3月になると、私はある大切な人の存在を思い出す。 保育園から小学校、中学校で学び舎を共にした、幼なじみでもある3月生まれの友人だ。名前を仮に「T」とする。 ADHD(注意欠如多動性障害)やASD(自閉症スペクトラム障害)のような傾向があったTと、後にADHD傾向のあるASDとの診断を受ける私は、共に「扱いにくい、変わり者の生徒」との対応を、多くの教師から受けており、理不尽に煙たがられていた。当時は言語にできなかった「生きづらさ」を抱え、それを共有できることも、Tと私の距離を縮めたのかもしれない。気をつけていても失敗が絶えないこと、場の空気に合わせた言動を選んだつもりなのに、自分が周囲から浮いていると感じられて苦しい、変人扱いされるのが悲しい、などとよく話していた。しかし、「発達障害」という概念さえ知らなかった、田舎に住まう30年前の女子中学生が、解決手段を見つけ出すことなどできようか。「ど
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