[アップルの追悼ビデオ:Apple] スティーブ・ジョブズが逝ってはや1年。 ジョブズを話題にすることも、ジョブズについて書かれたものを紹介することも減った。 その分、ブログの更新頻度も減った。 アップルのニュースを追いかける日常に変わりはないが、日本語にして紹介する数はめっきり減ったように思う。 アップルファンの心に火をつける、そんなジョブズの話題が減ったことが大きな原因だ。(もちろん歳をとって体力が衰えたこともある。) 自分にとってジョブズはそれほど大きな存在だった。 アップルサイトの追悼ビデオはいい出来だと思う。 ヨーヨー・マが奏でるバッハの無伴奏チェロ組曲第1番をバックにジョブズの語りが綴られていく。 久しぶりにジョブズと正面から向き合った気がする。 ジョブズの晩年にはたくさんの記事を紹介した。いちばん心に残っているのは実の妹 Mona Simpson の追悼記事だ。 こんな心に響
Jobsが亡くなってしまって大変残念であるがAppleは引き続き頑張ってほしいものである。 Jobs氏と直接話したのは2006年の面接のときだけなのだが、 その時のメモを書いてみる。 iPhoneに関する情報が全く外部に出てなかったときの話である。 日時 2006/5/4 参加者 J: Steve Jobs F: Scott Forstall (iPhone開発責任者) M: 私 話の流れ ジョブズ登場! 報道とかで見るの同じ印象。調子が良くてスマートな感じ。 J: 「やぁトシ(握手)! 遅れてゴメン。滅茶苦茶面白いプロジェクトの打合せをしててネ。」 J: 「中身は言えないけど、Mac、iPodの次の柱となる大きなプロジェクトなんだ。」 J: 「君なら一瞬でも見たらその強烈さを理解すると思うョ」 J: 「日本語の入力とかは結構鍵になるんだ。でもこれまでのより格段によくなるんだけどね」 J:
[Farewell to a Genius: The Life and Times of Steve Jobs | Created by Infographic World] 「天才よさらば:Steve Jobs の一生とその時代」と題されたインフォグラフィック。 大変な労力をかけた力作であることは分かるのだが・・・ インフォグラフィックを紹介するときに感じるあの無力感はなんだろうか? Infographics とは「information graphics」(画像+情報)のことだ。なのに画像の部分が圧倒的すぎて、文章による情報の部分が影が薄くなってしまったような・・・ 文章で書かれたものなら、その細部にわたって原情報に遡ってチェックすることができる。インフォグラフィックではそれすら必ずしも容易ではない。 パイオニア探査機に搭載された金属板インフォグラフィックはここまで「圧倒的」ではなかっ
[How Steve Jobs Stole the GUI from Xerox | YouTube] アップルファンなら誰でも知っているビデオがある。例のマイクロソフトを散々こき下ろすビデオだ。 それは失われたと思われていたインタビュービデオの一部だった・・・ Wired.com: “Steve Jobs: The Lost Interview Heads for Theaters” by Hugh Hart: 04 November 2011 * * * 紛失したと思われてきたビデオ 元アップル社員だった Robert Cringely が PBS のために 1995 年に行なったインタビューで、Steve Jobs はマイクロソフトのことをこき下ろす。放映されたのはたった10分足らずで、「Triumph of the Nerds: The Rise of Accide
A Sister’s Eulogy for Steve Jobs モナ・シンプソン (Mona Simpson) 2011年10月30日 私は母子家庭の一人っ子として育てられました。 貧しかったので、そして父はシリアからの移民だと教えられていたので、 父については、オマル・シャリフのような人ではないかと想像していました。 裕福な人であればいいなと、いつか私たちの(いまだに家具も揃っていない)家に迎えに来てくれればいいなと思っていました。 のちに面会したとき、私は、父は理想に燃える革命家で、アラブの新世界を導く人だったのだと、 だから転送先を残さずに住所を変えてしまったのだと思い込もうとしました。 私はフェミニストでありながら、自分が愛せる、自分を愛してくれる人を長いあいだ探していました。 二十数年間、父がその人なのだろうと思っていました。 25歳になってその人に出会いました。 それが兄でし
10月5日に逝去した巨人、スティーブ・ジョブズのトリビュートイベント「NeXT tribute to Steve Jobs」が、10月30日、恵比寿・リキッドルーム全館を使って開催された。 イベントはコンピューマのDJでスタート。開始より1時間後には、1階・リキッドルームで、津田大介、井口耕二(公式伝記「スティーヴ・ジョブズ」翻訳者)、竹中直純(OTOTOY)、林信行(フリージャーナリスト)、松村太郎(慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問))によるトークライブが行われた。ジャンルを飛び越えた様々なエキスパート達による、それぞれのジョブズとの関わり、エピソード、Apple に対する思いなど、熱い内容のトークセッションとなった。その後はDJライブに。砂原良徳、DJ JIMIHENDRIXXX(a.k.a.渋谷慶一郎)と続き、トリをつとめたのがOL Killer。そのパフォーマンスに、会場は大
[Jony Ive at Apple Celebration – 19 October 2011] アップル追悼式での Jonathan Ive のスピーチに心を動かされたひとは多い。 後になっても読めるようにと Geoff Coffey が追悼スピーチの全文を掲載しているので、改めてご紹介。 Posterous: “Jony Ive’s Steve Jobs Eulogy” by Geoff Coffey: 26 October 2011 * * * くだらんアイデアだが Steve はよく私にいったものだ。(それも一度や二度じゃない。)「ヘイ、Jony。くだらんアイデアだが・・・。」 確かに実にくだらないときもあった。ひどすぎてどうしようもないこともあった。しかしときには部屋中がシーンとして、2人とも完全にことばを失ってしまうこともあった。大胆かつクレージー、そして素晴
表紙担当の南です。スティーブ・ジョブズに関するエントリーが2日間続いていますが、今日もジョブズに関する話を書かせていただこうと思います。 私がジョブズの死を知ったのは、1月号(11月25日発売)で特集するMIT...表紙担当の南です。スティーブ・ジョブズに関するエントリーが2日間続いていますが、今日もジョブズに関する話を書かせていただこうと思います。 私がジョブズの死を知ったのは、1月号(11月25日発売)で特集するMITメディアラボの取材のために、ボストンを訪れていたときでした。ボストン美術館でメディアラボのトッド・マッコーバー教授の講演を聞いていたとき、ふと眺めたツイッターのタイムライン上にその悲報が流れ、一瞬信じることができませんでした。 それはボストン時間で5日水曜の夜20時くらいでした。そして、その翌々日の金曜の昼に立ち寄った書店では、すでに若き日のジョブズを表紙に掲載した「
長い間謎とされたきた、スティーブ・ジョブズ氏の愛車にナンバープレートが付いていない理由が明らかになったようです。[source: iTWire ] ジョブズ氏が、愛車のメルセデスベンツSL55AMGにナンバープレートを装着しないまま公道を走っていることは有名ですが、その理由については諸説あるものの、いずれも決定打に欠ける内容でした。(写真は筆者が2010年6月にアップル本社前で撮影したもの) 例えば、アップルの共同設立者・スティーブ・ウォズニアック氏によると、ジョブズ氏はプライバシー上の懸念から、ナンバーの代わりに小さなバーコードのシールを貼る、という特別の許可をカリフォルニア州のDMV(陸運局のようなところ)から得ているというもの。 これはDMVのスポークスマンが以前より、「たとえ州知事であっても特例は設けない」としており、現実的でないように思われます。 伝記の著者、ウォルター・アイザッ
[Good artists copy, great artists steal.:image] Steve Jobs の Android に対するむき出しの憎悪には驚かされる。 Jobs 自身、かつて次のような言葉を引用したことがある。 「良いアーティストはマネするだけだが、偉大なアーティストは盗む」 “Good artists copy, great artists steal.” 都合のいいときは「盗む」といい、都合が悪くなると「盗まれた」といって怒るのは偽善的ではないかというひともいる。 この話を理解するには Jobs の引用したことばの意味を理解する必要があると Brian Ford はいう。 me & her: “Great artists steal the future” by Brian Ford: 21 October 2011 * * * アップルが盗ん
[”Steve Jobs” by Walter Isaacson:image] Jobs の公認伝記本もいよいよ二、三日うちに発売される。 作家の Walter Isaacson がテレビ出演したり、AP が概要を漏らしたりで、つい注意がそっちへ向いてしまう。 なにしろ、次のような下りがあるというのでは、見過ごすわけにはいかなくなる。 AP: “Jobs questioned authority all his life, book says” by Rachel Metz, Barbara Ortutay and Jordan Robertson: 20 October 2011 * * * Android は潰してやる 「この不正を正すためなら、もし必要なら自分が最後の息を引き取るまで、さらにアップルの 400 億ドルの貯金すべてをはたいても、この不正を正すのに使うつも
多くの人が、Steve Jobs氏から学べることについて説明してきた。しかし、それらの人々のうち、実際にAppleに在籍し、同氏とともに働くことがどういうことなのか直接に経験した人はほとんどいない。筆者は1つの教訓も失われたり、忘れ去られたりしてほしくはない。そこで、筆者がJobs氏から学んだ教訓から、最も重要な12個を以下に紹介する。 1. 専門家は何も分かっていない 専門家、すなわちジャーナリストやアナリスト、コンサルタント、銀行家、権威者たちは自分では何も「なし得ない」ので、「アドバイス」をする。専門家は製品の欠点を指摘することはできるが、偉大な製品を作り出すことはできない。専門家は何かを売る方法について語ることはできても、自分自身でそれを売ることはできない。専門家は素晴らしいチームの作り方を説明することはできるが、自分たちが管理できているのは秘書1人だけだ。例えば、1980年代中ご
《Update:メモリアルの様子》 [スタンフォード Memorial Church:photo] スタンフォードの大学新聞 Stanford Daily が非公式に行なわれた Steve Jobs メモリアルサービスについて次のように報じている。 Stanford Daily: “Jobs honored at MemChu service” by Ivy Nguyen and Ileana Najarro: 17 October 2011 * * * シリコンバレーのトップリーダーや故 Steve Jobs の友人たちは日曜夜地元のテクノロジーの巨人を追悼するため Memorial Church に集った。Jobs は膵臓がんとの長い闘いの後10月5日に56歳の若さで亡くなった。 Top Silicon Valley leaders and other friends
[アップル本社ビル:photo] Jobs について書かれた小文のひとつ・・・ plucky tree: “The last time I saw Steve Jobs” by Christopher Hynes: 07 October 2011 * * * 小さな出来事 1999 年4月から 2011 年7月まで私はアップルで働いた。これまでひとに話したことはないけれど、いつも思い出すある小さな出来事について(とくに重要なことではないが)お話したい。 I worked at Apple from April of 1999 through July of 2011. I’ve never written publicly about that experience, but I wanted to share a little moment that will alway
[三宅一生をマネした・・・:photo] すっかりトレードマークとなった黒のタートルネックをなぜ Steve Jobs が愛用するに至ったか、Walter Isaacson の伝記本の一節を Gawker が紹介している。 Gawker: “Steve Jobs on Why He Wore Turtlenecks” by Ryan Tate: 11 October 2011 * * * 三宅一生をモデルにして 2週間後に発売される Isaacson の伝記『Steve Jobs』によれば、アップルの従業員に制服を着せようとしたボスの試みはブーイングで退けられたという。そこで Jobs は有名デザイナー三宅一生が着ているものをモデルにして作った個人用制服に甘んじざるを得なかった。 […] According to Isaacson’s book Steve Jobs, du
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