◆はじめに 昨年10月末から今年3月初めまで、計10回にわたって「視覚障害者とのパートナーシップをめざして」と言うテーマでボランティア連続セミナーが日本ライトハウス盲人情報文化センターを会場に開催されました。これは、その第9回目(2月23日)に私が行なった講演の要旨です。 このセミナーの講師陣は、私を除いて、例えば東大先端研の福島智さんなど多くの実績を持ちまた経験豊かな方ばかりです。私のような非力者がこのような機会を与えられることはめったに無いことなので、ついできるだけ多くの事を話そうと思い準備しましたが、時間に追われて十分意図が伝わらなかった部分もあったように思います。そういう点もふくめ、当日のレジメに大幅に加筆して公開することにします。 *この改訂版は、講演当日には時間がなくてまったく述べなかった実例、講演後に調べて明かになった事などを加筆したものです。 ◆目次 1 私の紹介 2 視覚
Winsor Mccay: Master Edition マッケイがアニメ制作に着手したのは、遅くとも1910年の夏で、10月には最初の作品『リトル・ニモ』が完成していた。処女作の本編はわずか2分強であり、彼の人気作品『夢の国のリトル・ニモ』のキャラクターが使われている。ストーリーのない、動きとメタモルフォーゼのみで構成されたテスト・フィルムだ。 記録では、マッケイは一ヶ月で4000枚の原画を描いたとされるが、2分強ではフルの1コマ撮りでも3000枚弱であり、計算が合わない。実際の作品はこれより1分ほど長かったのかもしれない。 公開年は翌1911年で、本編が短すぎるため約8分の「メイキング」が添えられている。それはまず酒場にマッケイ本人とそのマンガ家仲間が登場し、お互いに賭けをするという有名なシーンから始まる。 賭けの内容は「絵を、あたかも生けるがごとくに動かすことができるか」というものだ
主人公の少年ニモ 『リトル・ニモ』(Little Nemo)は、ウィンザー・マッケイによるアメリカ合衆国のコミックストリップ。1905年10月15日~1911年4月23日にニューヨークヘラルド紙、1911年4月30日から1914年にウィリアム・ランドルフ・ハーストが発行していたニューヨーク・アメリカン紙に連載された。毎週日曜日の1ページがカラーで描かれた。当初は『夢の国のリトル・ニモ』 ("Little Nemo in Slumberland") というタイトルで、掲載紙が変更された際に、『すばらしき夢の世界』("In the Land of Wonderful Dreams")と改称されている。初期のコマ割り漫画の傑作であり、当時アメリカ合衆国でひろく人気を集めただけでなく、画面の美麗さと想像性の豊かさから現在も多くのクリエイターに影響を与えている作品である[1]。 作品[編集] 『夢の
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