羽柴(豊臣)秀吉(1537~98)が家臣に宛てた自筆文書が見つかり、兵庫県立歴史博物館(同県姫路市)が6日、発表した。5人の部下を養えるほどの「俸禄(ほうろく)」(給与)を家臣に与えるよう指示する内容で、織田信長に仕えていた秀吉が当時の姫路城の城主だった時期に書いたとみられる。博物館の前田徹学芸員は「秀吉が下級家臣の少額の給与まで自筆で指示していたことがうかがえ、秀吉と家臣団との関係を考える上で興味深い」と話す。 見つかった羽柴秀吉の自筆文書 文書は熊本県天草市の個人宅で所蔵されていた。縦22・9センチ、横30・4センチで、掛け軸に貼ってあった。今年7月、秀吉から側室の茶々に宛てた手紙が見つかったという同博物館などの発表を知った所蔵者の家族が相談。前田学芸員らが8月に調査し、筆跡の特徴などから秀吉自筆と判断した。 文書は秀吉の親族で「金庫番」とされる重臣の小出秀政に対し、「ありけんハ」と呼