しばしば、Twitterで、ポエムをつぶやいている(だいたいにおいて、夜が深まった時間帯に)。 ぼくはたぶん元来、ポエティックな人間で、言葉や物語が持つ力に魅了されながら歳をとってきた人間であると自覚している。エモやポエムに対して臆面や羞恥は一切ない。ただこの数年、ある意味で人間性を捧げながら商業文章にコミットしてきたから、文学や詩に、渇望する揺り戻しが来てるのかもしれない。 夜のTwitterを眺めれば、ぼく以外にも(とりわけ経営者やクリエイターに多い?)ポエティックな風味が薫るつぶやきを見かける。あくまで肌感覚ではあるけれども、この1〜2年にかけてそうした潮流が目立つようになってきた気もする。 「人生は一度きりだからこそ、ラ・ラ・ランド的決定的分岐点がいくつも存在する。来年のいま振り返ったとき、『エモい』話として美談や甘酸っぱい話で回収して悦に浸るのか、どれだけダサかろうが、運命を主体
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