大正15年に、シナ南部の広州で、すごい反英運動が起きた。 蒋介石の国民党が大衆を煽動しての対英経済絶交運動であり、英貨排斥運動であった。 当時から日本外務省は、ロクな仕事をしていなかった。日本政府には、シナで起きているこのような排外運動の糸を引いている者が誰であるのか、さっぱり分からなかった。むしろ、三井物産の上海支店の方が、事情には詳しかった。 排外運動は、北伐が進展すれば、英国ではなく日本をターゲットにするようになることは、現地の商社にはとうぜんに予測ができ、懸念された。シナの商圏が、英国資本は南支~中支、日本資本は中支~北支と、わかれているからだ。 問題は、シナ指導層の誰が大衆ボイコット運動を指揮しているのか、であった。幹部が分かれば、狙いも見当がつく。 そこで内務省(いまの警察庁)では、暴動の現地に若手を長期駐在させて排外運動調査に乗り出そうとした。 すると外務省が、自分の無能を棚