SOW@ @sow_LIBRA11 「西部警察」ね、これはもう現代では制作不可能と言われているんですよ。予算的理由やコンプライアンス的なものもありますが、もう当時と今では安全基準が大きく違うので、やりたくてもできんのです。 pic.twitter.com/ZLp6fhHjCl
SOW@ @sow_LIBRA11 「西部警察」ね、これはもう現代では制作不可能と言われているんですよ。予算的理由やコンプライアンス的なものもありますが、もう当時と今では安全基準が大きく違うので、やりたくてもできんのです。 pic.twitter.com/ZLp6fhHjCl
時代劇 - Wikipediaの内容を整理する。 1910年代。日本映画草創期。歌舞伎の演目を題材にしたり、歌舞伎役者を引っ張ってきたりしたので、自然と時代劇が増えた。尾上松之助がスターとなる。 1920年代。映画業界が軌道に乗り、各社が時代劇スターを擁するようになる。阪東妻三郎や嵐寛寿郎、長谷川一夫などが登場する。 1930年代。トーキー映画への移行。戦前の映画黄金期であり時代劇の黄金期でもある。 1940年代、戦時中は検閲、戦後すぐはGHQの禁止により、映画(時代劇)が作りづらくなる。 1950年代。GHQに禁止された反動で時代劇映画が増加。 1960年代。ここで一気に映画からテレビドラマへの転換が起きる。 1970年代。著名な時代劇シリーズが始まる。時代劇の第二次黄金期と言える。1966年銭形平次1969年水戸黄門最も有名なナショナル劇場のもの1970年大岡越前1970年遠山の金さん
毎年億単位の寄付金を集めているにもかかわらず、厳しい批判にさらされている番組がある。チャリティー番組の『24時間テレビ』(日本テレビ)だ。 以前から存在した、出演者に出演謝礼が支払われることに疑問を呈する言説に加え、近年では番組が、健常者を感動させたり、やる気を出させるために障害者を利用する「感動ポルノ」にあたるとする言説も増えている。 私、ダブル手帳は1993年生まれの脳性麻痺・発達障害当事者だ。アニメファンであることや、就活における自身の経験から、メディアにおける障害者の描かれ方について興味を持ってきた。 言うまでもなく、障害者が普段のテレビ放送に登場することは、ごくごく少ない。『24時間テレビ』は年に1度、障害者の存在がテレビで大きく取り上げられる機会である上に、いまだ15〜19%の視聴率を誇る人気番組でもある。 この番組を生み出した人は、一体どういった考えを持って、番組を企画したの
katsumakazuyo.hatenablog.com 先日お話しした通り、テレビに出るのを、特にバラエティ番組を辞めることにしました。 この問題は本当にここ数年間悩み続けていて、やっと決意がついたので、さっぱりしました。実際に辞めてから2週間弱が経っていますが、びっくりするぐらい心も晴れ晴れしたし、生産性も上がりました。 なぜ晴れ晴れしたかというと 「なるべく多くの人の好感度を上げる」 「自分がやりたいことやしたいことではなく、周りの人がこちらにしてほしいことを演じる」 という世界から一切足を洗うことができたからです。 私自身、自分ではしたいようにしかしないし、それでテレビその他の仕事がなくなればそれはそれでいいやと思ってやっていたつもりだったのですが、それでも、はじめからゼロであるということを前提に生活や仕事をするということと、多少は仕事としてくるかもしれないということを考えながら仕
本稿を書くきっかけとなったのはある飲み会だった。 私は仕事仲間の映像プロデューサーと、在京キー局の社員である20年来の友人と3人で飲んでいた。仕事柄3人ともドキュメンタリーが好きで、最近観たドキュメンタリー番組や映画の話で盛り上がった。最初は楽しく飲んでいたのだが、不穏な空気が流れだしたのは、東海テレビが制作した「さよならテレビ」の話題になってからだった。 「あの番組はありえない」「放送したことには大きな意味がある」 キー局の社員が、「あの番組はありえない」と批判を始めた。それもかなり強い口調で、全否定と言ってもいい論調だった。彼は話しだしたら番組を思い出して「また怒りが沸いてきた」とまで言い出した。私が「あの番組はすごい作品だった。放送したことには大きな意味がある」と反論すると、火に油を注いだようで、さらに強い言葉で言い返してきた。私も腹が立ち、冷静な議論ではなく、口ゲンカのような状態に
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