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歴史と宗教に関するs_shisuiのブックマーク (3)

  • 日本の神々 - 情報考学 Passion For The Future

    ・日の神々 日のカミの原型とは何かの源流をたどる。日には弥生時代から8世紀の古事記・日書紀成立までの1200年以上のアンドキュメンテッドな豊穣な歴史がある。それが記紀成立時に国策イデオロギーによって大きく変容した。さらに後代の神社神道、国家神道によって改変される過程で古来の要素はどんどんそぎ落とされていった。著者はその歴史の流れを逆流すべく、奄美・沖縄の古い神話からアイヌの神の世界まで、記紀以前の日の神々の姿に関する手がかりを収集して、日の神の原型を追究する。 「日の神の源流をたどってみると、西洋の神にみるような、意志をもち人格をそなえた存在からはなはだ遠いものをカミと呼んでいるいことを知る。居宣長は「可畏きもの」をカミと言った(「古事記伝」)。」 「原初的なカミは非人格的、非意志的であってむしろタマと呼ぶにふさわしいものであった。「霊魂そのものにはそれ程はっきりと思慮記憶

  • 日本語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで - 情報考学 Passion For The Future

    ・日語に探る古代信仰―フェティシズムから神道まで 「日の古代信仰のもっとも中心的な課題は、霊魂の観念であり、それも遊離魂よりはむしろ霊力、呪力の観念であるが、日の学界ではこの種の霊魂観念に関する問題意識が乏しく、そのために呪術・宗教のもっとも基的な概念である「神聖」ということも、清浄なことと解して疑うことなく、賀茂祭のミアレ木や阿礼幡など、各種の儀礼に用いられる呪物も、神の依代だとする誤解が常識化している」 著者は古代の儀礼、神話、歌を資料として、霊魂と呪物・呪術に用いられた言葉を分析し、古代人の宗教意識を解明していく。最初に取り上げられているのは霊魂(タマ)の観念の分別である。古代語には呪力霊力(マナ)を表すタマと、遊離霊としてのタマがあるという話。 魂という言葉はタマシヒ(タマ=霊魂、シ=の、ヒ=霊力)からきている。平安の頃の用法ではタマシヒは霊力であり霊威であり、生まれつきの

  • ちょっとだけ - finalventの日記

    まネタなんだろうけど⇒日が特定アジアと分かり合えない最大の理由は宗教観である。|おはら汁(緊急避難場所) 1.日は聖徳太子の時代に、すでに独立国家として中国と対等に渡り合おうとしていた。 2.足利義満という 『負のサプライズ的人物』 や、アメリカ軍による占領はあったが、それを除けば日は有史以来 『独立国家』 の立場を守り通している。(足利義満のヤバさは各自ググれ) 3.日には数えたらキリがないほどのオリジナル文化が残っているが、朝鮮半島にはそれがない。何故なら中国と一体化しようとするあまり、『中国にない物は下等な物』 とみなし、自らの手で全て破壊し尽してしまったからだ。 4.日は宗教にしても文化にしても、大陸や半島から伝わったものを鵜呑みにしたことは一度もない。必ず日人の感覚にフィットする形に作り変え、結果として原形とは全くの別物にしてしまった。 聖徳太子は実在人物であるこ

    ちょっとだけ - finalventの日記
    s_shisui
    s_shisui 2007/03/08
    「朝鮮半島史の不幸な状態については日本人はもっと同情的に考慮すべき。」←最近そう思うようになってきた。
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