私はどこの企業やグループにも所属しない「個人VTuber」として2年間活動していた。 幸いなことに、パッと見自慢できる程度の登録者数と微妙な知名度を獲得したが、専業で活動できる利益にはならず先日引退したのでここに愚痴を書く。 フェイクも混ぜているが、私を知っている人はわかってしまうと思う。 どうか気づいてもソッとして欲しい。 【やりたいことができない】 Vtuberになりたい人達は「神絵師にキャラをデザインしてもらい、歌やゲーム配信をしてあわよくば稼ぎたい」と考えているだろうが、満足にできるのはゲーム配信だけだと言っておく。 先に歌の話。 歌は権利関係が難しい。説明は省略するが歌によってはYoutubeにアップロードしても削除されてしまう。 そして、CDの曲をカラオケ化させたり、カラオケボックスでの歌をアップロードする行為も違法だ。 そのため、歌ってみた動画を投稿する時は、 ・削除リスクが
","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"
リンク はてなブックマーク 『知念実希人 小説家・医師 on Twitter: "評論家の方々が 『この作品は面白かった、つまらなかった』 等の評価するのは自由ですが、 『こうするべきだった』 というのは作者にとても失礼な意見だと思います。 それならば自分で創作すればいいのです。 『 この記事に対して166件のコメントがあります。人気のあるコメントは「昔からよくある意見。法規制しようという話ではないから、こうした主張をする自由は強く擁護する。「失礼」だといって憤る作家の存在は承知の上で、評論家は「こうするべきだった」と書き続ければよい。」、「「あいつはけなした!ぼくはおこった!それでこの一件はおしまい!!」というのが健全であって、「失礼でない評論をすべきである」みたいな意見を公共の場で唱えてしまう作家は限りなくダサい。」、「その意見は結局評論家に「こうすべきだった」という意見では。評論 小
「チキン冷めちゃった」についての説明は割愛。知ってること前提に話します。 どうも世間ではあの件についてオタクって馬鹿だなあ、クリスマスイブに配信しない位であんなに怒って、みたいなノリで受け止められてるように見受けられます。 違うんだ、違うんだよ。 私は兎田ぺこらの熱心なファンではないけど気持ちはよく分かるんだよ。 一言でいうと「待たされる」辛さなんだよ。 配信があるかないか分からない、でもおそらくあるであろう日の空き時間にvtuberオタクが何をしているかというと、「配信があることを期待して待ってる」んですよ。 Twitterの通知は当然オンにして、何度もそのvtuberのチャンネルを確認して配信予約枠が立ってないか見に行って。その間はまとまった予定も入れずに動画でも流しながらずーーーーっと、スマホを片手にその娘からの通知を「待っている」 これはかなりキツい。平安時代の女房がなかなか来ない
私はオタクで腐女子。友達はオタクで、ほんとたまに腐を嗜むくらいのライト腐女子だ。 私はマイナー嗜好で地雷ゾーンが広くて、なかなか語り合える相手がいない中、友達は「そういうのよく分かんないし、拘りないや」と言って、私の萌え語りを否定も肯定もせず聞いてくれた。学生時代のことで、それはとてもありがたかった。 けど、社会人となり、年齢が上がるにつれ、友達のぼんやりとした好みが固まって(地雷が形成されて)いった。昔ほど話題を選ばずに語るのはよろしくないだろうなと、ツイッターの呟きから肌感覚で感じた。だからガチの腐女子ではない友達に、あからさまな腐トークは避け、こういうシチュエーションいいよね!とか別の切り口で楽しくお喋りするようにした。 そんなこんなで楽しくつるんでいたが、あるアニメ作品の感想を言い合っていたとき、友達からはっきりとその見方はおかしいと言われ、頭から冷水をかけられた心地になった。 今
コミケットが2年ぶりに帰ってくる 今年の年末には、ついにコミックマーケットが帰ってくる。 たまに一般参加するだけのきわめてライトな参加者にすぎない筆者にとっても、この空白の2年間は、なんとも落ち着かない日々だった。コミケットがない夏と年末。ワクチン接種証明などが必要とされ、参加者が限定されているとはいえ、どうにか開催に漕ぎ着けられたことについては、関係者の多大な努力があったことが推察される。まずは感謝を捧げたい。 ただしそれとは別に、コミケットの再開にかんして、たんに喜ばしいだけではなく、躊躇と疑問が心に湧くことも事実である。コミケットはなぜ、これからも必要なのか。そうした問いに対し、筆者は確信を持って答えられないからである。 コミケットは、好きなものを一緒に楽しむ人たちによって支えられてきた。「その何が悪い?」という意見にはたしかに答えがたい。とはいえ問題は、それだけでは片付かない。なぜ
「10月30日」が東京の転換点だった? 2021年10月30日は、日本の都市、少なくとも東京の転換点となったと後世から記憶されるのではないか。 その日は、第49回の衆院選挙戦の最終日だった。ただし翌日の投票で革新勢力が深いダメージを負ったことを話題にしたいのではない。より注目されるのは、選挙戦の最終演説の際に、自民党が15年間選び続けた秋葉原ではなく、品川区大井町駅前を選択したことである。 自民党は2006年9月に麻生太郎が総裁選のために演説をおこなって以来、秋葉原を国政選挙の最終日の演説地と定めてきた。しかし岸田新総裁はその15年間続いた慣行を破り、品川区大井町を選ぶ。 こうした変更には、(1)品川区を含む東京3区で自民党と立憲民主党のデッドヒートがくりひろげられていたこと――実際、選挙戦は立憲の松原仁氏が勝利する――に加え、(2)岸田首相が安倍政権とのちがいを強調しようとしたことが絡ん
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く