数日前からツイッターでこんなのが話題になっている。 夏野剛×黒瀬陽平×東浩紀「男たちが語る『アナと雪の女王』——なぜクリストフは業者扱いなのか」 タイトルが明らかに釣りで、さらに登壇者がこの通りなのでずいぶんと批判が多いのだが、まあこの面子だと過去の文学的・映画的伝統をディズニーがどうふまえてるかとかは全然出てこないかもしれないと思うので(他はよくわからないがとくに三番目の論者は歴史に全然興味がないだろう)、とりあえず「クリストフに財産・身分がない」ことの背景にはどういう文芸の伝統があるのかっていう話を、「女相続人もの」の歴史を使ってちょっと分析していきたい。この「女相続人もの」というのは日本の文芸だとそんなにメジャーな伝統ではないように思うのですんなり理解しにくいところがあると思うのだが、これを知っていたほうがたぶん『アナと雪の女王』のみならずいろんなアメリカのロマンティック・コメディ映
『アナと雪の女王』を見てきた。私、ディズニーが大っきらいなので金を払って見に行きたくなかったのだが、あまりの評判の良さに敵の軍門に降ってしまった… 好き嫌いはともかくとして、見た後最初の感想は、「これは女子のスター・ウォーズになる」ってことである。今まで「女子のスター・ウォーズ」と呼ばれている作品は『ダーティ・ダンシング』であった。男の子がジェダイに夢中になっている間、女の子は『ダーティ・ダンシング』の台詞を引用しているのだそうだ(私はジェダイ派)。しかしながら『アナと雪の女王』は一言で言うと「暗黒面に堕ちなかったアナキン」の話である。アナキンのフォースもエルサの魔力も非接触型ハンドパワーであるし(←ごめん、もっと気の利いた言い方を思いつけばいいんだけど)、どちらも怖れによって暗黒面に堕ちかけるのだが、怖れを克服できなかったアナキンに対してエルサは愛の力により勝利する。とにかくよくできた映
ジョージ・バーナード・ショーが戯曲『ピグマリオン』を発表したのは1913年。この原作戯曲は主人公イライザと言語学者ヒギンズの喧嘩別れで終わるが、映画版『マイフェアレディ』は二人が将来結ばれる予感の中で終わっている。原作と改変映画版は、正反対の終わり方をしているわけだ。それでは、原作の約100年後の私たち、つまり21世紀の女子大にいる者たちが『ピグマリオン』を上演するのであったら、ラストをどうしたらよいか。 上演台本を書いていた2月上旬に、Twitter上のTLが階級制度関連の話で盛り上がっていたので、思いついて「傘とcabの出し方について」など(笑)英文学者の北村紗衣さんに相談してみた。北村さんからは、「ロンドンで見たルパート・エヴェレット主演の『ピグマリオン』では、最後に舞台の片側でフレディとイライザが幸せそうに結婚式をあげ、もう片方では薄暗い部屋で寂しそうにヒギンズ(エヴェレット)が座
「ネタバレの美学」ワークショップの感想 2018年11月23日(金祝)に,公開ワークショップ「ネタバレの美学」で話題提供した.発表スライドはresearchmap上ですでに公開しており,年度明けぐらいの時期で論文化の予定もあるが,ここでは,次の問いに答えを与えたい:この発表はどうやってできたのか? 話は2010年にさかのぼる.時系列を追って見ていこう. 2010年 私がTwitterを始めて2年ぐらいたったころだ.当時は分析形而上学の勉強をさせてもらいながら,文学の哲学(どのような文学作品がよい文学作品であるか)にアプローチする方法を考えていた.したがって,このころは形而上学と,ちょっとだけ認識論の議論とに関心があり,分析美学には詳しくなかった. そういう状況でネタバレについて最初に考えを公にしたのがこれ. ネタバレの害については何度となく考えてるが,ネタバレは不快だけどこの世に知識を増や
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