イスラエルの商都テルアビブで12日、国際観光展が開かれた。第2次大戦中に多くのユダヤ人難民を救った「命のビザ」で知られる外交官杉原千畝にゆかりのある4県の6市町村でつくる「杉原千畝ルート推進協議会」を代表して岐阜県八百津町の金子政則町長らが参加。観光客の誘致に向け、地元の魅力をPRした。 観光展は13日まで。イスラエルは国民の多数がユダヤ人で、杉原の功績が広く知られており、出身地とされる八百津町などには多くのユダヤ人の観光客が訪れている。 9月には成田空港とテルアビブを結ぶ初のチャーター便が運航される予定で、両国の人的交流拡大につながることが期待されている。 金子町長は「杉原千畝のことをもっと知ってもらうため、イスラエルからの観光客をさらに呼び込みたい」と意気込んだ。 このほか、和歌山県と、東北6県を紹介するブースも設けられた。 (テルアビブ共同)
「命のビザ」植林が消失=杉原千畝記念碑も所在不明-イスラエル 2019年02月12日17時56分 第2次大戦中に「命のビザ」を発給し、多くのユダヤ人を救った故・杉原千畝(岐阜県八百津町提供) 【エルサレム時事】第2次大戦中に「命のビザ」でユダヤ人数千人を救った外交官杉原千畝(1900~86年)を顕彰し、イスラエル中部で植林された松など400本の少なくとも一部が消失し、現地に建立された記念碑も撤去され、所在不明になっていることが12日分かった。複数の関係者が明らかにした。伐採された可能性が高い。 〔写真特集〕杉原千畝氏 ナチス・ドイツの迫害からユダヤ人を救った杉原千畝はイスラエルで英雄視され、85年にイスラエル政府から「ヤド・バシェム(諸国民の中の正義の人)賞」を贈られた。中部ベトシェメシュ近郊で同年に行われた植林には、ビザ発給で一命を取り留めた人々やその親族が参加。植林支援のため、日本から
第二次大戦中にナチス・ドイツに迫害された多くのユダヤ人を救った外交官、故杉原千畝氏の功績をたたえ、ロシア極東にあるユダヤ自治州の州都ビロビジャンで8日、記念プレートを設置する式典が開かれた。 会場のシベリア鉄道の駅は、戦時中にユダヤ人が欧州からロシアを経由して日本に逃れる際、途中下車した地とされる。この日、ロシア語、日本語、英語、東欧ユダヤ人の母語のイディッシュ語の四つの言葉で書かれたプレートがお披露目された。 コロステリョフ市長は「杉原氏のおかげで、多くのユダヤ人の命が救われた歴史を私たちは語り継いでいく」と誓った。 同自治州は旧ソ連のスターリン時代、ロシア極東に「ユダヤ人の楽園」として人工的に設けられた。数百万のユダヤ人を欧州部に抱えたソ連が移住を促進した。ソ連崩壊後、大半がイスラエルなどに去ったが、現在も約1500人が住む。(共同)
第2次世界大戦中にナチスの迫害から多くのユダヤ人を救い、「日本のシンドラー」と称された外交官の杉原千畝(ちうね)(1900~86年)が晩年を過ごした鎌倉市で、市民グループ「鎌倉・杉原千畝さんを顕彰する会」が設立された。 市と関係の深い偉人の功績を広く内外にPRし、後世に語り継いでいこうと地元有志らが今夏から準備を進めてきた。杉原ゆかりの人々たちとの交流を図るとともに、杉原に関する講演会や展示会などを開催する予定だ。 杉原は岐阜県出身で、リトアニアの在カウナス領事館の領事代理当時、ナチスから逃れようと領事館に詰めかけたユダヤ難民へのビザの発給を続け、約6000人の命を救ったとされる。同様に多くのユダヤ人を助け、後に映画化もされたドイツ人実業家のオスカー・シンドラーとともに、その功績が現在では高く評価されている。 だが、政府の意向に反したことから帰国後は冷遇されたといい、藤沢市などに住んだ後、
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く