原遺跡で奈良時代の官庁跡に多く見られる方形の柱穴や、古代の東海地方で作られたと推定される「円面硯(えんめんけん)」が東北地方で初めて発見された。
原遺跡で奈良時代の官庁跡に多く見られる方形の柱穴や、古代の東海地方で作られたと推定される「円面硯(えんめんけん)」が東北地方で初めて発見された。
同地区では明治四十四年(1911)に導入されたもので、台車に載せて火災現場まで運び、取っ手の付いた棒をシーソーのように上下させて水を出す仕組みだという。[河北新報]
下野郷の五間堀川と志賀沢川の合流地点脇にある下野郷館跡(たてあと)遺跡で、戦国~江戸時代(16世紀後半~17世紀)の建物跡と護岸施設跡が発見された。
小塚の中野遺跡で昭和四十八年(1973)に発見された古代瓦が、多賀城創建前の陸奥国府だったとされる郡山遺跡で出土した瓦と同じ特徴を持つことがわかった。
同運河は、石巻と東松島両市の境を流れる定川と石巻市内の旧北上川を結ぶ運河で、釜閘門は、船が円滑に往来できるよう定川と北北上運河の水位を調整するために明治四十年(1907)頃に完成したという。[河北新報]
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