女子体操服の興亡描く 本書は、日本におけるブルマーをめぐる二つの謎を解明している。一つめの謎は、なぜ「一九九〇年以前の日本は、世界に類を見ないブルマー大国だった」のか。それは、「学校の体育の授業で、女子全員に対してブルマーの強制的な着用が義務づけられた」からなのだが、どうして、そんなことになったのか、である。 そもそもブルマーは、アメリカの女性解放運動の機関紙「リリー」の編集長だったアメリア・ブルマー女史が、一八五一年、友人のエリザベス・ミラーが考案した、短めのスカートの下にズボンを着用するスタイルを自分も取り入れ、機関紙でも紹介して普及に努めたことに由来する。このスタイルは女性解放運動の象徴となり、反対派からの非難やからかい、風刺の対象となり、ブルマー女史本人もわずか八年ほどで着用をやめ日常着として定着しなかった。 しかし一八八〇年代のアメリカでセーラー服と組み合わせて着用するブルマー型
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