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ブックマーク / brighthelmer.hatenablog.com (13)

  • 結局は「制度」が大切なのだ、という話 - 擬似環境の向こう側

    いまから20年以上前、英国のホームレス報道ついて分析した論文で、以下のような指摘がなされている。 よりリベラルであったり、ホームレスに対して同情的なアプローチに立脚する一部のメディアは、その他のメディアに劣らずステレオタイプに依拠している。公衆の一般的な態度を反映して、それらのメディアは以下の事実を認めることに困難を覚えてしまう。その事実とは、ホームレスである人物が好ましくない人物であると同時に、支援を必要としている人物でありうるという事実、多くのお金を飲酒、またはドラッグに費やしすぎると当時に十分にべられるだけの支援にも値しうるという事実、部分的には自分自身の行為のせいで最後の家を失ったものの、いままさに頭上に屋根を必要としているという事実である。 (出典)Platt, S. (1999) ‘Home truths: media representations of homelessn

    結局は「制度」が大切なのだ、という話 - 擬似環境の向こう側
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    rAdio 2021/04/14
  • 「弱者男性」をめぐる境界線 - 擬似環境の向こう側

    さいきん、ネットでよく「弱者男性」にかんする主張を目にするようになった。フェミニズム運動が活発化するなかで、「男性」と一括りにされ、「権力をもつ側」に位置づけられることに対する反発だと言えるのではないかと思う。この問題については、以前にもこのブログで書いたことがある。 「虐げる側の男性」と「虐げられる側の女性」という対立図式では、男性のなかでも虐げられている集団が見えなくなってしまう、という問題意識がそこにはある。そこから、フェミニズムを支持する人びとに対するさまざまな批判が展開されている。 政治的、社会的な対立が発生した場合、重要なのは「どこに境界線を引くか」である。かつてのように労働運動が華やかなりしころであれば、その境界線はまず「資」対「労働者」との間に引かれるものであり、その境目はそれなりに明確であった(企業内労組等々の話はややこしくなるので、ここでは省略)。 ところが、労働運動

    「弱者男性」をめぐる境界線 - 擬似環境の向こう側
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    rAdio 2021/04/09
    「モテ」の連中の「正しさ」を問い詰め、そのモテ性を「ひっぺがす」必要がある。
  • ネット上で社会学者の評判はなぜ悪いのか - 擬似環境の向こう側

    こんなタイトルのエントリを書くというのは、正直、悩ましい。 というのも、ぼくは社会学の正規教育は受けておらず、自分が社会学者だとはちょっと名乗れないからだ(制度的な理由で学位は「法学」だ)。 とはいえ、社会学部に勤務しているのは確かだし、社会学的なものに親しみもある。以下の文章は、あくまでそういう中途半端な立ち位置から書かれた「個人の感想」だということをまずは述べておきたい。 ネット上での社会学の評判はよくない。大変によくない。 実のところ、ネット上で積極的に発言をしている社会学者の数はさほど多くないと思うのだが、通常は社会学者だとはカテゴライズされない人も、「政治社会に関する発言をしており、かつ多くの人びとから反発を買っている人文社会系の学者」は「社会学者」とみなされてしまうことが結構ある。 それではなぜ、ネット上で社会学者はこんなにも嫌われるのだろうか。 社会学者が嫌いな人からは当然、

    ネット上で社会学者の評判はなぜ悪いのか - 擬似環境の向こう側
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    rAdio 2020/02/27
    自らの学術的な行動が、まさにその対象に影響を与え、ひいては自らの立場をも揺るがすことすらあり得るということへの想像力の欠如があるというか、そういう学問なんだからもっとロジック整えれば良いのに、とは。
  • リベラルなナショナリストに勝ち目はあるか - 擬似環境の向こう側

    前回のエントリが意外なことに結構多くのブックマークを集めた。ブックマークのなかには「リベラル・ナショナリズム」について言及しているものもある。そこで、このエントリではリベラルなナショナリズムを取り上げてみたい。 …のだが、まずはぼくの個人的な体験談から。 あれはぼくがまだ大学院生だったころの話。友人と飲み会のあり方について議論をしていたときのことだ。ぼくは以前のエントリでも書いたように、アルコールに弱いこともあり、一気飲みなどで盛り上がるのが好きではない。たとえそれほど盛り上がらなくても、個々人が好きなように飲めば良いではないかという立場だ。それに対して友人は、飲み会で重要なのは場のノリなのであって、そういう空気を乱す行為は良くないと主張していた。 そこでぼくが思ったのは、思想の左右と集団主義的な思考というのはあまり関係ないのではないかということだ。というのも、思想的に見ればその友人はぼく

    リベラルなナショナリストに勝ち目はあるか - 擬似環境の向こう側
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    rAdio 2018/10/07
  • リベラルのことばが届かない - 擬似環境の向こう側

    ネット上では「サヨク」や「リベラル」を嘲笑し、罵倒する言葉に溢れている。 そもそも、誰が「サヨク」で誰が「リベラル」なのか、いまいちはっきりしないのだが、たとえば『朝日新聞』でよく見るような意見の持ち主を指すと考えていいんじゃないかと思う。護憲、歴史修正主義に反対、国際的融和の重視、反ナショナリズムといった主張がそれにあたる。他方で、格差や貧困の是正や社会保障の拡充などは典型的な左翼的主張だとも言えるが、この点についてはそれほど批判されない。 いずれにせよ、ここではそうしたリベラルの「ことば」が届かないという事態について考えてみたい。まず、12月25日の『朝日新聞』に掲載された星野智幸さんの論説を一部紹介しておこう。 それにしても、不思議に思う。あれほど政治や社会を熱く語ることを毛嫌いし、冷淡だった人たちが、今にしてなぜ、こうもナショナリズムに入れ込んでしまうのか。(中略) ナショナリズム

    リベラルのことばが届かない - 擬似環境の向こう側
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    rAdio 2018/10/07
  • オリンピックとナショナリズム - 擬似環境の向こう側

    「羽生選手すごい」と「日人すごい」 オリンピックでたびたび話題になるのが、ナショナリズムの問題だ。国家の代表同士が競い合うのだから、応援をしているだけでも他国にたいするライバル意識は高まる。「国民」としての意識も持ちやすくなる。 先日、ジャーナリストの江川紹子さんによる以下のツイートが話題になった。 テレビの人へ。「日人スゴイ!」じゃなくて、「羽生選手すごい! 宇野選手すごい!」だから。— Shoko Egawa (@amneris84) 2018年2月16日 現時点で6000以上の「いいね」がつく一方、ぶら下がっているリプライを見ると批判的なコメントがすこぶる多い。 まず言っておくと、ぼくのなかには江川さんのツイートに共感する部分がある。 「羽生選手すごい、宇野選手すごい」から「日人すごい」への飛躍からは、自分の手柄でもないことを横取りするような、そんな感じもするからだ。こういった

    オリンピックとナショナリズム - 擬似環境の向こう側
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    rAdio 2018/02/22
    オリンピックに限らず、祝祭というものは全て、日常生活の安寧を脅かすし、自らの矮小さを突き付けてくるから嫌いだ。
  • 弱者男性問題について考える - 擬似環境の向こう側

    ここ数年来、ネットでよく目にするのが「キモくてカネのないおっさん」にまつわる問題である*1。 ぼくなりに解釈すれば、「女性であること」や「外国籍であること」にまつわる問題はマスメディアやネットでもさかんに論じられる一方、外見や所得、性的パートナーの面で困難を抱える男性の問題は無視されてきたという意識に起因しているのではないかと思う。 この問題についてはすでに様々な人が意見を述べていて、たとえば男性だという点ですでに社会的には強者なのだから、「男性であること」に起因する問題など存在しないという立場もありうる。 ただ、ぼくはそういう立場はとらない。以下のエントリでは、性的パートナーの問題は措いて*2、とりあえず「社会問題」の提起という観点から、弱者男性の問題について考えてみたい。 「社会問題」の提起における弱者男性問題 このブログで何度も指摘してきた通り、社会問題や事件などにおいて、世間の同情

    弱者男性問題について考える - 擬似環境の向こう側
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    rAdio 2017/07/29
  • ネットでのヘイトスピーチに関する取材手法について - 擬似環境の向こう側

    在日コリアンの方々に罵詈雑言を投げつけていた男性に関する記事が話題になっている。これだ(記事タイトルを一部改変)。 ネットでヘイトスピーチを垂れ流し続ける中年ネトウヨの正体【前編】 ネットでヘイトスピーチを垂れ流し続ける中年ネトウヨの正体【後編】 力作である。著者の安田浩一さんのルポライターとしての力量を見せつける迫真のレポートと言っていい。 この記事で取り上げられている男性については、そのツイートがたまにリツイートされてくることもあり、ぼくも以前から知っていた。その内容は当に酷く、まさにヘイトスピーチと呼ぶよりほかにないものだった。それゆえ、この男性が安田さんの取材によって追い詰められていく様子に、ある種のカタルシスを感じたことは否定しがたい。 その一方で、この記事を読んで微妙な居心地の悪さも感じた。それは安田さんが男性の正体を探り当てる手法に起因している。男性のネットへの書き込みから

    ネットでのヘイトスピーチに関する取材手法について - 擬似環境の向こう側
  • 「話せばわかる」という欺瞞 - 擬似環境の向こう側

    ぼくが電話回線を使ってネットに初めて接続したのは、いまからもう20年近く前の話だ。日でインターネットの商業利用が開始されてからまだ数年しか経っておらず、当時のぼくにとってネットはそれほど面白いものではなかった。 むしろ、ネットに接続するついでに加入したパソコン通信のほうがずっと楽しかった。若い人だと知らない人も多いかもしれない。ぼくが参加していたのはASAHIネットだったが、そこでは様々なフォーラムが用意されていて、関心のあるフォーラムに入れば見知らぬ人と特定のテーマで意見を交換することができた。画像のやり取りはできないので、完全に文字だけのコミュニケーションだ。 実にこっ恥ずかしいことをぼくもいろいろと書き込んだりしていたのだが、そこではどうしても参加者間の衝突が起きた。ASAHIネットでは実名でのやり取りが前提だったが、それでもかなり激しいやり取りが行われることがあった。最大規模を誇

    「話せばわかる」という欺瞞 - 擬似環境の向こう側
  • 「日本が嫌いなら日本から出て行け」の背後にあるもの - 擬似環境の向こう側

    「社会で通用しない」の「社会」とは 以前、大学の同期と飲んでいたときの話。 外資系の企業に転職したばかりの奴の話をみんなで聞いていた。社内での立ち振舞いや給料の査定の話など、なかなかにシビアだ。大学のような浮世離れしたところで勤めているぼくだけではなく、普通に企業で働いている連中も驚きながら話を聞いていた。そのとき、この外資系で働いている奴が語る社会と、その話を聞いて驚いている奴が語る社会は全然違うんだろうな、と思った。 「そんなんじゃ社会で通用しない」や「社会はそんなに甘くない」という言葉は頻繁に語られる。しかし、それらの言葉に対しては、時にその「社会とは一体なに?と言われることがある。しょせん、一人の人間が体験できる社会など、その範囲は限られている。だとすれば、「社会で通用しない」と言う人が想定している社会とは、あくまで社会のごくごく一部でしかないのではないか。もっと言えば、上の話に出

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    rAdio 2013/09/12
  • 炎上と監視社会 - 擬似環境の向こう側

    9月になり、多くの学校では夏休みが終わった。 この夏を振り返ると、なんというかブログの炎上が多かった。学生が学校に戻り、下らない写真をアップする暇もなくなれば炎上も減っていくかもしれない。 それは措くとして、すでに数多く指摘されているように、これらの騒動は二つの観点から考えることができる。一つは「バカが増えた」という見方。そしてもう一つは「バカが可視化された」という見方だ。この二つの見方は必ずしも矛盾するものではないが、結果としては対立することが少なくない。 対立する理由の一つは、対処法が変わってくるからだ。前者の観点からすれば、バカがこれ以上増加するのをい止めるためには制裁が必要だということになる。バカを見つけたら、みんなで痛めつけて模倣者が出ないようにすることが重要だというわけだ。 他方、後者の観点からすれば、制裁というよりも寛容さが必要だという結論になりがちだ。昔も今も、これからも

    炎上と監視社会 - 擬似環境の向こう側
  • ネットで炎上しないために - 擬似環境の向こう側

    一時は沈静化していたようにも思うのですが、最近になってまたネットの炎上が相次いでいます。そこで、以前、学生に配布するために作ったマニュアルの簡易版をアップすることにします。2年ぐらい前に作ったものなので、内容的には古くなっている部分もありますが、現在でもだいたいは妥当するのではないかと思います。 炎上を引き起こすような人自身がこの過疎ブログを見る可能性は皆無に近いと思うのですが、教員等の方が学生に指導なされるさいに参考にしていただければ幸いです。 どのような書き込みが炎上するのか 炎上するきっかけは、大きくわけて以下の4つのパターンに分類できる。 (1)悪事の告白 飲酒運転、キセル乗車、バイト先でのいたずら、未成年の喫煙・飲酒、違法ダウンロード、他人の写真のアップロード、カンニングなどの違法行為/反社会的行為の書き込み。これらのケースでは、炎上した後に「冗談だった」という言い訳がなされるこ

    ネットで炎上しないために - 擬似環境の向こう側
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    rAdio 2013/08/14
  • マイノリティを「代弁」すること - 擬似環境の向こう側

    このまとめ(『彼女たちの売春(ワリキリ)』(荻上チキ著)への違和感)を読んだ。 ぼくは『彼女たちの売春(ワリキリ)』は良いだと思ったが、やはりこういう感想を持つ人たちもいるんだな、というのが正直なところだ。そこで、ここでは以前からぼくが悩んでいることについて書いてみたい。なお、ここでの話は、売春に限らず一般的なマジョリティとマイノリティとの関係についてのものである。 マジョリティ/マイノリティの3タイプ 話を単純化するために、ここでは3つの立場に限定して書いてみる。ここで言うマジョリティ、マイノリティは権力関係に基いて決まる。なので、数の上では少数派でも権力を持っていればマジョリティだし、多数派でも抑圧されていればマイノリティである。 A:マジョリティに所属し、マイノリティの抑圧に加担している B:マジョリティに所属しているが、マイノリティの境遇に同情的 C:マイノリティの当事者 さて、

    マイノリティを「代弁」すること - 擬似環境の向こう側
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    rAdio 2013/05/30
    正しくポジショントークすることの大切さについて。
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