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批評とanimeに関するra-rossoのブックマーク (19)

  • 90年代的ファン気質 - 氷川竜介評論集

    題名:90年代的ファン気質 90年代のアニメファン気質をキーワードに総括すると、「オタクが語る」ということにつきる。アニメをただ観て楽しむ、あるいは漫然と供給されるままに関連グッズやソフトを集めるという部分から、それについて「語る」ことで、明らかに一歩踏み出た感触がそこにあった。 「語る」行為が一般化、メジャー化するのを促進した要因は、2つある。ひとつはパソコン通信とインターネットのネットワーク・メディアの発達。もうひとつは、オタクの社会的認知度向上である。 まずネットの発達に関して、パソコン通信を例に述べる。80年代末期からニフティサーブ(現@nifty)のアニメフォーラムが活況を呈した。開設初期は資源不足からフォーラム内にコミックから特撮までメニューが囲いこまれ、ひとつの会議室で複数作品の話を平行して扱うのも当然とされていた。会員数とモデム速度も貧弱であり、それでも充分なコミュニケーシ

    90年代的ファン気質 - 氷川竜介評論集
  • http://yaplog.jp/sennheiser/archive/18

  • 唯研104号「アニメ批評のエクソダス」非公式編集後記- パン焼き日誌

    【お詫び】 季報『唯物論研究』104号「アニメ批評のエクソダス」、巻頭インタビューにおける「アニメライターの立場」についてのインタビュアーの発言に、事実誤認があるとのご指摘を受けました。不明を恥じるとともに、関係者のみなさまに多大なるご迷惑をおかけしたことを、心よりお詫び申し上げます。(2008/6/26) 修正 p.13 c.2 l.10 「アニメ雑誌」→「アニメ制作会社」(2008/8/1) どうもこんにちは。予約した人はもうそろそろ届いている頃でしょうか。季報「唯物論研究」お買いあげどうもありがとうございます。まだお買いになってない方、日より正式に発売がはじまります(販売ページ)。よろしくお願い致します。 さて皆様、読んだ後の感想は色々あると思います。正直ヤマカンと更科以外イラネとか、金返せとか、とりあえず文章難しくて訳分かりませんとか、十河にえ浮きすぎとか、まあそれはそれとしまし

    唯研104号「アニメ批評のエクソダス」非公式編集後記- パン焼き日誌
  • アニメ批評のエクソダス - 津堅信之のアニメーション研究資料図書室

    ●季報「唯物論研究」第104号 特集「アニメ批評のエクソダス」 発 行: 季報「唯物論研究」刊行会 刊行年: 2008年 定 価: 1200円 今、ちまたで話題沸騰中の誌。 まだすべてのテキストを熟読していないので、総括的な発言にとどめようと思うが、熟読した上で、あとでまたエントリを変えて加筆するかもしれない。 ここ1〜2年、「日にはアニメ批評がない」という論調が、また増えてきた。 よく知られているように、『エヴァ』の頃にもそうした論調が脚光を浴びたが、その後落ち着いていた感があった。そして今、再び「アニメ批評の不在」を嘆く声が、一つの潮流を形成していると見ていいだろう。 ここで言われる「アニメ批評の不在」が実態を反映したものか、またその実態を覆すために彼らの主張が有効なものかはまだ不透明だが、基的には、こうした論調は歓迎したい。私自身、歴史を掘り起こす研究者という立場であり、いわゆ

    アニメ批評のエクソダス - 津堅信之のアニメーション研究資料図書室
  • 『CLANNAD』のリズム−映像作品の強度と鋭さ− - tukinoha’s blog

    CLANNAD 1 (初回限定版) [DVD] 出版社/メーカー: ポニーキャニオン発売日: 2007/12/19メディア: DVD購入: 7人 クリック: 60回この商品を含むブログ (142件) を見る2004年にkeyの第3作目として発表された『CLANNAD』。この作品についてはアニメ版が始まる直前にクリアしたばかりなので色々語りたいことがあるのですが、このタイミングだと何を話してもネタバレになるので自重しています。 テーマは「家族の絆」そして「街と人の絆」。keyの固定ファンが多いというのもあるのでしょうが、作品がテーマを含めて絶賛され、「CLANNADは人生」とか言い始める人が出てくるのを見ると、ギャルゲのユーザって倫理的には超が付くほど保守的だよね、と感じます。ギャルゲ(特にエロゲ)はカウンターカルチャだと誰かが言っていましたが、絶対嘘ですよ。せっかく全年齢対象なんだから、青

    『CLANNAD』のリズム−映像作品の強度と鋭さ− - tukinoha’s blog
  • ポストモダン実験作としての「ぽてまよ」 - 大匙屋

    「ぽてまよ」とは、なんだかよくわからない生物を中心とする物語ですが ぽてまよが何なのかをあえて説明して見せないところが 「ぽてまよ」という作品の魅力を構成する最大要素であると思います。 「ぽてまよとは何なのか」という問いかけは、つきつめていくと 「ぽてまよを見ている私とは何か」という問いかけに他なりません。 ぽてまよが朴訥な主人公に抱きしめられて満面の笑顔を見せるとき 我々も主人公の笑顔を通じて自己自身が充足されている事実を発見する。 感情表現の乏しい主人公がぽてまよに対して笑顔を見せるとき 初めて我々は神として、あるいは他者としてのぽてまよに拠って 主人公と同化してこの世界に存在することを「許可される」のです。 この物語構造は日のアニメにおいてはわりと伝統的なもので 異種間コミュニケーションを主題とする作品群、代表的なものでは 「となりのトトロ」や「あらいぐまラスカル」などで語られる

  • 氷川竜介のアニメの重箱の隅 - 第1回 『精霊の守り人』メンテナンスの謎

    徳間書店アニメージュをご覧頂きまして誠に有り難うございます。 このページは、誠に勝手ながらURLを変更させて頂きました。 自動的に新しいサイトにご案内致しますが、ページが変更されない際は、 恐れ入りますが、こちら(http://animage.jp)をご覧下さい。 なお、このページをブラウザのブックマークに登録してご利用になられていたお客さまは大変申し訳ございませんが、 ご登録のブックマークを http://animage.jpへご変更頂きたくお願い申し上げます。 今後ともご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

  • http://www1.vecceed.ne.jp/~m-satomi/hidamariscatch_sub1.html

  • MouRa│東浩紀、桜坂洋│ギートステート|『まなびストレート』から未来を考える

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネット(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 ※1 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 ※1 レジストラ「GMO Internet, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 ※1 2020年8月時点の調査。

    ra-rosso
    ra-rosso 2007/05/25
    『電脳コイル』のメガシヤの未来設定はすごいってこと?
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    2024夏休み旅行 神戸・2日目【前編】 zfinchyan.hatenablog.com ↑1日目はこちら 6:50 わたしと夫だけ先に起床 前日に買っておいたお芋のパンで朝ごはん 昨日の疲れからか、なかなか息子たちが起きてこなかったので、ゆっくり寝かせてから10:00にホテルの下にあるプレイゾーンに行って、パターゴルフやバス…

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  • 批評飽きた。

    高校生のとき、『動ポモ』とか『アニメ批評家宣言』とか読んでから、小難しいことをちゃんと考えて、作品を観たら面白い意見を言わなければ、とか思って来たんだけど、もう飽きた。書いても書いても虚しい。ブクマで誉められてもトラバで貶されても面白くない。俺如きの言葉で世の中なんて動かないんだもん。まだVIPで祭りをやっている方がマシじゃないのか。祭りで注目されるとコンテンツに落ちる金増えるんだから。ネットで批評やっても誰の得にもなってない。もうやだ。辞める。辞めて沈黙した消費者になる。大学三年からちゃんと就活する。そんでフツーの社会人になってDVDとかグッズをモリモリ買うオタリーマンになる。もうしらん。もういやだ。溜め込んだ小難しいアニメ研究書も全部処分する。資料と思ってとってあるアニメ誌のバックナンバーもおさらばしてやる。やだやだ。

    批評飽きた。
    ra-rosso
    ra-rosso 2007/04/20
    早めに気づいてよかったじゃん(´ー`)
  • J& blog http://jahy.info/: だけど批判的でネガティブな気持ちも創作の原動力なんだよね

    だけど批判的でネガティブな気持ちも創作の原動力なんだよね まなびストレートの感想絡みで注目された「アニメに対して批判することの意味」みたいな問題ですが。何かを褒めることはとても健全なことなので、記事の論調が「作品を褒めて楽しくなろう」っていうものが受け入れられるのはまぁ分かるんですよ。 ただ、「こんなのはダメだ!」っていうネガティブな気持ちが創作全般の原動力になることもあるわけで。 創作っていうのは平等なもので、すべてひとしく同等に評価すべきではないかと思っている私としては、感想文っていうのもやっぱり人の手で作られたものとして創作物なんですよね。そうすると批評に満たない批判と気分だけの好きという言葉は同等な言葉になっちゃって、なので「好き」っていう言葉にも、批判するときと同じぐらいの責任が求められることになる。しかしこのことには誰も触れずに、好きという言葉に無責任な正しさを求めかけている現

  • アニメを語ること1(「駄作」について) : 藤津亮太の「只今徐行運転中」

    2007年04月14日00:02 カテゴリ仕事書籍 アニメを語ること1(「駄作」について) 『「アニメ評論家」宣言』から、自分の評論のスタンスについて書いた文章の一部分を抜き書きして掲載します。まあスタンスといってもこれはその一部ではあるのですが。 (ここから) しかし一方で評論という「駄作に対して正当な批判をすることで淘汰し、良作の比率を増やす」という役割を期待されることも多い。もちろん話芸としての「辛口評論」というのはあるだろうし、僕もそういう原稿は好きだ。しかし、僕は「辛辣な評論は駄作を淘汰する」という考えは、少なくともアニメには当てはまらないと考えている。もし、辛口評論を書いている人が、読者サービスではなく「アニメ業界のため」を口にしたら、僕は眉の上につばを塗るだろう。 ある駄作が放送されたとして、極端な状況を考えてみよう。 1、当に良作を作りたいと考えている制作者は批評など読む

    アニメを語ること1(「駄作」について) : 藤津亮太の「只今徐行運転中」
  • BEMOD: ブログ: 宮崎駿の世界

    斉藤環、上野俊哉ほか/竹書房/書籍 もっとも読まなくていい部類の。特に宮崎駿ファンにとっては必要のないかも。心から面白いと思えたのは、元スタジオジブリスタッフによる座談会と、押井守と上野俊哉の対談(ただし押井の発言のみ)だけ。 みんな宗教、社会、性、オタク、少女なんかを持ち出して、宮崎駿を自分のフィールドに引き入れて語るんだけどね。そのわかったようなわからんような話が誰に向かって投げかけられているのか、僕には皆目検討がつかなかった。少なくとも宮崎アニメを楽しんでるアニメファンでないことは間違いない。ファンを公言する石井克人や山直樹のひれ伏した文章は少なくともそちらの方向を向いていたようだけど。それでもやっぱり「ふーん(という感想)」ばかりが増殖する。そして、精神科医だろうが批評家だろうが、宮崎駿を解明しようとする輩を見ると反射的にカッとなる。そこだけはもう自動反応らしいw そもそも僕

  • 「らき☆すた」第2話を見た。 - 妄想界の住人は生きている。

    第1話の感想で、「この作品は映像言語ではなく漫画言語で描こうとしているように思える」ということを書いたわけですが。実は僕は第1話視聴の時点では、この作品が漫画原作であるということを知りませんでした。 感想の最後に「連載四コマ漫画を待つように、来週の放送も楽しみにしたい」とも書きましたが、当然原作が四コマ漫画であることも知らなかったわけです。 この作品のことは、たこーすけさんからいただいたメールで「山寛氏が監督で『らき☆すた』という作品が始まる」ということを教えていただいて初めて知り、放送時間はチェックしたものの、日々の忙しさに追われて主なスタッフ名以外の事前情報を入手することはなく、「山監督がどんな映像を作るんだろうか?」という興味で視聴したのが第1話でした。 そんな状態で視聴しても「これは漫画だな。四コマ漫画みてぇだ」と思えるわけですから、作品の持つテイストが徹底されていることが感じ

    「らき☆すた」第2話を見た。 - 妄想界の住人は生きている。
  • なんで「オタクエリート」なる単語に執着するんだろう - kj日記 二束三文版

    http://d.hatena.ne.jp/t-j/20070328 一番引っかかるのはそこ。「なんちゃってオタクエリート」っつうのはよく分かるが。つうか多分俺。過去になったか現在進行かは分からないけど、それ俺。 もう、オタクエリートなる語の胡散臭さと、見え隠れする権威性が気持ち悪くて仕方ない。権威主義に寄りかかって内実の無い「なんちゃって」君を罵倒しながら、自身の権威主義的な部分には無自覚な感じが、かなりいやらしい。結局、大衆に寄り添う事を嫌う「権威」を崇拝しているか、大衆に不要な干渉はしないが見識を与えてくれる「エリート」を望んでいるかの、非常に似通った違いでしかない。要するに「自分を認めてくれ、いつか自分にその立場を与えられる、今の自分より上の正統」が欲しいだけなんじゃないか。 <分類> (a) アニメを長く見ていて、アニメの見方の作法を確立している人たち=オタクエリート (b) 好

    なんで「オタクエリート」なる単語に執着するんだろう - kj日記 二束三文版
  • 長ったらしいのでまとめると

    自分の好きな作品を貶されると人はここまで「評論」をもって貶す奴を貶したくなるってことか。ループループ。 あるいは、自分の好きな作品を貶す言説が広まることがそんなに嫌なのか。自分ひとりが好きでいられるなら別にそれでいいのにねぇ。俺はアニメ見ないのでこの増田の評論が「分析モドキや事実の捏造を含めて見解を正当化・権威化しようという試み」じゃないかどーか正直分からんよ。結局「どんなアニメでも楽しめない奴はうんこ」という主張を延々「それっぽい言葉」に膨らませてるように(この場合アニメファンという世界の外側にいる人間からは)見えてしまうので。 ま、哀しいけどここ増田だからね。2chの演説やWikipediaのノートと変わらんからね。 anond:20070329064215

    長ったらしいのでまとめると
  • なぜ「まなびストレート」はハルヒになれなかったのか?

    このアニメが明らかに「涼宮ハルヒの憂」の大ヒットを意識して作られたのはもう言うまでもないが、 結果としてアニオタの大部分に失笑を買ったまま終わる事になってしまった。これはなぜだろうか? 安定した作画、動きまくりの動画、見るものをひきつける演出。どれもがクオリティ高かったはずだ。 ではなぜ「まなびストレート」は失敗したのか。 アニメオタクの、「理想の学生生活像」へのかきむしる手法として「生徒会」を選んでしまった事が1つ。 生徒会なんてのは学年に数人しか居ない存在なので共感を得られるはずがない。 まず早々にここで失敗してしまった。 対して「ハルヒ」はそれが帰宅部でもない限りは誰もが経験する、部活動だった。しかも文化系。 その「生徒会」も、生徒の溜まり場として機能していた時は良かったが、文化祭復活に向けての活動をし始めた途端、 辛うじて貼り付けていたメッキが見る見るうちに剥がれ落ちていく。 最

    なぜ「まなびストレート」はハルヒになれなかったのか?
  • http://doghouseblog.com/blog/archives/2007/03/5.html

    ra-rosso
    ra-rosso 2007/03/20
    こういう感想を読むたびに絶対観にいこうと思ってしまう。ははは
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