空を見上げると春霞といったようす。春だなと思う。昨日、村上宣寛氏の書籍の紹介で親の育児態度の影響は子の性格にはあまり関係ないというよく知られた話に触れたが、そうはいっても人間の個人の自身の性格の理解は物語の構造を取るもので、過去の事件や親子の関係がそれなりに物語化されている。それを脱構築というか解体することは、それほど容易なことではない。ふと思ったのだが、恋愛や結婚の関係、あるいは長い職場関係もそうか、こうした比較的長期に及ぶ関係もその理解は一つの物語の形を取るのだろう。そして、多少なり、世界や自分を客観視できる人ならあるいはそういう客観視をせざるを得ない人なら物語性のもつ胡散臭さを直感している。あるいは。誰にもそうした直感はあり、物語を強化する必要---感情的な必要---があって、そこから物語の希求が起こり、実は「正義」や「他者の排除」ということはその物語の要請から起きるのかもしれない。