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脳と心理に関するregicatのブックマーク (6)

  • 『私はすでに死んでいる──ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳』 「自己」という感覚を脳はどのように構築しているのか - HONZ

    「私はもう死んでいる」(コタール症候群)、「この足は断じて自分の足ではない」(身体完全同一性障害)、「目の前にもうひとりの自分が立っていた」(ドッペルゲンガー)──わたしたちが「自己」と呼んでいるものに歪みを生じさせるような、驚くべき症例と経験の数々。書は、それらの症例と経験を手がかりとしながら、「自己とは何か」という大問題に迫る挑戦的な一書である。 挑戦的なだけではない。書は痺れるくらいにエキサイティングでもある。書をそれほどエキサイティングにしているのは、以下のふたつの要素だ。 まずひとつは、痛ましくも興味深い症例と経験のストーリー。書は、アルツハイマー病、統合失調症、自閉症といったよく耳にする疾患だけでなく、コタール症候群、離人症性障害、ドッペルゲンガーといったあまり知られていない疾患や経験もとりあげている。そして、それらの症例や経験をドラマチックに紹介する筋立てがじつによく

    『私はすでに死んでいる──ゆがんだ〈自己〉を生みだす脳』 「自己」という感覚を脳はどのように構築しているのか - HONZ
  • 意識は過大評価されている──『意識と脳――思考はいかにコード化されるか』 - HONZ

    意識をめぐるは最近も『意識はいつ生まれるのか――脳の謎に挑む統合情報理論』や『意識をめぐる冒険』が職の神経科学者によるノンフィクションとして発表されるなど、翻訳(と出版)が比較的に途絶えない分野である。書の著者もまた職の認知神経科学者ではあるが、特異性は徹底した実証に基づく意識の定義、およびその応用可能性についての地道な記述であろう(他の著者が実証に基づいていないわけではなく、アプローチの違いであることは後述)。 書では哲学的な謎を、実験によって検証可能な現象へと変えた戦略を詳しく解説する。この変化は「意識のより明確な定義」「意識的知覚を実験によって操作できるという発見」「主観的な現象に対する尊重」という三つの要素によって可能になった。 書の構成は意識の定義、無意識及び意識の働きの実証的考察、意識に関する理論的仮説の提起、臨床現場への応用事例と段階を踏んで、かつ自身らの物を含む

    意識は過大評価されている──『意識と脳――思考はいかにコード化されるか』 - HONZ
  • あなたの思考は音声?テキスト?それとも…? ~「頭の中のアレクサンドリア大図書館」反応まとめ~

    宇樹義子(Soraki Yoshiko)🐾 @decinormal1 RT)音声言語で考える人もやっぱりいるのか!私いっさいない!私の頭のなかにはいつも言葉や概念のようなものがテキストで山ほど浮遊してる。それを論理の網がシナプスのように繋いでる。どこかをちょいちょいと引っ張ると、ズルズル~っと芋づる式に関連の言葉や概念が出てくる。 宇樹義子(Soraki Yoshiko)🐾 @decinormal1 私の頭の中には音がない。テキストが浮かんでる以外は暗闇。空間や存在の永遠の「うなり」のようなものは聞こえる気がする。概念がハイライトされたとき(蛍みたいな緑がかった色)に効果音が聞こえる気はするけど定かじゃないな。「デザインあ」の文字がどんどん動いてくやつとか大好き。馴染む。

    あなたの思考は音声?テキスト?それとも…? ~「頭の中のアレクサンドリア大図書館」反応まとめ~
    regicat
    regicat 2015/11/04
    わーこれは面白い。私は音声寄りかな。
  • 『脳はすごい』としか言いようのない『ある人工知能研究者の脳損傷体験記』 - HONZ

    自動車の追突事故。幸いなことに外傷はなく、CTスキャンなどの検査でも異常は認められなかった。しかし、さまざまな神経障害で生活に大きな支障をきたす外傷性能損傷(脳震盪症)患者となった著者・クラーク・エリオットは人工知能を専門とする大学教授。ほんとうにそんなことがあるのかと思えるほどに複雑な症状だ。つらかっただろうに、よく自らの症状をこれだけ克明に記録したものだ。 典型的な症状は、考えることができなくなったり、意思決定ができなくなったりすることだ。と聞いても、どういうことかわからないだろう。たとえば、リンゴとサラミをまな板の上に置いて切ろうとする。なんら意識することなく、どちらかから切ればいいのである。ところがエリオットにはそれができない。このことは、日常的に無意識におこなっている、と思えるようなことにも意思決定という過程がバックに必要であることを示している。 『ときに私の症状は、はなはだ滑稽

    『脳はすごい』としか言いようのない『ある人工知能研究者の脳損傷体験記』 - HONZ
  • 長文日記

  • 科学と信仰は脳のなかでは同じ、あるいは極めて同じ: 極東ブログ

    科学と信仰は脳のなかでは同じらしいという研究の話が一日のニューズウィークに載っていた。「Fact Impact」(参照)である。リードは「New study of the brain shows that facts and beliefs are processed in exactly the same way(最新研究によれば、脳は事実と信仰をまったく同様に処理している)」というものだ。トマス・クーンの科学論以降の知識人にしてみれば、科学と非科学の差というものはなく、どちらも信仰の差であり、ようするにその知識集団の政治的差異に過ぎないというのはごく当たり前ことのようだが、かといって、現実社会にあって非科学と科学を一緒にするわけにもいかないので、社会的な便宜で線引きはしている。それでも、「極東ブログ:[書評]正しく知る地球温暖化(赤祖父俊一)」(参照)で扱った、微妙だけど決定的な問題と

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