平素より「はてなハイク」をご利用いただき、ありがとうございます。 「お題でつながるミニブログ」としてご利用いただいていた「はてなハイク」は、2019年3月27日をもちまして、サービスの提供を終了させていただきました。 これまでご利用いただきましたユーザーの皆さまに深く感謝いたします。 誠にありがとうございました。 詳しくは下記をご覧ください。 http://labo.hatenastaff.com/entry/2018/11/19/113653 株式会社はてな
●コロンビア大学の名誉教授ハーバード・パッシンは『文芸春秋』(1987年4月号)の中で次のようなことを述べていた。 「そもそもユダヤ人とは何か。ユダヤ人として生まれたことは必要条件でしかない。ユダヤ教を信奉してこそ、初めてユダヤ人だと認められる。私はユダヤ人の両親から生まれたが、自分をユダヤ人だとは思っていない。私はユダヤ教を信じない。安息日にも休まない。私はアメリカ人であるが、ユダヤ人ではない。……〈中略〉ユダヤ人がユダヤ人であるためには、何よりも“ユダヤ教徒”でなければならないのだ。」 イスラエルのユダヤ教徒たち ●イスラエル共和国を去ったユダヤ人女性ルティ・ジョスコビッツは、著書『私のなかの「ユダヤ人」』(三一書房)で素直な気持ちを述べている。 「イスラエルにいたとき、ターバンを巻いたインド人が畑を耕作しているのを見た。どこから見てもインド人で、インドの言葉、インドの服装、インドの文
ルティ・ジョスコビッツ(Routie Joskowicz 1949年 - )はイスラエル生まれの評論家、フランス語講師。一橋大学・和光大学の各非常勤講師。別名、広河ルティ。ジャーナリスト広河隆一の元妻。本名、Ruth Joskowicz。 ホロコーストを逃れてフランス経由でイスラエルに移住したポーランド出身のユダヤ人を両親に持ち、熱烈なシオニズム教育を受けて育つ。1953年、フランスのパリに一家で移住。1968年、姉たちを追ってイスラエルに戻る。このときイスラエル北部のキブツであるキブツ・ダリヤで戦場カメラマンの広河隆一に出会い、広河の影響を受けて反シオニストとなる。 1970年3月から3ヶ月パリに滞在した後、日本に移住。フランス語講師となる。1981年、フランス国籍を離脱した上でルット・ジョスコビッツ・広河として日本国籍取得を申請するも法務省により「同化不十分」という理由で却下され、無国
43都道府県 ほぼ全国にPFAS関連企業/政府 企業名公表を拒否/山下議員が告発 参院環境委/EU全1万種超規制へ 日本3種のみ 飛行再開「極めて乱暴」/陸自オスプレイ 山添議員が抗議/参院外防委 生活保護停止を取り消し/津地裁が賠償命令/三重・鈴鹿 日常生活の車使用認める 能登半島地震 農漁業被害 支援を/紙氏、踏み込んだ対策求める/参院農水委 減税は献金の還付か/小池氏、大企業優遇を批判/参院財金委 労働条件の改善こそ/運送業界 改定案審議入り/衆院本会議で高橋氏が訴え 世耕氏ら4人証人喚問を/参院 4党国対委員長が会談 安倍派幹部ら6人も/衆院予算委理事懇 4党が申し入れ ASEAN 平和の地域づくりに共感/小池氏 「軍拡より外交努力を」/先崎日大教授 「安全保障 資するもの」/BSフジ番組 小池氏が議論 共産・立民・維新 45人出席を要求/衆政倫審幹事懇 日曜版24日号/報酬引き下
■■第1章:「反シオニズム=反ユダヤ主義」ではない ●「シオニズム」(別名 Zion主義)とは、パレスチナにユダヤ人国家を建設しようという思想である。聖地エルサレムの「シオン(Zion)の丘」にちなんで名付けられた。 現在のイスラエル政府の「シオニズム」は、人種差別的なイデオロギーと軍事思想に基づいているといえる。 (左)イスラエル(パレスチナ地方)の地図 (右)イスラエルの国旗 (左)聖地エルサレム=シオン(Zion)の丘 (右)エルサレム旧市街 シオニズム運動とは一般的に「ユダヤ人がその故地“シオン(Zion)の丘”に 帰還して国家を再建する運動」と解されている。ここでいう“シオンの丘”とは、かつて ソロモン神殿があった聖地エルサレムを中心にしたパレスチナの土地を意味している。 「シオニズム」に抵抗する人々 ●ところで、「反シオニズム」と「反ユダヤ主義」が全く同じものだと誤解している人
http://news.livedoor.com/article/detail/4109939/ http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090417/1239925575 自分はタバコは吸わないし、タバコの匂いは大嫌いです。「タバコ吸う奴なんてこの世からいなくなればいいのに」とかつては思っていました。 その一方で、自分は幼い娘を持つ親です。しかも、娘はいわゆる知的障害児です。 そんな子を持つ親として、赤木氏の記事に対しては極論だとは思わなかったし不快な気分にもなりませんでした。 実際、公共の場に幼い子供を連れていくと、少なからず「喫煙者を見る嫌煙家」のような目で見られるのですよ。いや、実際迷惑だしね。もう、ほんといたたまれなくなっちゃう。で、こんな肩身の狭い思いをきっとタバコを吸う人もしてるのだろうなって、最近考えるようになりました。 ブコメで「子育ては趣味なんかじ
子どもの頃、私は絵の才能があるという評価をされていた。幼稚園の先生が美術をかじっていて、「この子は天才だ!今すぐ専門教育を受けさせるべき」というようなことを言っていたらしいし、一応、全国的な絵画コンクールの賞ももらっている。大人になった今でも、これがさほど意味のないことだとは思ったが、父親はそれなりに私に期待をかけ、母親はただでさえ気難しい子どもだった私に、更に理解できない要素が増えることを嫌った。 母親は美術などが大嫌いだったらしく、絵とか工作とかの話をすると機嫌が悪くなった。私はなんとなくそれを学習し、なるべく普通の子になろうというようなことを考えた。とりあえず、友達に女の子の描き方を教えてもらった。この女の子は、ピンクの肌をしていたり、顔のパーツが自由な配置をしていたりするわけではなく、きちんとセーラームーンなり、アニメの女の子である。 しばらくして周りの期待を大きく裏切り、普通の絵
流石に長くなったので応答を三分割しました。 ⇒共同性ということ - モジモジ君のブログ。みたいな。 共同性は、民族性に基づいた共同性に限定してさえ、民族主義の専売特許ではありません。民族主義は多様な共同性の基盤を破壊するのと同時に、民族性に基づいた共同性さえ危機に晒します。 同意します。それは、民族主義が原理主義だからですが。発端となった「在日」の方のエントリが内容において原理主義的であったか、ということです。 民族主義を否定することは、民族性に基づく共同性を否定しているのだし、ひいては民族性を否定している。──sk-44さんはそのように考えておられるようですが、僕は民族性に基づく共同性を否定していません。否定することになってもいません。 民族主義を退けることには同意します。で、共同性を擁護することと、共同性の政治化を批判することは違うと書きました。しかし政治は共同性を要求する。これこそ、
ケ・ブランリ美術館(ケ・ブランリびじゅつかん、仏: Musée du quai Branly)は、パリ7区、セーヌ川のほとりのケ・ブランリー(ブランリー河岸)にある美術館である。ケ・ブランリー美術館とも表記する[2]。 ミッテラン時代の1995年より計画が開始され、2006年6月23日に開館した。 この美術館はアフリカ、アジア、オセアニア、南北アメリカの固有の文明・文化・芸術を扱っており、収蔵品は30万点に及ぶ[3]。 この美術館を構想したのは、「原始美術」(プリミティブ・アート)の研究者・コレクターで原始美術についての著書も出版していたジャック・ケルシャシュ(Jacques Kerchache)であった。彼がルーブル美術館に原始美術部門を開設させようと運動し新聞にもその必要を寄稿をしていた1990年、パリ市長のジャック・シラクと会い意気投合した。 シラクが大統領となると、ルーブル美術館に
『パレスチナの平和と“私たち”の役割 私たちは何者の視点から「歴史」を見るのか――岡真理講演録』 日本聖公会東京教区エルサレム教区協働委員会 発行 20060515 非売品,68p.+年表 ■日本聖公会東京教区エルサレム教区協働委員会 発行 20060515 『パレスチナの平和と“私たち”の役割 私たちは何者の視点から「歴史」を見るのか――岡真理講演録』,非売品,68p.+年表 ■目次 0 はじめに 1 60年目のアウシュヴィッツ/ヒロシマが私たちに問うもの 2 占領下パレスチナの現実 3 「遠いパレスチナ」とは何を意味するのか? 4 出来事の記憶――記憶される出来事とされない出来事 5 もう一つの9月――サブラー、シャティーラ 6 「ナクバ」――出来事の根源の根源にある「暴力」 7 「違法な」占領と「合法な」占領 8 結びに代えて――連累と歴史への応答責任 応答と質疑 資料 ■引用(発言
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く