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ブックマーク / booklog.kinokuniya.co.jp (5)

  • 『脳を創る読書―なぜ「紙の本」が人にとって必要なのか』酒井邦嘉(実業之日本社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「「考える」読書を手離さないために」 「電子書籍」をめぐる議論は過熱している。しかし、肝心の「読書」の内実はどうなっていくのか。そこをきちんと考えないと、何のための「電子化」かわからなくなりそうだ。 書『脳を創る読書―なぜ「紙の」が人にとって必要なのか』は、小著ながら「読書」の意味をあらためて考えさせてくれた。著者、酒井邦嘉氏は『言語の脳科学』(中公新書)などの著作が高く評価されている、言語学と脳科学を結ぶ新しい分野の代表的研究者だ。この「言語脳科学」から「読書」を見るというのが、書のユニークな視点だ。加えて、大変な読書家である酒井氏自身の「紙のの一愛好家としての意見や思想」も味読する価値がある。 第一章「読書は脳の想像力を高める」は、さらりと平易に書かれているが、後の議論の重要な手がかりとなる。入力情報としては、活字は音声や映像に比べて圧倒的に情報量が少ない

    『脳を創る読書―なぜ「紙の本」が人にとって必要なのか』酒井邦嘉(実業之日本社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    r_chatnoir
    r_chatnoir 2012/08/20
    活字は音声や映像に比べて圧倒的に情報量が少ない。その分、脳が想像力で補わなければならない。
  • 『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』木暮 太一(星海社新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「マルクス『資論』から考えるこれからの働き方」 ホントに見事なタイトルである。思わず肯いてしまう人もいることだろう。 しかし書は、ありがちな「転職」や「独立」や、ましてや「サボリ」を勧めるような類のではない。マルクス『資論』を手掛かりに、労働の質を捉え、「僕たち」の働き方を考え直そうと試みる、だいぶ射程の長いだ。著者は『資論』とロバート・キヨサキの『金持ち父さん 貧乏父さん』の二冊を深く読み込んで考えた成果だといっているが、『金持ち父さん』が料理のトッピングソースだとしたら、肝心の材でより多くの血肉になっているのは『資論』であろう。 著者は、例えばこんな問題を立てる。 ・なぜ僕たちの「年収」は「窓際族」のオジサンたちよりも低いのか ・なぜ僕たちは「成果」を2倍上げても「給料」は2倍にならないのか ・なぜ僕たちの「人件費」は「発展途上国」よりも高いのか

    『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか?』木暮 太一(星海社新書) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
    r_chatnoir
    r_chatnoir 2012/08/20
    もらえる収入から「必要経費=精神的な肉体的な苦痛やストレス」を差し引いて、自分の中に残る「利益」を考えてみる。
  • 書評空間:高山宏の読んで生き、書いて死ぬ

    高山宏 (たかやま・ひろし) 1947(昭22)年生まれ。1974年東京大学大学院人文科学研究科修士。批評家。翻訳家。 2008年4月より明治大学国際日学部教授。長年、無目的・快楽的に蓄積してきた知識の整理と、発信型カリキュラムへの編成・伝習という、なにやら明治啓蒙家的な意欲が湧くのも、「明治」へ行ったせい? 5月24日(土)新学部開設記念講演会で喋る。来れよ。 また、4~8月の第2土曜日・15時~16時半・稲城市地域振興プラザ会議室にて、「江戸の美術を新しく観る!」開講中。照会・申込はいなぎICカレッジまで。 やっと十年待望のまとまった暇がとれたところで、執筆・翻訳に戻る。乞う御期待。 2008年6月に『新装版・アリス狩り』『アリスに驚け』(青土社)刊行予定。翻訳はS.シャーマ『レンブラントの目』(河出書房新社)、B・M・スタフォード『実体への旅』『象徴と神話』(産業図書)などを予定。

  • 紀伊國屋 書評空間

    紀伊國屋 書評空間
  • 『切りとれ、あの祈る手を――<本>と<革命>をめぐる五つの夜話』佐々木中(河出書房新社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 「情報と文学の関係」 著者の佐々木中氏は『夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル』(2008年)という大部の思想書で、注目を集めた。書でも特にルジャンドルが重要な導きの糸となっているものの、主題はあくまで「文学」に据えられている。 では、佐々木氏の文学観はどのあたりにあるのか。彼の語りは一種憑依型で、独特のリズムがあるが、言わんとすることは比較的単純である。すなわち、無味乾燥な「情報」の摂取にまで切り詰められた読書行為を、徹底して身体的で崇高なものとして捉え返すこと、これである。佐々木氏にとって、それはほとんど、読めないテクスト(聖典)を読み、しかも書き換えるという逆説的行為に近い。ゆえに、文盲であったムハンマド、読むことを「祈りであり瞑想であり試練である」といったルターが高く評価される。あるいは、ダンスや音楽を通じた「革命」が志される。 逆に、書では、「情報

    『切りとれ、あの祈る手を――<本>と<革命>をめぐる五つの夜話』佐々木中(河出書房新社) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
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