- 近代の知識人はみな「官」を志した。「官」になるべきだと世間にも考えられていた。「官」たりえないものは政客をめざし、または学者になろうとした。それが普通の道だと信じられていたなか、明治二十年頃「官」たるの道を余儀なく、また意図してはずれ、そして政客でも学者でもなく実業家でもないなにものか、一般に社会の埒外にあるものとして見られた文人あるいは言語による表現者となろうとした一群の青年たちが出現した。彼らは「官」にはなり得なかった負いめを感じつづけ、その一方で「官」の道を選ばなかった若年の誇りを思うというアンビバレンスのただなかを生きた。しかし、いまだ未熟な出版業界は、消費化する社会にある彼らの生活を容易には安定させなかった。 彼らは、一種の反社会的な生きかたと、その結果ゆえに「世間」に差別された。しかし彼らは、技芸を研いて精神の自由を得、また社会的な束縛からも自由であるという点に誇りを持ちつ
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