正木伸城 @nobushiromasaki 定刻を何時間過ぎても依頼物が届かない。出勤するはずの職人が勝手に2日間休む。というか、二度と工場に現れない。正月のあいさつ回りだけで幾日も費やす。「なんと時間にルーズで、悠長な!」と海外の人があきれる存在。それが、明治期までの日本人だった。日本が太陽暦や定時法を導入したのは、明治6年。それ以前は――中世から近世にかけての日本では――日の出と日没のあいだを6等分する「不定時法」が用いられ、庶民にとっては一刻(約2時間)おきに鳴る寺社の鐘が時間を知るためのほぼ唯一の手段だった。当時の時間認識は、鐘と鐘との間隔をみずからの感性で2分割(半刻)するのがせいぜいという大雑把なものでしかなかった。 その頃の日本人にとって、1日は24時間ではなかった。そういう概念がなかった。 ところが、定時法の導入以降、1日は24時間になった。時間が分刻みで管理されるようにな