ブックマーク / chikataro5661.hatenablog.com (26)

  • 名刺の肩書を奪われるということについて - 街角のコミュニケーション

    会社の組織が変更になって大きく変わったことが3つある。オフィスビルが移転になったこと、フリーデスクになったこと、そしてもう一つは職制を示す肩書がなくなったことである。私たちには「課長」や「部長」など会社の役職を示す肩書と「デザイナー」や「〇〇ディレクター」や「〇〇プランナー」などの専門職制を示す肩書があった。名刺上にその肩書を記す場合にどちらを選択してもよかったのだが、元の組織のすべてのスタッフは職制を示す肩書を冠していた。当たりまえのことだが、職制を示す肩書は対外的に非常に大切な要素である。特に初めて仕事をする相手に自分を理解してもらったり、その後の業務を円滑にすすめることができる。自分の素性をソッコーで相手に知らしめることができる。近年、得体のしれない肩書は増えてきているにせよ、それ自体が話題になることもある。職制の肩書はコミュニケーションの入り口としてとても有効に機能するのだ。一方、

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    s-johnny
    s-johnny 2020/10/07
  • 名刺の断捨離 - 街角のコミュニケーション

    会社の引越と新しい職場環境がフリーアドレス化されることが決まったのは、今年の春先、3月のことだった。引越はともかく、私が困ったのはフリーアドレス化の方である。自分のデスクがなくなる。あらゆるものが電子化、データ化されようとも、私のようなアナログな人間にとっては「現物」の方が絶対的に扱いやすいし、信用できる。私のデスクは紙の書類や雑誌や小説、写真集などの書籍、名刺の保管場所でもあった。引越の7月までに、それらアナログの現物たちをどうにかする必要があったのだ。ちなみに新しい職場には個人ロッカーは用意されていたが、すべての現物たちを収納するにはあまりにも小さすぎる。必然的に現物の断捨離を余儀なくされる。私の場合、それらの現物は資料というよりもメモリーとしての感覚が強い。なくても業務に支障をきたすことはまずないのだが、それらにはその時々の仕事の思い出がつまっている。徹夜して書き上げた企画書や、頭を

    名刺の断捨離 - 街角のコミュニケーション
    s-johnny
    s-johnny 2020/09/19
  • ペットのネーミングセンス - 街角のコミュニケーション

    最近、動物病院に行く機会が増えた。娘(キャバリア・キングチャールズ・スパニエル12歳)が歳をとるにつれて、やたらと病気がちになったことで、週に一度の通院を余儀なくされている。娘の通う動物病院は毎回混んでいて、予約をしても30分や1時間待ちはざらである。受付を済ませ、待合室で診察の順番を待つ。待合室は、どこかを病んだ動物たちと献身的な飼い主たちでいつも溢れている。診察の順番が巡ってくると看護師に名前を呼ばれて診察室へ通されるのだが、呼ばれるのは動物たちの名前である、しかも飼い主の苗字を伴ったフルネームを大声で呼ばれるのだ。私はこの瞬間が好きだ。ペットにつけられる名前は飼い主のセンスの塊だと思う。そして飼い主たちの愛が込められている。それ自体は人間の子供に対する行為と同じであるが、対象が動物であるが故に多少奇抜な名前になることが間々ある。私は飼い主たちのペットへの愛情と背景を想像し、その一風変

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    s-johnny
    s-johnny 2020/09/09
  • ときどき、想うひと(三)鈴木くん   - 街角のコミュニケーション

    お前らもっと真面目にやれや!高校3年の夏、 体育館に怒声が響く。 男子バレーボール部キャプテンの鈴木くんの声だ。 最後の夏の大会を控えた練習中、 私のようにチンタラと気の抜けたプレーをしているチームメイトに 対し容赦なくハッパをかけてくる。 もともと強いチームではなかった。 地区の一部と二部を行ったり来たりしているようなチームであり、 部員一人ひとりの士気もそれほど高くない。そんななか、 鈴木くんは一人気を吐いていた。そして激しく浮いていた。 あの頃、何事もまじめにやるより、 多少ちゃらんぽらんな方がかっこいい、 なんて錯覚していたバカがチームメイトに何人もいたものだから、 キャプテンの苦労もかなりのものだっただろう。 私もバカの中心人物として鈴木くんにはたいへん迷惑をかけていた 。鈴木くんは、とてもまじめな人だった。成績もよく、 普段の生活態度も、部活に打ち込む姿もまじめだった。 私のよ

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    s-johnny 2020/08/12
  • ときどき、想うひと (二) 矢吹さん - 街角のコミュニケーション

    実質2浪を経て大学入学を果たした私がまず取り組んだのは、い扶持を確保することだった。親からの仕送りが期待できなかった私は、日々の生計はもちろんだが、入学金のために拵えた借金返済のために、アルバイト探しに奔走することになった。そして見つけたのが配膳業だった。一流ホテルのレストランや結婚披露宴におけるウェイターや給仕係である。高額な収入はアルバイトの域を超えていたが、仕事の厳しさもまたアルバイトの域をはるかに超えるものだった。お客さまを相手にする業務に失敗は許されず、プロの給仕係として必要なマインドとスキルを徹底的に叩き込まれた。矢吹さんは私が配属されたホテルのレストランで、私の教育係を買って出てくれた人物である。私の一回りほど年上の矢吹さんは、仕事においては、めちゃくちゃ厳しい人だった。ホールで失敗するとすぐにバックヤードに呼び出され、殴られることはなかったが、こっぴどく説教を受けよく泣か

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    s-johnny 2020/06/22
  • ときどき、想うひと (一)豊川さん - 街角のコミュニケーション

    大学の現役受験に失敗した私は、 半ば絶望しながら途方に暮れていた。 母子家庭の我が家に予備校に通えるほどの余裕はなく、 かといって独学で一年間の浪人生活を送る自信もなかった。 そんな私が選択したのは地元を離れて就職するということだった。 当時の私は、予備校にも通えず、 進学を諦める自分が負け犬のような気がしていたので、 とりあえず、 自分を知る人のいない土地へ逃げたかったのだと思う。 そして地元の職安に通い、5月に入って間もなく神奈川の平塚にあ る運送会社に事務職を見つけ、就職を決めたのだった。 世の中の同い年の多くが夢と希望に満ちた新生活を始めようとして いるとき、私は運送会社の独身寮に、 野良のような悲壮感をまといながら転がり込むことになったのだ 。会社の独身寮の住人のほとんどはトラックの運転手で、20代か ら50代と年齢層こそバラバラなものの、 みんな昔はやんちゃしてたと思わせるよ

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    s-johnny 2020/05/01
  • テレワークの日の自己嫌悪と感謝の気持ち - 街角のコミュニケーション

    弊社のテレワークが始まって2週間が経過した。 始まった当初は会計年度末ということもあり、 手掛けていた仕事の納品作業や、仕入伝票の処理など、 在宅であっても、やることはそれなりにあった。4月に入り新年度 がスタートすると、 緊急事態宣言による企業への自粛要請も手伝って、 クライアントやブレーンが続々とテレワークを開始しだした。 そして、明らかにすべての業務がスローダウンというか、 ストップしてしまった気がする。新しい案件も入ってこない。 こういうご時世なのだから仕方ないと思いながらも、 どうもソワソワと落ち着かない。なんだか焦燥感にかられている。 自分でも呆れてしまうのだが、世の中、 コロナウィルスによるさまざまな弊害が起きているのに、 それを承知していながら、 時間を持て余している自分をいちばん気にしているなんて、 なんと狭量なのだろう。ほんとに情けない。 この瞬間にも罹患して苦しんでい

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    s-johnny 2020/04/10
  • パンチを欲しがるブランドコンサルタント - 街角のコミュニケーション

    先日、クライアントとの打ち合わせの場で、 ブランドコンサルタントと会った。その打ち合わせは、 クライアントの新事業の立ち上げに伴うブランド開発をテーマにし たもので、 私の会社はいくつかのコンテンツ制作を請け負っている。 ブランドコンサルタントは見た目30代後半〜40代半ばの女性だ 。(後で調べたら43歳だった)率直に言って“冴えない人” が第一印象である。精いっぱい小ぎれいにしているが、 だいぶくたびれたネイビーのニットスーツ、 型落ちのショルダーバッグ、膨らんだ目の下の涙袋や、 深く刻まれたほうれい線が彼女の冴えなさと、 うさん臭さを際立たせていた。よくもまあ、 こんな奴に自社のブランディングを任せたものだ。極めつけは、 名刺に記されている、 こいつが代表取締役をつとめる会社名がダサすぎる。 ネーミングも、ロゴ化されたデザインも超絶にダサい。私は過去にも、 この手のコンサルタントと何度

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    s-johnny 2019/09/26
  • 誰にでも話しかける友人 - 街角のコミュニケーション

    9月最初の3連休は山へと出かけた。 約一年ぶりの格登山である。パートナーは35年来付き合いがあ る友人で、今回の登山の発案者でもある。 気の置けないナイスな漢だ。 友人は私のような年イチ登山のど素人ではなく、暇さえあれば、 しょっちゅう山に入る上級者。そんな友人の、 あくまでも私から見たら「奇行」 とも言える行動がとても気になった。 山でのコミュニケーションと言えば、 行き交う人びとの条件反射のような挨拶である。「 おはようございます」、「こんにちは」、「お気をつけて」、「 ありがとうございます」。 人びとは見ず知らずの他人と言葉を交わす。 挨拶に慣れていない私にとっては、 これだけでも十分に心地が悪い。 登山者の清々しいイメージを誰もが、 何の疑いもなく実践している。相手は人間のクズかもしれないし、 ど変態かもしれない。もしかしたら犯罪者かもしれないけれど、 そんなことはお構いない。私

    誰にでも話しかける友人 - 街角のコミュニケーション
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    s-johnny 2019/09/18
  • プレゼンの振る舞い - 街角のコミュニケーション

    私は人とのコミュニケーションが苦手だ。だからこそ、 苦手は苦手なりに、 どんな時でも円滑なコミュニケーションがとれるように心掛けてい る。それは、下手なコミュニケーションをとれば、 必ず自分に跳ね返ってくることを、身をもって学んだからだ。 要は自分のためである。会話でも、態度でも、 相手によほどの欠点がない限りは、相手を慮り、 相手と気持よく接することが大切だと思っている。 商談においても同様である。 私はクライアントになって相手の話しを聞く立場になることもあれ ば、スタッフとして話す立場になることもある。言い換えれば、 何らかのビジネスプランを提案される側か、提案する側か。 多少なりとも双方の立場が分かるので、どちらの立場に立っても、 それぞれの自分を思い浮かべ、それぞれの自分に投影しながら、 自分が痛い目にあったり、 失敗したりがないように対処することを身につけた。 私が提案される側に

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    s-johnny 2019/08/21
  • 「テレワーク・デイズ2019」終了 - 街角のコミュニケーション

    「テレワーク・デイズ2019」における、この会社のトライアル的な取り組みが先週の金曜日に終了した。2週間のトライアル期間中、私は3日の在宅勤務を体験した。最初はサボれるかな、なんて考えたけど、真面目にやってみるとなかなか良いではないか。大嫌いな上司や同僚と顔を合わせることもないし、下卑た笑い声を聞かされることもない。寝ぐせの髪のまま、Tシャツ、短パンスタイルで、煙草を吸いながら、自分のペースで作業ができる。案外、仕事がはかどるのだ。「こんなにだらしなくない」とフリーランスの方に叱られそうだが、ちょっとフリーランスの気分を味わえた気がした。性善説で成立する取り組みだとは思うけど、社員一人ひとりが己の裁量で、働き方を選べるなんて、実に成熟した会社っぽい。さあ、トライアルが終われば来週からは実用である。在宅勤務を行う場合、前日の正午までに電子書類で申請をあげ、上司の承認を得るという運用ルールがあ

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    s-johnny 2019/08/06
  • 「テレワーク・デイズ2019」はじまる - 街角のコミュニケーション

    今日7月24日は来年の東京オリンピック・パラリンピックの開会式のちょうど一年前にあたる日だ。この日を目指して、社会のさまざまな場面でテスト(実験)が行われている。首都高速が通行規制されたり、移動式の交番が繰り出されたり。交通渋滞の緩和も市民の安全確保も、対策はこういうイベントがないと進化しないのかな、と思う。私たちサラリーマンもまた、この実験の対象となっている。「テレワーク・デイズ2019」という。東京オリンピック・パラリンピックの会期中の交通混雑の緩和と働き方改革の推進を目的に国を挙げて取り組まれている。要は、電車やマイカーを利用して出社するのやめようじゃないか。という話である。じゃあ、会社の近くに住んでいる社員は、徒歩や自転車で出社すればいいんでしょ。とツッコミたくもなるが、そうはいかない。なぜなら、「働き方改革」という大義名分がくっついてるからである。例外は許されない。普段、電車通勤

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    s-johnny 2019/07/24
  • クロちゃんの番組企画と、日本人の群衆行動 - 街角のコミュニケーション

    先日、TBS系のバラエティ番組『水曜日のダウンタウン』の人気コーナー「MONSTER HOUSE」が最終回をむかえた。番組の終盤は生放送となり、視聴者参加で国民投票が行われ、コーナーの主役である安田大サーカスのクロちゃんが豊島園に設置された檻に収監されるという内容だった。まあ、ここまではあくまでも番組内の企画なので、視聴者がそれぞれ面白いか、面白くないかを勝手に判断すればいい。ところがこの企画には続きがあって、収監されたクロちゃんを一般公開した。豊島園はこのために園内を無料開放したのだ。けっこう深い時間にも関わらず、豊島園には多勢の人が殺到し一部が暴徒化したというのだ・・・。もう、死んでくんないかな。私が腹をたてている対象は、こんなくだらない企画をした番組ではない、この企画に無計画に乗っかった豊島園でもない。こんなアホ企画に煽動された群衆たちだ。厳密に言うと、煽動された挙げ句、集団となって

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    s-johnny 2018/12/28
  • 仕事のできない店員と、いい客と - 街角のコミュニケーション

    学生時代は都内の高級ホテルで配膳の仕事をしていた。学校そっちのけで働いた。結婚式披露宴をときどき組み込んで、レギュラーでレストランのウェイターを週5のペースでしていた。私が考える“サービス”の基礎となる経験である。30年前、当時の時給は1,200円。旨味もあったが、その分、厳しさも相当であった。仕事仲間には、生粋のフリーターから、学生、売れないミュージシャン、劇団員、パティシエ崩れ、資金稼ぎの起業家などなど様ざまな人がいて、年齢も10代〜50代と幅広かった。ある意味、人種のるつぼか、かの懐かしのアニメ番組 “アパッチ野球軍”のような有象無象の集団であった。ただ、誰もがウェイターのプロとしての意識を徹底的に叩き込まれており、みんな仕事ができる人だったことを覚えている。どんな局面でもミスやトラブルは許されないという空気があった。「給仕のプロなんだろ?正社員よりいい給料もらってんだろ?俺たちは

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    s-johnny 2018/12/26
  • あおり運転裁判に感じること - 街角のコミュニケーション

    東名高速あおり運転裁判のニュースを見ていて感じることがあった。両親を失くした娘さんが悲痛な思いで語ったのは「注意しただけでそこまでキレる、怒ってしまうということが不思議だと思う・・・」確かにそうだろう。私は、この加害者はうんこみたいなやつで、生きる値打ちもない奴だと思っている。この国の司法制度の隙間を見つけてでも、できる限りの厳罰がくだることを望んでいる。ただ、なんとなくこのうんこ野郎が理解できてしまうのだ。共感ではなく、あくまでも理解だ。この事件はパーキングエリアで、被害者の父親が、うんこ野郎を注意することに端を発している。「邪魔だ、ボケ」。仮にうんこ野郎の言うことが真実だとすると、この注意のし方、ともすると言葉の選び方が原因だったことになる。こんなうんこ野郎だからクラクションを鳴らされただけでもキレたかもしれないし、穏やかな口調で「通してもらえますか」と言われただけでもキレていたかもし

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    s-johnny 2018/12/06
  • 臨床心理士になった友人のアドバイス - 街角のコミュニケーション

    先日、臨床心理士の友人と飲んだ。この友人はもともと会社の同僚で、いまの私と同じような仕事をしていた。40歳を迎えようとした頃、突然会社を辞めて大学に再入学を果たし、心理学を学んだ。その後、大学院まで進み、卒業してから50歳で臨床心理士になったという異色の経歴の持ち主だ。因に女性である。彼女曰く、歳をとればとるほど他人に「隙」を見せるコミュニケーションが大切なのだそうだ。その方が他人から愛されると言うのだ。分からなくはない。確かにいつも眉間に皺を寄せて、重箱の隅をチクチク突いているような年寄りは、決して他人から好かれはしないだろう。年齢に関わらず、よく「可愛げのある人」のような表現をすることもあるが、こういう人は存在する。私の人生にもこういう「可愛げのある人」は確かに存在した。どこかに隙があり、何かにつけて周りからいじられる。いじられた彼らはというと、屈託のない笑顔を振りまきその場の空気を浄

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    s-johnny 2018/11/26
  • とあるクライアントの節度 - 街角のコミュニケーション

    いま、ある企業と仕事をしている。私の会社はこの企業の広告、宣伝業務を請け負っている。言わばクライアントと業者の関係である。私個人としては、約5年ぶりに担当をつとめる。この企業は電力、エネルギーをドメインとしていて、昨今の社会事情から言うと決して溌剌と商業経営に打ち込めるような雰囲気にはない。かわいそうだと思う。それはこの企業が私のクライアントだからではなく東日大震災以降、この手の企業が十把一絡げで「ヒール」として取り沙汰されることに不条理を感じるからである。私はこの企業が好きだ。私がこの企業のことをどれほど理解しているのかは分からないが、業務を請け負うくらいに必要なことは知っているつもりだ。この企業のポリシーやテクノロジーにCSRなど、感心させられることは山ほどある。これはあくまでも私の主観だが、とにかく生真面目で実直なのだ。チャラついた要素がひとつもない。それは「不器用ですから」とコマ

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    s-johnny 2018/11/09
  • 坊主憎けりゃ袈裟まで憎いという概念は確実に存在するし、かなりめんどくさい。 - 街角のコミュニケーション

    坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。ということわざがある。はじめから負の連鎖が確定しているという理不尽な概念だが、こういう概念に囚われて、どうしようもなくなるのが人間なのだと思う。とある記事では「パブロフの犬」を引用して「坊主憎けりゃ〜」を解説していた。条件反射、というわけである。まあ、そうなのだろう。仲間とのコミュニケーションに失敗する→次第に周りとの関係が険悪になる→何気ない行動でもことごとく悪意に受け取られる→ますます周りから疎外される。というものである。ちょっとわかりづらい。コミュニケーションに失敗し、自分が周囲から嫌われたり疎外されたりすることが前提となっている。だが決してそれだけではないと思う。だって、私にはコミュニケーションがなくても、自分が疎外されていなくても絶対的に嫌いな奴はいるし、そいつのやること、なすことのすべてを私の意志で全否定している。いずれにせよ、暮らしていてメンドクサイ

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    s-johnny 2018/10/23
  • 愛犬の緊急事態とクソじじいの老害 - 街角のコミュニケーション

    会社から帰宅すると家内の機嫌が悪い。 理由を聞いてみると、良くないことが重なった一日だったと言う。 一つ目は愛犬が原因不明の出血をしたこと。 慌てた家内は、急いでかかりつけの動物病院へ電話し、当日の診察を予約した。 動物病院へはバスを2つ乗り継ぎ40分かかる。家内は愛犬をケージに入れ、バスに乗り込んだ。 二つ目の良くないことはこのバスの車中で起きた。 家内がケージを膝の上に抱え着席していると、途中の停留所から乗車してきた高齢者が 家内に向かってこう言ったらしい。「わ、犬がいる、クッセー」。 あまりの唐突さに家内は唖然とし、やがて激怒したが それよりも愛犬のことが気がかりだったのだろう、それ以上この高齢者と絡むことはなかった。 あぁ、私が居合わせていればよかったと思った。 どこのクソじじいか知らんが、私なら即ギレする。キレたかったぁ。 こいつがどんなに犬嫌いだとしても知ったこっちゃない。 健

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    s-johnny 2018/07/21
  • 礼儀正しい地元の女の子に感心させられる - 街角のコミュニケーション

    先日、近所のスーパーへ買い物に出かけた時のこと。 スーパーへは、この辺りの鎮守さま(神社)を通って行くルートが 近道なのでよく利用している。 この日もいつも通り、鎮守さまを抜けようとしていた。 参道へと続く鳥居の手前に差し掛かると 前を小走りする一人の女の子に気がついた。 背格好からして、小学校の低学年だろう。 鎮守さまの境内には近所の子どもたちが遊べるほどの 小さな公園が備わっていて、この女の子もきっと公園に遊びに行くのだと思った。 女の子との距離は20メートルほど。 私は何となく、公園へと急ぐ女の子が、勢い良く加速して 鳥居を駆け抜ける姿をイメージしていた。 けれど女の子はスッと立ち止り 参道に正対すると丁寧にお辞儀をしてから鳥居をくぐった。 しかも当たり前のように、ごく自然に。 その一連の所作が可愛くもあり、美しくもあり、すっかり見とれてしまった。 よほど親の教育がいいのか、学校の教

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    s-johnny 2018/07/18