織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
僕は倫理学についてもシロウトなので、人工妊娠中絶問題について包括的な記述を為すことはできませんにゃ。 ここでは、具体的な事例に対して僕自身はこう判断するけれど、その判断はどのような意味を持つのか、というスタイルで考えていきますにゃ。 中絶=殺人、と仮定すると 「中絶は殺人だ」という言い方がありますにゃ。胎児を僕たちひとりひとりと対等な、人権をもつ1人のニンゲンとして認めた場合、例えば父親に恒常的にレイプされて9歳の女の子が妊娠し、出産に際して生命の危険がある場合でも、中絶は殺人にあたるので認められにゃーというのは、論理的な帰結ということになりますにゃ。 これは、中絶に絡んだ事件でカトリック司教の判断に賛否 - あんとに庵◆備忘録で紹介されている事例ですよにゃ。 とにかく、胎児が僕たちと同じ人権を持つ1人のニンゲンとして認めれば、「強姦よりも中絶(=殺人)の方が大罪」というのは、極めて論理的
きのう、よく読ませていただいている、信頼しているある人のブログを読んで、少し不安に思ったことがありました。 日本のパレスチナ支援運動は「反ユダヤ主義」と紙一重だとずっと思っていた。 「過ぎ去ろうとしない過去」 少しショッキングな出だしなのですが、わたしも、少し前からパレスチナ問題や運動に関っているものとして、この指摘をどう受け止めていいのか、考えてみることにしました。といっても、この日の文章の以前からも、一定の議論のやりとりがあるので、この部分だけを取り上げて、肯定したり否定したり反論したり、というものではありません。この文章に含まれている、ある問題や支援に関ったり、運動をしたりすることが、ある別の問題を否定したり、ある別の運動の妨げになることがある、ということについて、わたし自身が、パレスチナ問題だけでなく、日本の中の問題や運動に関る上で、感じていることを書いてみようと思ったのでし
織田信長 ぼちぼち、元気にやっています。少し薬にも慣れた...んかなぁ。相変わらず食べられないけど。朝、指がこわばって文字なんて入力できなかったけど、それはほぼなくなった。関節もどこも痛くない。薬効いてきたんやろな。 で、ブログを書こうと言う気がまた起きてきた。 …
収納箱をほじくりかえしてたら出てきましたよ、奥さん。デリダ&ハーバマス共同声明全文。id:hizzz:20081210の補講id:hizzz:20081227の補講。 …整理のつもりが逆に散らかす、お約束な正月展開。はぅう。 ジャック・デリダとユルゲン・ハーバマスによるこのエッセイは、ヨーロッパ知識人たちの共同行動の一環をなすものである。イラク戦争に対する拒否によって、ヨーロッパのアイデンティティとは何か、という問いがあらためて提起された。この問いに答えるべく、ヨーロッパのジャーナリズムには現在まで、本エッセイのほかに次のものが発表されている。「ラ・レププリカ」のウンベルト・エーコ、「新チューリッヒ新聞」のアードルフ・ムシュク、「南ドイツ新聞」のリチャード・ローティ、「エル・パイス」のフェルナンド・サバテル、「ラ・スタムパ」のジアンニ・バァッティーモ。 独 Frankfurter Allg
本名? |liangのブログ まず、うえの記事を ごらんください。 いろいろな論点があるわけですが、ひとつ たいせつな点が論じられていないように感じました。それは、日本社会において、多数派である日本人は「本名と通名」のジレンマを かかえていない。それにたいして、少数派である朝鮮系の住民だけが「本名と通名」のジレンマに なやまされている。その非対称性が問題だということです。関係が不平等だということです。 少数派には通名がある。多数派には通名がない。 その不平等な関係に問題があるのですから、 そもそも「本名」という名辞そのものがいかがわしくないか。本当の自分どうように。というのは、もっとも「いかがわしい」ものを 放置してしまっているように感じます。もっとも、liangさんには とっくのむかしから わかっていることなのだと おもいますが。この記事で liangさんが とりたてて かいておられない
森達也(もり・たつや)『死刑』朝日出版社 この本を よんでいて、どうしても かきたくなりました。 2006年12月の時点で、全国の教誨師の数は総計1551人。そのほぼ7割は仏教系の僧侶で、残りの3割強を神道系とキリスト教系が占めている。(185ページ) 教誨師は なにをするのか。 徳性の育成を目的とする教育活動。つまり受刑者の改悛や反省の手助けをして、社会復帰するときのために矯正することだ。でも教誨師の使命はそれだけではない。広辞苑には「刑務所で」と記述されているが、例外的に拘置所にも出入りする。死刑囚への教誨だ。(185ページ) 死刑囚は、「心安らかに吊るされるために教誨を受けるのだ」(185-186ページ)。 森達也は、教誨師のTさんにインタビューしています。 死刑囚は半分以上が教誨を受けています。一回につき30分から40分。基本的に僕はしゃべらない。聞くばかりです。できるだけ聞く。そ
そもそもの始まりは怒りでした。どうにも収まらない怒りの感情から、突発的にテントを建ててストを始めてしまいました。これまで労働運動というものに全く無縁だったこともあり、1ヵ月がすぎた今、自らの浅慮によって多くの方にご迷惑をかけてしまったこと、深く反省しています。特に自分の職場のスタッフの方々、お世話を受けた方に対しては、事前に何の相談もなくこのようなことを始めたこと、結果として予期せぬ事態を招いてしまったことに、申し訳なさでいっぱいで、どう謝ってよいかすらわかりません。 そして、同じ京大で働く非常勤職員のみなさんは、私たちの運動のやり方にたいへん違和感を覚えられたことと思います。私たちは私たちなりに真剣にやったつもりですが、そのとばっちりを受けて苦情の対応までして頂いた京大職員組合の方々、はじめに電気を引かせてもらった管理者の方、卒業式にクスノキ前での写真撮影を楽しみにしていた方々など、ご迷
昨年、12月に急逝した飯島愛の追悼本が出版された。 飯島愛 孤独死の真相―プラトニック・セックスの果て 作者: 田山絵理出版社/メーカー: 双葉社発売日: 2009/03/20メディア: 単行本購入: 3人 クリック: 46回この商品を含むブログ (8件) を見るその死の謎を追求したという触れ込みであり、さっそく書店で購入して読んだ。しかし、ひどい出来である。筆者は入手先も明らかにできないような断片的な情報つなぎ合わせ、ケータイ小説を模したような文体で、飯島さんの心情を代弁する。インスタントラーメンのような悲劇に練り上げ、最後には「純粋な愛さん」と飯島さんを持ち上げ、「彼女は天使になった」と結ぶ。*1筆者は最後に次のようにまとめる。 振り返ると、飯島愛は何度かブログをやめる宣言をしたが、そのたびに彼女の誕生日である10月31日をきっかけに復活した。誕生は彼女にとって特別な日になっていた。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く