ブックマーク / www.rekishijin.com (5)

  • 【終戦記念日】なぜ日本は破滅的な戦いに挑んでしまったのか? | 歴史人

    第二次世界大戦は日にとって悲劇的な大敗を喫した歴史に語り継ぐべき戦争となった。この破滅的な戦いを日はなぜ回避できなかったのだろうか? 戦後78年が経っても議論を呼ぶ大戦のはじまりを解説する。 ■アメリカによる石油の全面禁輸で開戦を決意 国際社会から孤立する日が、アメリカとの対立を決定的としたのは、日独伊3国同盟の締結であった。 日独は昭和11年11月25日に防共協定を締結していた。これはソ連を主な対象とした共産主義の封じ込め政策であったが、この防共協定を軍事同盟に発展させる構想が第1次近衛文麿(このえふみまろ)内閣のときに浮上した。3国同盟問題は続く平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)内閣でも引き続き討議されたが、この時、米内光政(よないみつまさ)海相をはじめ海軍首脳は徹底して同盟締結に反対した。ヒトラー政権下のドイツやムッソリーニのイタリアと手を組むことは、米英との戦争につながると考え

    roseknight
    roseknight 2023/08/15
    日独伊三国同盟の頃から、日本は国家としての展望を見失っていたのかも知れない。国際政治をドイツに翻弄されて、その場の辻褄合わせに追われた昭和日本。米英という「本当の敵」に会えたことが唯一の興奮か?
  • 日本人の新しいもの好きは古代から? 前方後円墳の広がりと仏教伝来時の様子は似ていた! | 歴史人

    いろいろ考えていると、前方後円墳が広がった背景と欽明朝(きんめいちょう)以降に仏教を積極的に受け入れた情景が重なって見えてきた。仏教の受容と前方後円墳の普及には、もしかすると同じようなメリットがあったのではないだろうか? ■新たな文化技術を受け入れて育てる好奇心と向上心 仏教は、欽明天皇の時代に百済(くだら)の聖明王(せいめいおう)から公伝します。崇仏(すうぶつ)派と排仏派が対立をしますが、それは単なる宗教対立とはいえなかったと思います。仏教が包含する新文明を崇仏派の蘇我(そが)氏が独占して権力を強大にすることを物部(もののべ)氏は恐れたのでしょう。 「仏教」と一口に言いますが、釈迦(しゃか)の教えを中心にした哲学と価値観が根にあるだけではなく、それを理解し実践するためには瓦葺(かわらぶき)の寺が必要です。もちろん五重塔などの高層建築技術、伽藍配置(がらんはいち)やその学問的意義、そし

    roseknight
    roseknight 2023/07/20
    大和王権は仏教を通じて大陸、特に朝鮮から文明を取り入れてきた。文化や技術は地方へと伝わり、思想や死生観も発達した。前方後円墳は大陸文明の受容の象徴だ。新しいものを理解する知恵は政権の基盤でもあった。
  • アメリカ政府や国民を恐怖に陥れた「伊17潜水艦」によるアメリカ本土への砲撃 | 歴史人

    帝国海軍では潜水艦を、水上艦隊とともに行動するものと位置付けていた。艦隊の前面に展開し、最初に敵艦にダメージを与える役割を担わせようと考えていたのだ。それにより続く艦隊決戦を有利にし、敵艦隊を確実に撃滅に導くことを想定したのである。そのため潜水艦も艦隊と行動を共にできるように、速力や航続力が重要視された。 伊17潜水艦の砲撃で撃破された後、魚雷で止めを刺されて岩場に座礁したアメリカのソコニー・バキューム・オイル社タンカー「エミディオ」。アメリカ西海岸における通商破壊作戦における初の獲物となった。 日海軍の潜水艦は、艦隊決戦時の斬り込み隊長的な位置づけであった。それがドイツ海軍得意の群狼作戦よろしく、複数で協同して通商破壊戦を演じ、戦果を挙げたことがあった。1941年12月8日の開戦後、緒戦で勝利を重ねた日海軍は、太平洋から東南アジアにかけての広大な海域を勢力下に収め、12月中旬には

    roseknight
    roseknight 2022/12/06
    潜水艦の米国西海岸における通商破壊作戦は面白い。敵国本土に早い段階で攻撃出来たことについては疑問も残るが。石油関連施設を攻撃したことが真珠湾と対照的でもある。伊17の様な「切り込み隊長」が日本の強みか。
  • 異国船打払令を出していた江戸幕府は、なぜ薪水給与令に方針を転換したのか? | 歴史人

    鎖国を長年続けていた江戸幕府は、幕末に至って内外から開国への圧力を受けていた。それまで「異国船打払令」によって、諸外国へ排他的な対応を取り続けていたが、ある事件を契機として方針を180度転換させることになっていく。 Q.異国船打払令を出していた幕府は、幕政改革とともに当時の世界の情勢をみて薪水給与令に改めた。ではこのとき、幕府の方針を転換させた世界の情勢として正しいのはどれか? 1.アヘン戦争 2.南北戦争 3.ロシア革命 4.フランス革命 江戸時代は国を閉ざした時代であったといわれ、その状況は「鎖国」とよばれている。しかし、「鎖国」という言葉は、江戸時代に来日したオランダ商館の医師ケンペルが著した『日誌』をオランダ通詞(つうじ)志筑忠雄(しづきただお)が『鎖国論』として抄訳したことから広まったものである。 このころの日は、3代将軍徳川家光により、日人の海外渡航とポルトガル船の来航が

    roseknight
    roseknight 2022/04/22
    フェートン号事件を機に出来た異国船打払令には、鎖国という「アイデンティティ」も含まれていたのでは。これは、アヘン戦争後に薪水給与令という形で再現された。当時の幕府はどこまで国際情勢を理解していたか?
  • 奈良時代に律令制度とともに進化した「地名」の成り立ちを紐解く | 歴史人

    大和朝廷の土地開発にちなんだ地名は、現在も残り、私たちの生活の近くに存在する。奈良時代、地名の由来は当時の律令制度に基づくものが多かった。制度の進化とともに、地名も変わり、そしてまた発展していった。ここでは古代に生まれた地名の由来とその紐づく律令制度について紹介していく。 古代の部曲が律令制の戸籍 律令の人頭税に用いられ把握 物部守屋 奈良天理市あたりが拠。蘇我馬子との丁未の戦以降、力を失う。「物部」がもののふとなり武力を表す。伴造の下に品部が置かれ、居住した先に同じ物部となり地名に残った。(国文学研究資料館蔵) ヤマト王権による統一国家が目指されていたのは、3世紀中頃あるいは4世紀に始まる古墳時代からである。王権と協調関係を保ってきた地方豪族たちは、王権から国造に任じられたものの、半独立状態を維持していた。これが飛鳥(あすか)時代になると、律令(りつりょう)制のもと、律令国として中央か

    roseknight
    roseknight 2021/12/31
    戸籍やそれに基づく条里制の名残りは日本各地の地名に残っている。その背景には支那大陸や韓半島の言語や技術も存在する。飛鳥の名が古代朝鮮語の「スカ」に由来する説は面白い。古語からは色々な発見ができそうだ。
  • 1