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ブックマーク / domingo.haramachi.net (2)

  • 原町飛行場の整備兵の思い出 | おはようドミンゴ

    双襲と呼ばれた二式双発戦闘機「屠竜」と整備兵 原町飛行場の整備兵の思い出 原町区馬場 中野目利次 軍属として原町飛行場に勤めました。 大正十五年生まれ、八十一歳 私は1926年(大正15)年二月十一日、原町区馬場のこの家で生まれ、今年八十一歳になります。 石神第二高等尋常小学校(のちの国民学校・現在の小学校)を昭和十四年三月に卒業し、相馬農蚕学校(現在の相馬農業高校)などに進学したかったのですが、当時家が貧しくて進学もできず、押釜の砂工場やあちこちで働きました。私は草鞋を履いているのに、友人の農蚕学校生は、足に格好よくゲートルを巻いて立派そうでうらやましく思ったりしたものです。 家の近くに飛行場ができて 昭和十四年四月、私の家のすぐそばに雲雀ヶ原飛行場ができ、翌年「熊谷飛行学校原町分教場」として開場します。(飛行場の名称は次のように変更。「三重明野飛行学校教育科第一中隊飛行場」「茨城水戸飛

    repunit
    repunit 2020/08/01
  • 原町飛行場を飛んだ飛行機たち | おはようドミンゴ

    二式双発戦闘機「屠竜」「双襲」 二式複座戦闘機 キー45 第二次世界大戦時の大日帝国陸軍の戦闘機。キ45改。愛称は屠龍(とりゅう)。略称・呼称は二式複戦、二式双戦など。連合軍のコードネームはNick(ニック)。開発・製造は川崎航空機。複座という名は同年採用の二式単座戦闘機「鍾馗」と区別するため。 昭和19年11月から、海軍神風特攻隊に続いて、陸軍も特攻機に投入。熟練パイロットを消耗した。教官山卓美もその一人で「勤皇隊」隊長として原町を出発。「美しき思いでの原町さらば」と日記に遺している。 特攻機陸軍99式軽爆撃機 キー51 終戦の年に栃木県那須野飛行場部から神鷲205部隊の特攻用に原町、矢吹のほかに磐城飛行場(現大熊町夫沢・福島第一原発)に配備され、日立沖まで進出してくるアメリカ(英豪連合)軍機動部隊に突入すべく待機していたが、先制攻撃で壊滅。夫沢の一機だけが生き延びて終戦の日に「日

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