■[社会] 「逃亡」という概念の存在しない場所で逃げることはできない ちょっと、一連の「自殺予告」の話をしたい。かなり個人的な話も入ってくるので、興味がない人はスルーで。 逃げることが「できない」学校という環境 一般的な疑問だけ述べれば、何故逃げないの?ということだ。或いはどこかに避難するとか。「いじめた人を殺」すなんて、何時でもできる。どこかに逃げるとか避難するという選択肢が(主観的にも)ないということが問題なのか。勿論、本人を責めるべき問題ではなく、問題なのは直接的には周囲であろうし、社会なのだろうとは思う。 逃げろや、逃げろ - Living, Loving, Thinking ご推察の通りで、学校という空間にいると「(学校から)逃げる」という発想ができなくなってしまう。なぜなら、この国の学校では、そこに自己の尊厳の全てを預け、人間関係を作り上げ、その中で自己実現を図ることが至極当然