Jobsが亡くなってしまって大変残念であるがAppleは引き続き頑張ってほしいものである。 Jobs氏と直接話したのは2006年の面接のときだけなのだが、 その時のメモを書いてみる。 iPhoneに関する情報が全く外部に出てなかったときの話である。 日時 2006/5/4 参加者 J: Steve Jobs F: Scott Forstall (iPhone開発責任者) M: 私 話の流れ ジョブズ登場! 報道とかで見るの同じ印象。調子が良くてスマートな感じ。 J: 「やぁトシ(握手)! 遅れてゴメン。滅茶苦茶面白いプロジェクトの打合せをしててネ。」 J: 「中身は言えないけど、Mac、iPodの次の柱となる大きなプロジェクトなんだ。」 J: 「君なら一瞬でも見たらその強烈さを理解すると思うョ」 J: 「日本語の入力とかは結構鍵になるんだ。でもこれまでのより格段によくなるんだけどね」 J:
「大辞林」「ウィズダム英和・和英辞典」など斬新なユーザーインタフェースを持つアプリで高い評価を受け、日本を代表するiPhone・iPadアプリの開発者である物書堂の廣瀬 則仁氏に、原稿を寄せてもらった。 いつかこの日はやってくると覚悟はできていて、そのとき自分は割と平気でいられると思っていたけど、スティーブ・ジョブズ氏の実際の訃報に接し、想像していた以上の喪失感に襲われました。 この大きな喪失感はどこからやってくるのかを考えている時に、仕事場にぶら下げてある“Macworld Tokyo 2002 Keynote”と書かれたバッジが目に留まりました。 このバッジは、私がリーダーとして開発していたソフトが、Macworld Tokyo 2002 Keynoteでデモされたときの関係者用バッジです。いつもお守りとしてこのバッジを仕事場にぶら下げていますが、バッジの向こうにはいつもスティーブがい
春は新しいことがスタートする季節、 入学、就職、あるいは進級など 環境が大きく変わる人も たくさんいるのではと思います。 きょうは、 そんな人にぜひ聞いてほしい スピーチです。 ニューヨークで生活していたとき、 通勤の途中に アイポッドでよく聴いていたスピーチがある。 有名なスピーチのひとつに数えられているので、 触れたことがある人も少なくないだろう。 2005年6月、 アメリカのスタンフォード大学の卒業式でのことだ。 ゲストとして招かれたスティーブ・ジョブズが、 卒業生たちに向けて、 感動的なスピーチを行った。 スティーブ・ジョブズについては もう説明する必要はないだろう。 大学を中退後、スティーブ・ウォズニアックとともに 20歳でアップル社を設立、 歴史を変える画期的な パーソナル・コンピューターを開発した。 アップルのパソコンは何より美しいことで知られ、 クリエーターなどから熱狂的に
2011/10/5 (水) にアップルの創設者であり会長だったスティーブ・ジョブズが亡くなりました (56歳)。世界中が悲しみに包まれ、想い想いのメッセージを人々が発信しこの小さくなった世界をものすごいスピードで駆け巡っています。 「アップル = スティーブ・ジョブズ」と言うにはあまりにも小さすぎる。もっと大きな、社会や人々の生活、価値観までをも変えた革新者、そう言える一人の人間はなかなかいないと思います。彼と同じ時代を見ることができたことに感謝しつつ、彼が見れなかった次の時代をボクたちはどう創っていくのか、そこに集中すべきなのかなと思いました。 Think different ボクにとってアップルを表すとき、ジョブズを表すとき、この言葉が頭に浮かびます。そしてこの言葉が自分に向かっているものだと知ったとき、自分がすべきことや価値観みたいなものができあがったのを覚えています。「Stay h
何の因果か一年振りに日本に帰国したタイミングでジョブズの死を知り、自分の気持ちも整理できないまま銀座のアップルストアに追悼をしに行った。 5時過ぎからキャンドルイベントがあるという話を@jseitaさんのtweetで知り、5時丁度位にアップルストア前に到着すると、既に沢山の花束とマスコミの数。 テレビで見覚えのあるニュースキャスターも何人か見かけ、ミーハー心丸出しでD7000で逆撮影したりしていたら「ひるおび!」のインタビューをお願いされた。最初は心の整理も付いてないし、なんかインタビューとかふざけてる気がして本当に気乗りしなかったんだけど、一人取材のスタッフの人が一生懸命だったのと、感じの良い方だったので半ば強引にインタビューが開始。 何も考えてなかったからインタビューに使えるような話は出来なかったけど、少しづつ言葉にするうちに、改めてジョブズが自分に与えた影響の大きさを実感できるように
ジョブズの死については、語れる言葉がないなと思っていたのですが、半日が過ぎ、アップルストア銀座での追悼を見届けていたら徐々に実感が湧いてきて、やっぱり一言書きたくなってきたので、ジョブズの生み出したiPad2の上でDPadという自分がiPadの為に作ったアプリを利用してこの文章を書いています。 自分が初めて買ったパソコンはPowerBook Duo230という当時では最も小型軽量なMac。ドッキングステーションに接続するとデスクトップのように使えるという、当時画期的なノートブックを、子供の頃から貯金していたお年玉を遂に切り崩して購入したのが始まりでした。 しかし買ったはいいけど、本体購入しただけで全ての資金が尽きて、半年くらいソフトを買うことが出来ずひたすらハイパーカードで遊んでいたのが、今思えばプログラマーになるキッカケだったと思います。 その後ますますMacに惹かれ、今では想像できない
雑談ほんとうはAppleと私みたいなことを書こうかと思ったけど、なんか陳腐なことしか書けないのでやめた。どうせ陳腐ならってことで、雑談を書く。今この文章は、Macintosh SE/30という、ものすごく古いマシンで書いているのだけど、このマシンを中古で入手して修理してから、今まで数ケ月使い続けていると、コンピュータの進化した部分とそうでない部分とを感じる。まず、「インターネット」。こいつがすべてを変えたんだな、という実感。SE/30でもブラウザでウェブページを見たりできるけど、びっくりするくらい遅い。事実上使い物にならない。でも、このマシンが出たちょっとあと、私は同じくらいのスペックのMacで、ウェブを見ていたんだ。でも今はもう無理だ。GPUとかマルチコアとかマルチスレッドとか、そういう細かいけど重要な改善が、いまものすごい快適なブラウジングに貢献していることを思い知らされる。もうひとつ
私が初めて見たApple製品は、会社で購入したLisaでした。当時、ワークステーションを開発するのに参考に購入されたのだと思います。LisaはMacintoshの前身機です。1984年のことだったと思います。 私自身が初めてMacintoshを購入したのは、シリコンバレーに住んでいた1991年頃だと思います。製品名は忘れましたが、その後、それを友人に売って、Quadra 800を当時の金額で5,000ドル出して購入しました。Quadra 800は、1996年にWindows PCを購入するまで使用していました。そのQuadra 800は、箱に入れられたまま書斎の奥のクローゼットの中にあります。日本に帰国してからPerformaを妻用に購入しました。 その後は、2007年にMacBookを購入するまでしばらくはWindows PCでした。最近は、iMacかMacBook Airかと迷うところ
松井博 Brighture English Academy 代表。趣味はウクレレとかハイキングとかDIYとか旅行などなど。在米20年。シリコンバレーに住みつつ、日本とアメリカとフィリピンで会社経営しています。最近は英語教育がライフワークになりつつある。 詳細プロフィールを表示 Steve Jobsが亡くなってしまいました。 なんというか本当にショックです。 私はアップルで16年間働いていました。そのうち半分以上はカリフォルニアの本社で管理職でした。Steve Jobs と話をしたこともあります。そんな体験を振り返ってアップルにおけるSteve Jobs ってどんな感じの存在だったのか私なりに綴ってみたいと思います。 Steveがどんなふうな人なのか、という話をするには、まず彼がアップルに復帰する前の社内の様子を書いてみたいと思います。 その頃のアップル社内というのは、船頭のいない船、とでも
松井博 Brighture English Academy 代表。趣味はウクレレとかハイキングとかDIYとか旅行などなど。在米20年。シリコンバレーに住みつつ、日本とアメリカとフィリピンで会社経営しています。最近は英語教育がライフワークになりつつある。 詳細プロフィールを表示 Steve Jobs が亡くなってまだわずか2日。 アメリカではすぐに特集番組が組まれ、Facebook もTwitter もSteve Jobs 一色です。 私も一昨日、アップル時代の思い出も綴って載せたら、なんか信じられないようなアクセス数です。 大勢の方から続きを書いてくれ、とのメッセージを頂いたので、ちょっと書いてみることにしました。 今回はSteve Jobsとの接点よりも、彼が遺した Apple という組織について書いてみたいと思います。 アップルって良くも悪くもSteve Jobs の強烈な個性が強く反
At a sad time at which the world has just lost Steve Jobs, it is well to reflect on some of the things which he, his passion, and his creations have given us, as now the technical community should take many of these upon its collective shoulders. A big thing Steve Jobs did for the world was to insist that computers could be usable rather than totally infuriating! The NeXT was brilliant. The NeXT h
子供達をたすけなきゃな!Vol.2 へこたれるな長期戦だ!やるぞ!! 師走の忙しさうんぬん、というのは言い訳として陳腐なのですが、ここのところ溜っていたポストをあげていき….. KAZUMI ODA 《*rirelog(リルログ)とは?》 さまざまな職業や才能を持つ人々が集うまったく新しいブログコミュニティー。 *rirelog編集部が厳選した参加メンバーによる最新「NOW」の表現の場です。 本サイトは、それぞれの個性が色濃く反映されたライフスタイルや、あらゆる ジャンルの最新情報の発信拠点となり、個人はもちろん、その集合体が今までに ない「価値」を生み出す場となるでしょう。 rireとは本来フランス語でリールと発音し「笑う」を意味します。 笑いの絶えない表現の場となることをコンセプトに掲げ、フレッシュで明るく楽しい話題を 提供してまいります。
昨日は、何も手につかない一日でした。 ぼくにとって少年時代からのヒーローであり、人生の導きの星であった、アップル創業者のスティーブ・ジョブズが永遠の眠りについたからです。 直接の知り合いでもない人の訃報に、まさかこんなに大きなショックを受けることがあるとは思いもよらず、戸惑いました。いてもたってもいられず、サンフランシスコ市内のアップルストアへ黙祷を捧げに行ったら、たくさんの人から献花やキャンドルやメッセージが供えられていて、思わず涙がこぼれてきてしまいました。あぁそうか、世界中でこういう気持ちになってるのはぼくだけじゃないんだ、と。 あまりにたくさんの思いが去来しすぎて、込み上げてくるものが大きすぎて、うまく言葉にできませんでした。Google+やTwitterにはいくつか共鳴したものを投稿したものの、このできごとを軽率な言葉で穢したくないという思いもあって、ブログに書くのはやめておこう
村井でございます。 @entrypostmanの方です。@appbankではありません。 仕事を始める前にどうしても今書きたくて書き始めました。 AppBankとしてではなく、私村井の個人的なこととして書かせてください。 私は2000年7月、年齢で言うと18歳の時に仕事を始めたのですが、AppBankを始める2008年までは基本的に営業をやっていました。 23歳の時に会社(ガイアックス)が上場して、私は営業の部長・役員をやらせてもらっていたのですが、当時プレゼンテーションはスティーブ・ジョブズから勉強させてもらったとはっきり認識しています。 その時私はMacユーザーでもiPodユーザーでもなかったです。 ただ、スティーブ・ジョブズの基調講演、Keynoteは英語もろくにわからないのに何度も何度も見直していました。興奮して感動していました。 ※Podcast Apple Keynotesで基
Apple社は、同社の創業者であり前CEOのスティーブ・ジョブズ氏が2011年10月5日早朝に亡くなったことを発表しました。 Remembering Steve Jobs - Apple https://www.apple.com/stevejobs/ Apple has lost a visionary and creative genius,and the world has lost an amazing human being.Thone of us who have been fortunate enough to know and work with Steve have lost a dear friend and an inspiring mentor.Steve leaves behind a company that only he could have built,a
スティーブ・ジョブズは「コンピュータはこうあるべきだ」という視点から物事を考えることが出来る稀有な才能を持った人でした。 「こうあるべきだ」という意見は、見方によっては個人の価値観の押し付けに他なりません。 ジョブズはその価値観の押し売りを率先してやりました。 逆に「いま世間で何が売れているか?」を観察し、その時流に迎合した製品を慌てて企画するというやり方を心から軽蔑していました。 これはつまり「is」ではなく「should」に基づいた経営です。 おのずとアップルの製品作りにはジョブズの審美眼が色濃く反映されます。アップルの新製品発表会がエキサイティングだった理由はこの卓越した未来の予見者からの「ご神託」が聞けたからです。 そのジョブズも常に正しかったわけではありません。失敗作もいろいろありました。 彼個人の主観を消費者に押し付けるわけですから、その全てが受け入れられるわけではないのです。
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