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2009年8月7日のブックマーク (16件)

  • 酒井法子とは何だったのか - 漫棚通信ブログ版

    それにしてもNHKの19時のニュースでトップてのはどうなんだ。 一連の事件がどういう結末になるか、だれも知らない時点でもうしわけないのですが、「マンガ的には」酒井のりピーとは何だったのか。 酒井法子の顔、とくにその目がすべて。彼女の目は大きすぎず小さすぎず、まさに微妙なバランスで形成されています。 酒井法子が登場するまでは、日アイドルの目は大きければ大きいほど良いと考えられていました。また日マンガの女性キャラも、ひたすら大きい目をめざしていたのです。 ところが。酒井法子が登場し、その目を見たとき、日人はアジア人として理想の目の大きさを発見したのではないか。 彼女の目のバランスをマンガ化したのは、桂正和。彼が描くすべてのヒロインが、酒井法子です。 1990年代以後、酒井法子が香港、台湾中国で人気になったのも、彼女の顔の造作のためでしょう。わたしは、台湾イラストレーター、陳淑芬/平

    酒井法子とは何だったのか - 漫棚通信ブログ版
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    rrmmjjff 2009/08/07
  • 薬物依存、あるいは依存症一般へのこの社会の中の無理解 - 細々と彫りつける

    これから書くことは酒井法子のファンだからではない。むしろファンではない。最初にそう断っておく。それと依存症の専門家ではないことをおことわりしておく。 僕は槇原敬之のファンだ。もちろん彼が違法薬物所持・使用で逮捕されたことについては残念だったと思っている。 ただ、彼はよく復帰した。よくがんばったと思う。再び歌が聞けて僕はうれしかった。どのような治療が行なわれたかはわからないが。ただあれだけのマスコミや様々な風評による社会的制裁の中からよく戻ってこれたと思う。彼自身の責任であるとはいえ、実は薬物依存からの回復というのは大変難しいものだから。 そう考えると今回の酒井法子氏に関する報道も「酒井法子逮捕」といったり(実際はこれを書いている段階では逮捕状が出ているということ)先日までと打って変わって叩こうとしているだけである。この手のひら返しが酒井法子氏を罪の償いへと向けるものではないことは確かである

    薬物依存、あるいは依存症一般へのこの社会の中の無理解 - 細々と彫りつける
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    rrmmjjff 2009/08/07
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  • 2008-11-07

    引用部分を写経するのが一番面倒な作業だということが分かってきました。 こんにちは 後でプリントを配る それまでなんとなく雑談 てきとうにいく 今日は5回目くらいで一番たるんでくる頃 あんまり授業とかしたくなけどしょうがないからやる プリントがないと話もない 知ってる人は知ってると思うけどゼロアカ道場というのをやっている 批評家育成道場 最初50人くらい どんどん減っていく 最後残った1人に1万部のを出させる 1万部というのは結構すごくて印税で150万円くらい 明後日文学フリマ 秋葉原で年に一回行われる 10人を2人ずつ5チームに分けて同人誌を作らせて 点数と売り上げで高い3組が抜ける 一部で異様に盛り上がっている どう盛り上がっているかというと、ニコニコをみるとわかる 評論とは何だろう ふつうは作品があって、作品について批評するという感覚がある 文学が好きだから文学について批評 美術作品

    2008-11-07
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    rrmmjjff 2009/08/07
  • 「公共性」をめぐって(NULPTYX:石田英敬研究室)

    「公共性」をめぐって H. アーレント『人間の条件』、J. ハーバーマス『公共性の構造転換』、石川啄木『時代閉塞の現状』 1. 公共性とはなにか いま日政治状況のなかで、「公共性」は最も重要なイデオロギー的な争点になりつつある。「公共性とは何か」を正確に議論していくことは、「市民」と「社会」、「国民」と「国家」、「経済」と「市場」、「人間の権理」と「民主主義」、「政治」と「自治」、そして、「メディア」と「世論」など、私たちの生活の基的な価値の枠組みを、しっかりとした前提にもとづいて理性的に考えていくことにつながります。 (注:「権利」とは書かずに、私は、福沢諭吉にならって、英語の Rights や フランス語のdroitsのより正確な訳語として「権理」と書くことを提唱しています。「Rights」は決して「権力」の「利益(Interests)」のことではなく、「政治社会において

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    rrmmjjff 2009/08/07
  • ゾーニングあれこれ - shinichiroinaba's blog

    ゾーニングというか規制というか。 法治国家においては「そういうことするやつが少数ながら出てきてしまうことは仕方ないし根絶するわけにも行かないから何とかコントロールしたい」というときに大雑把に言って二つのやり方があって。 ひとつは正面から「そういうこと」を禁止するやり方。もうひとつはいわゆる「ゾーニング」、「悪場所」を作って「そういうこと」を囲い込むやり方。 後者は「法の下の平等」を旨とする法治国家にはなじみにくい。要するにこれは身分制の論理。「そういうこと」をしていい場所、していい人々を一般社会とは区別するという発想。これは囲い込まれた営み、そして人々に対する「差別」である一方、被差別者への「特権」の付与でもありうる。 おおっぴらに身分制であることを標榜し人々がそれを受け入れている社会においてならともかく、現代の法治国家、単一身分の市民社会にこのような身分的構造を持ち込むことは相応の緊張を

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    rrmmjjff 2009/08/07
  • 東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第4回(10/31) - メタサブカル病

    教室で、ゼロアカ第四関門まとめ記事を書いているid:noir_k氏に「やずや・三ツ野チームの同人誌でマンガを描いているのはid:nitarで間違いないのか」という旨を聞かれました。それは間違いありません! というわけで、『ケフィア』(目次はこちら)という同人誌に、「論者ハッタリたん」という1ページの愉快な漫画を描きました。これは11月9日に秋葉原で行われる文学フリマで500円で売られるものです。ブースはB-68です。文学フリマには自分も行くと思います。なお11月8日で25歳になります。この年齢には愕然としますが、おそらく自分は、さすがに10年後には偉大なクリエイターか何かになっていると思われるので、常識的に考えればこのはとても貴重なものとなるでしょう。やずやさんを始めとして、この同人誌に関わっている方々の多くも同様だと思うのだけど、それは言うまでもないことで、まあつまり、よろしくお願いし

    東浩紀「ポストモダンと情報社会」2008年度第4回(10/31) - メタサブカル病
  • 「思想地図」創刊記念シンポジウム「国家・暴力・ナショナリズム」を読んで

    「思想地図」創刊記念シンポジウム「国家・暴力・ナショナリズム」を読んで 眼病を患っております。 というと大げさですが、角膜びらんという症状で、目ん玉の表面の皮がかわいてズルっと一部むけてしまうのです。ドライアイみたいなもんを想像してもらえればいいでしょうか。寝ている時に目の中がかわくので朝起きるときまぶたを開けるのと同時に、ズルっといってしまうのです。その瞬間目に激痛が走ります。 半年くらいまえから2カ月に1度くらいのペースでくりかえしており、「再発性角膜びらん」などといわれています。まあ、そのまんまの名前ですけど。ふつうは朝だけでケロっとなおります。ごくたまにそこが炎症をおこすのかどうかわかりませんが1日中眼球を動かすたびに激痛が走る症状が続くことがあり、目のなかにガラス片を入れたような痛さです。 それでも痛みはふつう1日、長くても2日でおさまりました。ところが今回は2日ほどで痛みはひい

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    rrmmjjff 2009/08/07
  • 『公共性の問題を考』える—齋藤純一「公共性」を手がかりに』

    『公共性の問題を考える—齋藤純一「公共性」を手がかりに』 西洋史3回 大村陽一 はじめに ・     「公共性」というテーマの書での取り上げ方 「公共性」の問題の所在―「公共的空間」をハンナ・アーレントは「自由」と「排除への抵抗」とする。 「公共的空間」のない状態―公共性が失われた生「私的」⇒「奪われている」=他者の存在の喪失を意味する。 ユダヤ人という集合的表象⇒「場所なきき者」―公共的空間から「場所」を奪われた人々 ・     「公共性」という言葉の用語解説としての主要な意味合い 1.      国家に関係する公的なものという意味―official 国家の法、政策。 2.      特定の誰かではなく、すべての人々に関係する共通のもの―common 共通の利益、財産、規範、関心事 3.      誰に対しても開かれているという意味―open 誰もがアクセス可能な空間(公園)、情報(情

  • シャンタル・ムフ『政治的なるものの再興』序論・1章 レジメ - SOCIOLOGS

    慶應義塾大学政策・メディア研究科の大学院生。 専門は顧客情報の解析と地域活性化政策。 ライターもやっています。詳しくはAboutを御覧下さい。 シャンタル・ムフ 『政治的なるものの再興』 序論・1章レジメ ■ 概要 □シャンタル・ムフは、担当箇所において、左派の戦略の限界を指摘し、既存の諸条件のもとで質主義に陥らずにどのように多元主義的民主主義を実現できるか、ということを主題としている。まず、序論では思想的現状を確認したうえで、差異から出発するポストモダンの理論の有用性について言及している。次に1章では、ラディカル・デモクラシーの思想的背景について、主に旧来の左派の理論との相違点と保守主義的な理論との近似性の観点から説明している。 ■ 序論 闘争的多元主義にむけて □ 思想における冷戦の終焉 自由民主主義の勝利は、多元主義的民主主義への移行を期待させたが、実際には、「保守」

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  • 責任の無限性について - 地下にもぐる

    脱構築とプラグマティズム―来たるべき民主主義 (叢書ウニベルシタス)作者: ジャックデリダ, サイモンクリッチリー, リチャードローティ, エルネストラクラウ, シャンタルムフ, J. Derrida, Chantal Mouffe, S. Critchley, R. Rorty, E. Laclau, 青木隆嘉出版社/メーカー: 法政大学出版局発売日: 2002/07メディア: 単行『脱構築とプラグマティズム』というを読んだ。タイトルに端的に表れているように、デリダ(脱構築)とローティ(プラグマティズム)の対話の試みの記録である。編者のシャンタル・ムフ、討議に参加したサイモン・クリッチリーとエルネスト・ラクラウは、皆デリダ寄りの論者であり、彼らの批判に対してローティが応戦していくという流れになっている。ローティは孤立無援でありながら、かなりがんばっている。しかしむしろ面白かったのは、

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  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

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    rrmmjjff 2009/08/07
  • 相対主義は相対化できるか - A Road to Code from Sign.

    こないだの論争がらみでいろいろ見ていて、少し気になったことを。 まあ、しかし、こんな議論はすべて意味がないのです。なぜなら、いまのブログ環境においては、あることを主張したいときに、検索エンジンを駆使して自分に都合のいいようにデータを並べ、の一節とかをどっかから取ってきて、「ほらAはBだ」「AはBじゃない」と言うことはいくらでもできるからです(ぼくがやったのがまさにそういうことですw)。よく考えたら、そんなことは自明でした。 ポストモダン論とかネット社会論の一部で言われるようになったこうした現象は、実は割と根の深い問題なのではないかと思う。南京問題をはじめとして、ネットでは歴史問題やマスメディアの報道を巡って、それが「真実」か否かというアジェンダが持ち上がりがちだ。90年代に修正主義論争が持ち上がった際には明確に存在していた「戦後史観・的なもの」に対するカウンター、すなわち政治的立ち位置の

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    rrmmjjff 2009/08/07
  • 押尾学の名言を高田純次の名言に変えても違和感なし | SLPY

    押尾学の名言を高田純次の名言に変えても違和感なし http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1249474578/1 :以下、名無しにかわります:2009/08/05(水) 21:16:18.58 ID:tN+zUmlC0「君たちが今付き合ってる女は オジサンと付き合えないから仕方なく 君たちと付き合ってるんだよ。」 2 :以下、名無しにかわります:2009/08/05(水) 21:17:22.15 ID:tN+zUmlC0「ヒーロー不在のこんな時代だから、オジサンへの負担も自然とデカクなる」 3 :以下、名無しにかわります:2009/08/05(水) 21:18:17.09 ID:tN+zUmlC0「日のロックは聞くに耐えないね。モー娘の方がまだ聞けるよ」 4 :以下、名無しにかわります:2009/08/05(水) 21:19:09.0

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  • 生政治の誕生 - 池田信夫 blog

    書のタイトルから、生政治という言葉でよく語られる「監視社会」批判の類を想像する読者も多いだろうが、フーコーはこうした問題にはまったく触れていない。彼が主題とするのは、生政治のもっとも洗練された形態としての経済的自由主義であり、その代表はハイエクである。生政治と自由主義というのは、常識的には対極にあるように思われるが、フーコーが晩年の『知への意志』でも警告しているように、自由を抑圧からの解放と考えることは、ナイーブな左翼的錯覚である。逆に、自由主義はきわめて高度な統治技術を必要とするのだ。大いなる規律の技術、すなわち個々人の行動様式をその最も細かい細部に至るまで毎日規則正しく引き受けるものとしの規律の技術が発達し、急成長し、社会を貫いて拡散するのは、自由主義の時代と正確に同時代のことでした。[・・・]ここにおいて管理はもはやパノプティズムの場合とは異なり、ただ単に自由に対して必要な歯止めで

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    rrmmjjff 2009/08/07
  • 左翼、右翼、保守主義者 - good2nd

    について、稲葉振一朗『公共性論』に面白いアナロジーがあったのでご紹介。ちょっと長めの引用ですが。 (…)左翼は基的には、凶兆や福音を告げる預言者として現われる、とイメージしたほうがよいでしょう。となれば無神論者よりもその前提たる唯一神教徒こそが左翼のモデルにふさわしい、ということになります。(…) 大雑把に言えば、使徒たる左翼の福音に触れた者は、自らもまた左翼として同道者となるか、懐疑的な保守主義者となるか、あるいは反動形成して右翼となるか、のいずれかでしょう。その結果は左翼の福音戦略の巧拙にはもちろん、福音に触れる側の態度によっても、またその他人々の努力ではどうにもならない環境要因にも規定されるはずです。(…) ということでアナロジーを整理しますと、普通の土着宗教は書の用語法で言えば素朴な共同性であり、唯一神教と無神論とが公共性の地平で勝負を繰り広げているわけです。右翼とは公共性へと

    左翼、右翼、保守主義者 - good2nd
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    rrmmjjff 2009/08/07