「おさ」でも「osa」でもいいから入力するとずらっと攻殻が並んで出てくる。 それも、元の「おさ」の字とのAND検索ではなく攻殻機動隊が単体でだ。 攻殻で知らないワードがあるなんて、いや、ARISEの新キャラだろうかと一瞬考えたがやっぱりおかしい。 どこをどう読んだって「おさ」は入ってないと思うのだが念のため攻の字を調べると果たして「おさむ」という読みが存在した。
「おさ」でも「osa」でもいいから入力するとずらっと攻殻が並んで出てくる。 それも、元の「おさ」の字とのAND検索ではなく攻殻機動隊が単体でだ。 攻殻で知らないワードがあるなんて、いや、ARISEの新キャラだろうかと一瞬考えたがやっぱりおかしい。 どこをどう読んだって「おさ」は入ってないと思うのだが念のため攻の字を調べると果たして「おさむ」という読みが存在した。
電車の中でブサイクな日本人女が欧米人男性を連れていることがあるよね。あれ、なんでだろう?日本人男性って本当欧米人女性にモテないよね。あれ、なんでだろう?俺はブサメンで、20歳まで彼女すら出来たことがなかったくらいなんだけど、ここ数年は欧米人女性からアプローチされることが多い。なんでだろうって思って欧米人の友達に聞いてみると、理由はこんなところだった。もちろん個人差、文化間差等あるのは承知の上だけど、納得出来るところも多かったので、俺の経験則も踏まえて書いていこうと思う。1.ガタイが良いか?これは男性が主に知るべき理由。基本的に欧米ではマッチョってかなりの魅力なんだけど、日本だとジャニーズ系みたいなヒョロガリがカッコいいって思われている風潮がある。最近では細マッチョがもてはやされているけど、欧米人からしたらそんなの少し痩せ過ぎなくらいだからね。筋トレしろ、筋トレ。女の子も、お尻と胸にハリが出
スペック:20代男。女性と付き合った人数は片手で足りるぐらい。奥手。巨乳のふんわり声の女性と付き合いたい。 私は巨乳のふんわり声の女性と付き合った事がない。付き合う女性はハスキーボイスの貧乳ばかりだ。Bカップ以上のおっぱいを見たことがない。なんで自分は巨乳のふんわり声を求めているのに、毎回ハスキーボイスの貧乳とばかり付き合う事になるのだろうと考えてみたところ、ある答えが出た。 まず、私は巨乳の女性と対峙した時、おっぱいしか見てなかった。今まで出会った巨乳の顔を思い出せない事からも明らかだ。少なくとも会話中に7割ぐらいはおっぱいを見ていたのだろうと思う。コミュニケーションをとる時は、やっぱり相手の顔を見て話すべきだ。なのに私は相手の表情も見ずにおっぱいばっかり見てた。自分の表情も見てもらえていない。逆に、貧乳とはちゃんと顔を見て話していた。相手の表情をちゃんと見て話している。自分の表情も見て
皆さん、もう初詣には行かれましたか。 私はアラサー手前のお兄さんですが、柄にも無く賽銭を入れて手を合わせました。 子供の頃って、色んなお願い事しましたよね。 今だに覚えているのは中学生の頃、今年こそは彼女を作ってヤらせてください、というものでしたが、 今思えばよく天誅が下らなかったと神の懐の深さにマジ感謝です。 そんな私も大人になって、どんな神頼みをしたのかと言えば、今年も健康に留意して過ごします、というものでした。 帰りに露天のバナナチョコを頬張っていると、一緒にお参りした中学の同級生から、どんなお願い事をしたの?と聞かれました。 素直に答えて、子供の頃みたいに神様にお願いするよりも、自分がする事を宣言するようになって来た、という話をしました。 相手は、大人になったね、なんて言ってましたが、そりゃアラサー手前、少しは大人になりますよ。 私が話すこともなくなり、今度は相手にどんなお願い事を
うちにも引きこもりの義弟がいた。 10月末に義父と連絡がとれなくなり、家に入ったところ、浴室であおむけに倒れて意識ないままの義父を発見した。 向いの部屋には引きこもりといわれ、「誰にも会わせたくないから」という義父に言われて結婚して以来7年間全くあったこともない(もちろんそれ以前にもあったことはない) 義弟がいるはず。おそるおそる部屋をノックして中をのぞくと、腰まで届く髪、恐ろしく長く伸びた爪、部屋の壁は四方とも穴だらけで長い年月かけて積み上げられた土壁で覆われて廃墟のようになっていた。テレビも本もパソコンも何もない。きっと誰にもいえない苦しみをぶつけていたのだろう。 彼は何もない壁に向かって座っていた。初めて言葉を交わす私と顔を合わすのがつらそうだ。声は全くでない。かすかにうなずくか首を振る程度の反応しかうかがうことはできない。 「お義父さん、倒れてるけど、いつから?気づかなかった?」尋
忘年会、新年会、普段会わない人と再会する機会が多くなる時期。 会も終わる頃、別れ際になると、決まりきって、「また近々会おう」と言ってくる。 本当に会う気があるなら日程調整をするだろう。日程調整なしに会うことはない。 こう言う人に限って、その後、会った試しがない。 社交辞令といえばそれまでだろう。 でも、この社交辞令は後味が悪くて好きになれない。 自分にとって「会おう」というのは”約束”で、約束した以上、実行しないと気持ちが悪い。 とは言え、こちらから会いたいと思い日程調整するほど会いたくもない。 自分は、本当に会いたければ、「会おう」と言い、日程調整も軽くする。 会う気もないのに、よく「また会おう」なんて言えるな、と思う。 適当に約束する人が多くて嫌になる。
備忘録として、私がした結婚式を。 私たち夫婦は前提として、以下の2点があった。 1)沢山の人を呼ぶ派手な披露宴や、儀式に興味はない キリスト教でないので神に対して誓いたくない、両親への手紙は、わざわざみんなの前で読む必要はなく親に直接言えばいい、 色直しもキャンドルサービスも金の無駄・・・偏屈同志の二人の意見はぴったりであった。 2)なるべく中間搾取されずに、払った金額ができるだけ招待客にいきわたるようにしたい。=コスパを高くしたい。 予算まず、開催時期を半年後に決め、開催地を決めた。 次に、結婚式の枠組みを決めるために試算を作成した。 1.大前提として、夫婦として妥協できる持ち出し金額を決めた。結婚式が終わってからが長い二人三脚のはじまり。 したがってお金は極力出したくはなかったが、かといって皆に遠方から来ていただいているのにも関わらずプラスにしたい (持ち出しをしない)という観念もなか
昔の恋人からFacebookでメッセージが来ました。 彼は私の初恋の人で、初めての恋人で、私に初めての失恋を経験させた人。私が16歳のときに彼の大学の学祭で知り合い、2ヵ月後にお付き合いを始め、私が社会人になって1年少し経つまでの7年を一緒に過ごしました。1年だけでもいいから同じ学校に通いたくて猛勉強したのに、理工学部と文学部ではキャンパスが違ったのにがっかりしたなぁ。 大学卒業後、彼は就職ではなく、遠くの学校に進学することになりました。地元に帰ってくるのは本当にたまにのことになりました。遠かったけれど、アルバイト代をためて、私も何度か会いに出かけました。 彼の卒業と、私の卒業は、ちょうど同じ年の春でした。 私は出版社に就職が決まり、彼は子供の頃からの夢だった職業につきました。なれない社会人生活に奮闘しながらも、夏休みには「落ち着いたら結婚します」と、お互いの親に報告をしました。 駆け出し
最近はてなで嫌われている虚構新聞と淫夢とサードブロガーの共通点 http://anond.hatelabo.jp/20131223223150 これはあんまりにも簡単にまとめ過ぎだと思った。だから問題点を整理したい。 まず虚構新聞についてだが、虚構新聞に関しては一貫して「態度の問題」だと思っている。 「おもしろくない」「住み分けろ」という批判ははっきり言って無意味なもので、そんな批判が通用してしまうなら インターネットの人々はみな自分の「おもしろさ」を絶えず気にして、自分の所属するクラスタに閉じも篭もってしまう。 私はずっと健常者のそのような焼き畑農業的な、未来の無くなる、人の行動を制限する言説には反対してきた。 私はインターネットでドヤ顔を見たいのである。カオスを見たいのである。みなが「住み分け」をするのならインターネットをやる意味が無くなってしまう。 「全く別の嗜好の人間が強制的に同じ
鏡に苦手意識を持っている人は多いと思う。 昔、鏡が左右が逆の光景を映していると知って怖くなった。 怖いと思った理由は 左右が逆なので鏡に映っている僕は僕ではないだけどこの世で僕に最も似ている人だ(多分鏡に映る像を人に見せたら僕だと判断されるだろう)なんか本能的に怖いそれでずっと鏡やガラスを避けてきたんだけど、ふと、じゃあ鏡に映っているのは僕なのか僕ではないのかと考えた。 普通の人は、鏡を自分の姿形がそのまま反映されていると考える。 すなわち鏡の中に自分を見る。 だけど僕は鏡の中に自分を見ることができない。 もし鏡に映るのが自分だと認めてしまうと、理由1に反してしまう。 自分のホクロは右手にあるのに、鏡の中では左手にあるのだ。 生理的にこの矛盾に耐えられない。 では鏡に映る人間が自分ではないと決めると、理由2に引っかかる。 この世で最も僕に似ている人、違いは左右が入れ替わっているだけ。 この
http://hagex.hatenadiary.jp/entry/2013/12/21/093819 こういうヨタ話を、真偽定かでない、という前提で広めることは、遠まわしな化学へのディスリスペクトであると思うので突っ込んでおく。 元記事を要約するとこうである。 20年前、学生実験で、アルカリ金属の爆発事故が起こり死人が出た。この学生実験は、学生自身がテーマを決めて行う形式で、アルカリ金属の水への反応速度を測定することを目的としていた。アルカリ金属は本来石油中に保管するべきものであるが、石油が蒸発してなくなっており、蓋を開けると発火したためあわてた学生が水をかけた。この水は発生する気体の体積を水上置換により測定するために用意されたものであった。爆発がおこり、巻き込まれたり戸棚のガラスがささって、複数の負傷者が出た。一人が後に亡くなり失明した人もいた。この事故は今でもアルカリ金属の危険性を示
僕は30代でスーパーパートのおっさんをしています。 週4~5日、1日3時間ほどの勤務です。 朝からの時もあれば昼からの時もあります。 30代というと、子供のころはずいぶんな大人というか、脂がのっているころというイメージでしたが。なってみると「子供のころから地続きで今」という感じです。 何の成長もしなかったということかもしれません。中学くらいまで 小学校のころの僕は、自閉気味でした。話し出すとある程度話せるのですが、自分から話すのは苦手でした。 休み時間など、友達と遊ぶということは無く、寝たふり。 みんながドッチボールをやっているのを横目に誰もいない校内を散歩する感じでした。 中学受験はしましたが、大した成績はとれませんでした。 中学に入ってから塾に通い出しました。数学はいきなりできて、『高校への数学』の数学コンテストは最初から100点を連発してました。 全国模試でも数学だけは1位とかでした
自分のことは気にしすぎタイプだとは思ってたけど、自分が普通だと思ってる部分も、他の人からみたら気にしすぎなのかも、という気づきがあったので記録。 彼氏とのちょっとしたすれ違いで、冷戦になった。発端は些細なすれ違いで、私が無意識に彼氏を怒らせる言動⇒彼氏不機嫌⇒私「怒ってる?なんで?」⇒彼氏「別に怒ってないよ」⇒つられて私も不機嫌⇒彼氏、不機嫌な私を見て「どうしたの?」⇒私、あなたのせいでしょ!と怒る 結局、すこし時間をおいて、頭を冷やしてから再度話をしたら、冒頭の「私が無意識に彼氏を怒らせる言動」をとっていた、ということがわかったんだけど。 こういうめんどくさい話し合いができる相手でよかった、と思った。 無意識に相手を怒らせたり傷つけたりすることって結構あるし、逆に自分が傷つけられることもあるけど、それを相手に伝えるのってなかなか難しい。 言ってる方は、相手がなぜ怒ったり傷ついたりするのか
最近、人に会うことをやめた。 小さい頃から社会が要求する「外向的」な人を演じてきた。 相手を不快にさせないことを最大の目的とし、気が合う人とも、合わない人とも平等に接してきた。 飲んだり騒いだり遊んだり、それが全て嫌だった。 世の中が求める「外向的」な人の像を演じ、その像を守るために人と会っている自分が嫌いだった。 それらを全て捨てることにした。 心配もされたけど理由は話さなかった。 こういう考え方に賛成してくれる人が周りにいるとは思えなかった。 そういう人が周りにいないのは、演じて生きてきた報いだと思っている。 「内向的」であることは何故悪なのだろうか。 全員が「外交的」であることを求められる場所で、いなくなった何人かの「内向的」な人を思い出す。 それを追い出した「外交的」な人が思い浮かぶ。 「内向的」な人が悪なのは、「外交的」な人がそう決めつけているからだと思う。 それしか思い付かなか
世の中知らないことだらけ。 言葉の単語が少なければ意味さえも知らない。 この28年間勉強を怠ってきた。 そもそも“読む”ことが苦手だ。マンガでさえも… 読まなくては何も発見することができない。 わたしは、知らないことを知るキッカケがないまま社会人になってしまった。 こんな絵を目にした。 ※1: http://dalme.com/archives/34061562.html 正しく視野が狭いわたし。 本が積まれていないわたしは幸せなのか? それは一概には言えない。 本を読むか読まないかは、ひとつの選択だと思うな。 例えば地図を見ることで道に迷わないかもしれないけど、 迷わなかった分経験できないことがきっとある。 引用:※1 現在、わたしは道に迷ったことで経験を得ています。 P.Sわたしは無知な女。 最近知った言葉と意味は「稲川会」と「ヤーさん」です。
具体例以外の部分をちゃんと聞く人、読んでくれる人の割合って少ない気がする。 大学の先生が 「授業で具体的な事例を紹介するのには気を遣う。具体例を入れると、生徒が具体例の方ばっかしに気がいって、具体例を通して言いたかった事は何一つ理解していない事がある。たまに、具体例の時だけ顔を上げる生徒もいるんだよ」 って嘆いていたのを覚えてる。 実際、俺がブログで日記書いても、具体的なエピソードに対するリアクションばかりに終始して、「いや、それが話の本質じゃないんだけど」的ながっかりが起こることがよくある。 もちろん、具体例を通して話の本質を伝えることができなかった話手、書き手の落ち度もある。 とはいえ、ネットを見回していると具体例に対する揚げ足取りばかりに終始している例がよく見られるし、読者にも問題があると思わざるを得ない。 まあ俺も具体的な事例を読むのは好き。逆に具体例がない文章ってのは、ふわふわし
妻が入院した。一ヶ月の入院予定。わーい 今流行りの独身貴族だ!満喫するぞ!と思っていたが、一週間で飽きた。暇すぎて死ぬ。結婚して5年間家と仕事場しか往復して無いせいか一人での時間の使い方がわからない。 昨日は仕事が7時に終わった。さて、なにしようか。30分かけて県庁所在地の繁華街へ行く。7時半ご飯を食べようと思う。今までと違って好きなもの食えるわ。10分車でぐるぐる回ってみるが、どこに入っていいかわからずリンガーハットに入る。スナック皿うどん注文して、食べ終わったのが8時30分。もう終わっちゃった。 外食飽きた。好きなもの食えるって自由なようで単調で飽きる。7日中6日はラーメンだよ。 さてどうしよう。まだ8時半だ。ゲーセンを見つける。3台ほどパチンコを500円使うが当たっているのか当たっていないのか分からないからやめる。 まだ九時だ。暇だ。携帯で電話帳を見る。誰か遊べる友達はいないのか。い
新たな知識をインターネットに求めるのはやめたほうがいいという話。 すこし前まで、ぼくの関心は IT にあった。思えば癖のようなものだった。なにか興味がわいたときにはインターネットで調べれば、いつでもそれなりに優れた情報に、そう時間をかけることもなく辿りつくことができた。それはたとえばプログラミング言語の公式ドキュメントだったし、あるいは通信の規格だった。いつでもぼくはインターネットで、求めるものを見つけ出すことができた。そんなこともあって、たぶんぼくは勘違いしていたのだ。調べた先に求めるものがあると。しばらくしてぼくの関心は、IT とは特別かかわりのない分野へも向かった。ある意味でこれは不幸だったのかもしれない。インターネットには IT の円があった。そして、ぼくはずっとその中で生きていた。求めるものがそこにはあった。一歩、そう本当にたったの一歩でいい、たったそれだけでも円から外へと踏み出
小中学生の時って、スカートめくり流行ってたよねって。 酒飲みながらそういう話してたんだ。 当方は30代前半。同世代の女子と。 私がうぶすぎたのかしら、 女子ってスカートめくりなんて、 完全に悪の権化、嫌々、何それセクハラやめてよの対象として捉えていると思っていたのだけれど、 実はそんなことなくて。 スカートめくられた時用に良い感じのパンティ履いて来てたり、 むしろ今日かわいいパンティ履いて来てるから、 ちょっとあんためくってよ的なテンションだったりしたんだって。 そんなアホなって。 君のコミュニティーがちょっと異常だったんだよって帰結して、 その子はその子でなんか勝ち誇った感でその時は丸く収まったんだけど。 そして、その話をまた別の機会に持ちだしたんだ。別の同世代女子に。 すると、やっぱりそんなの常識で、 むしろ、パンティめくられる順番決める為に打ち合わせしてたとか、 好きな子にパンティめ
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