのであろう。 ただ、こうしたロシアウクライナ問題の専門的な見地を離れて捉え直してみるならば、問題の質を鋭く抉りだすのが、「無秩序で際限な

    荒唐無稽な「敵基地攻撃」論 | OKIRON
  • 「記録する闘い」~DHC『ニュース女子』一審判決を取材して | OKIRON

    1965年生まれ 早稲田大学第一文学部卒、1987年MBS入社、テレビ報道記者として教育などをテーマに取材。2015年よりドキュメンタリー番組を担当。『映像’15 なぜペンをとるのか~沖縄の新聞記者たち』(2015 年 9 月) で第 59 回日ジャーナリスト会議(JCJ)賞、『映像’17 沖縄 さまよう木霊~基地反対運動の素 顔』(2017 年 1 月)で平成 29 年民間放送連盟賞テレビ報道部門優秀賞など。『映像’17 教育と愛国~教科書でいま何が起きて いるのか』(2017 年 7 月)で第 55 回ギャラクシー賞テレビ部門大賞など。『映像’18 バッシング~その発信源の背後に何が』で第 39 回「地方の時代」映像祭優 秀賞など。著書に『教育と愛国~誰が教室を窒息さ せるのか』(岩波書店)、近著に『何が記者を殺すのか 大阪発ドキュメンタリーの現場から』(集英社新書) 勝訴なのに、哀

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  • 問われる「辺野古」の存在意義 | OKIRON

    1967年東京生まれ。毎日新聞西部報道部在籍中の2005年から沖縄を取材。「琉球の星条旗 『普天間』は終わらない」(毎日新聞政治部著)の執筆に関わり、水戸支局次長、政治部副部長、佐賀支局長、オピニオングループ編集委員などを務めた。 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設工事を防衛省が11月1日、再開した。 沖縄県による辺野古埋め立て承認撤回の執行停止を国土交通省に申し立て、認められていた。 「普天間の危険性除去の早期実現が困難になり、日米同盟関係に悪影響を及ぼしかねない」(石井啓一国交相)からだという。しかし、政府が辺野古埋め立てに着工してから初めてとなった9月の県知事選で「辺野古に新しい基地を造らせない」と訴えた玉城デニー知事が当選したことは、政府が工事を進めても止めることをあきらめない民意を示している。県民に歓迎されない基地の新設は、むしろ日米同盟の抑止力を損ねる。安

    問われる「辺野古」の存在意義 | OKIRON
    quick_past
    quick_past 2018/11/01
    世界の歴史を見ればこうした締め付けや切断の中から、急進的分離主義が生まれ、不安分子化していったのだと思う。
  • 「本土」が分断を生んだ | OKIRON

    1968年兵庫県生まれ。関西大学工学部卒。毎日新聞、沖縄タイムス記者を経てフリー。著書に『「アメとムチ」の構図』『日はなぜ米軍をもてなすのか』など、共著に『普天間・辺野古 歪められた二〇年』など。 政権が推す佐喜真淳氏と翁長雄志前知事の遺志を継ぐ玉城デニー氏が激突した沖縄県知事選。「分断」の芽は沖縄内部にあるのではなく、沖縄と土の間にある。 たった一人で陳情活動 「この成果を沖縄の有権者に届けたい」 知事選投開票5日前の9月25日。東京都小金井市在住の米須清真さん(30)は、自身が提案した陳情が同市議会で採択された瞬間、出身地の沖縄に思いをはせた。 陳情は、辺野古新基地建設を中止し、米軍普天間飛行場の代替施設建設地は沖縄以外の全自治体を対象に再検討するよう政府に求める内容だ。 米須さんは、新基地建設が止められない状況を目の当たりにし、沖縄の人たちの間に政治への脱力感が広がっている、と感

    「本土」が分断を生んだ | OKIRON
    quick_past
    quick_past 2018/09/30
    まず本土の「本」、本州の「本」ってなんだよっていう。中央に近いほどなにか当然の意味が乗っかるのって、それこそ中華思想そのものではないのかと
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