ブックマーク / tikani-nemuru-m.hatenadiary.org (7)

  • 「神は妄想である」書評(3 - 地下生活者の手遊び

    前回のエントリでは、ドーキンスは疑似科学批判を「超自然的なもの」一般批判にすり替えているという幼稚な詐術を指摘しましたにゃ。さらに今回も別の形での幼稚で反知性的なスリカエを指摘したく思いますにゃ。 第8章 宗教のどこが悪いのか? なぜそんなに敵愾心を燃やすのか? 信仰における「中庸」がいかにして狂信を育むか より 原理主義的な宗教は、おびただしい数の、無辜の、善意で熱意のある若者の心を荒廃させることに専心している。非原理主義的で「分別のある」宗教は、そんなことをしていないかもしれない。しかし、そうした宗教にしても、子供たちがきわめて幼いときから「疑うことのない無条件の信仰が美徳である」と教えることによって、原理主義者に好都合な世界をつくっているのである。P419 穏健で中庸的な宗教でさえ、過激主義が自然にはびこるような信仰風土をつくりあげるのに手を貸している P443 「中庸な」宗教の教え

    「神は妄想である」書評(3 - 地下生活者の手遊び
  • 「神は妄想である」書評(2 - 地下生活者の手遊び

    検索をしてみると、「神は妄想である」に好意的な批評が多くて驚愕しているんだけれども、もし書を読んでドーキンスの言い分のおかしさに気づかずに「ドーキンスマンセー」という態度をとるニンゲンがいたら(懐疑主義者などと自称する者にも書を絶賛するものがいるけれど)、僕はこうアドバイスしたいにゃ。 「チミには批判精神も論理性も根的に欠如していることだけは自覚しておいてね」 さて今回は「神は妄想である」における基的な詐術を指摘しますにゃ。 第4章 ほとんど確実に神が存在しない理由 の結論部をちょいと見てみましょうにゃ。P236 もし、この章での議論が受け入れられれば、宗教の事実上の根拠----神がいるという仮説----はもちこたえることができない。神はほぼまちがいなく存在しない。これが、書のこれまでのところの結論である。 ほほー、なんかすごそうだにゃ。 で、この第4章で何が議論されているのか?

    「神は妄想である」書評(2 - 地下生活者の手遊び
  • 「神は妄想である」書評(1 - 地下生活者の手遊び

    神は妄想である―宗教との決別 作者: リチャード・ドーキンス,垂水雄二出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2007/05/25メディア: 単行購入: 14人 クリック: 257回この商品を含むブログ (185件) を見るメリケンの不寛容な無神論者についての議論の補足として、ドーキンス「神は妄想である」の批判をいたしますにゃ*1。 まず言っておかなくてはならにゃーことは、僕は創造科学という代表的な疑似科学のビリーバーとだいぶ遊ばせていただきましたにゃ。その過程でしばしばドーキンスの著書を引用させてもらったし、その考え方を参考にさせてもらっているところは大にゃんね。「利己的な遺伝子」「ブラインドウォッチメイカー」はある程度読み込んだといっていいと思いますにゃ。進化生物学の啓蒙者としてのドーキンスは高く評価しておりますにゃ。 しかし 最近の宗教批判者としてのドーキンスはまるで評価できにゃーね

    「神は妄想である」書評(1 - 地下生活者の手遊び
  • コンビニエロ本問題を考える(結 - 地下生活者の手遊び

    承前 コンビニエロ問題を考える(序 - 地下生活者の手遊び コンビニエロ問題を考える(続 - 地下生活者の手遊び 1 コンビニ各社が参加しているセーフティステーション活動が毎年リポートを出している。これを見ると、エロの取扱店舗の件数がわかるので参照してみよう。 ちなみに、この文でいう「エロ」とは主に自慰行為のお供として制作され、そのような目的で購買され使用されると一般に認知されている雑誌のことで、コンビニで「成人向け雑誌」と言われているものを指す。 H26リポート 母数50329店 成人向け雑誌取扱をしない店舗 4521店=9% ゾーニングしている店舗    45507店=90.4% ゾーニングしていない店舗    301店=0.6% H25リポート 母数46271店 成人向け雑誌取扱をしない店舗 3995店=8.6% ゾーニングしている店舗    42035店=90.8% ゾーニ

    コンビニエロ本問題を考える(結 - 地下生活者の手遊び
  • コンビニエロ本問題を考える(続 - 地下生活者の手遊び

    承前 https://note.mu/dokuninjin_blue/n/na1a5516195d5 コンビニエロ問題を考える(序 - 地下生活者の手遊び 1 公共と公権力は異なる。公共性の主張を公権力の押し付けと混同する誤解は後を絶たず、とりわけ自由主義を主張する一部の人たちにこの混同が甚だしい印象がある。しかし、来の公共性は公権力から私的自治を守るための盾となるものである。公共性の歴史的な経緯を簡単に追うところから始めよう。 歴史的には公共空間というのはカフェ、コーヒーハウスから起こってきたというのはよく知られている。基的には私的領域にありながら、不特定多数の人が出入りし、種々の議論を行い、公的領域と私的領域の中間領域として公権力と対峙しうる言論空間が発達してきた。これが近代における公共というもののおこりである。 多様な市民が参加する言論空間をそのおこりとした公共においては、身分

    コンビニエロ本問題を考える(続 - 地下生活者の手遊び
  • コンビニエロ本問題を考える(序 - 地下生活者の手遊び

    1 30年も前になるか、知人が変わった裏ビデオを好んで集めていて、何度か見せてもらったことがある。自らの欲望のまま撮影したのか、一般的なエロなる感覚を誤解していたのか、怪作と言うか実験映像としか思えないような作品がけっこうあった。例えば、納豆を何百パックもぶちまけた風呂桶で、ボディ・ペインティングを施した男女がいろいろな運動をしている映像を見ても、性欲で凝り固まった20代前半のプレハブちんこ(=すぐ立つ)をもってしてもぴくりともしなかった。「エロって何なんですかにゃー?」と考えさせられるばかりである。 そうした「実験映像」の中でも特に印象に残っている作品がある。 公共交通機関である電車のなか(多分、山の手線)、白昼堂々と事に及んでしまうという内容の作品である。 このビデオ作品の冒頭で、出演女優、製作者たちが制作意図を以下のように語っていた。 「よき社会人ヅラをしていても、人間というのは性欲

    コンビニエロ本問題を考える(序 - 地下生活者の手遊び
    saebou
    saebou 2017/11/30
    これテクニカルな法的事項で前から気になってたんですが、公然猥褻は実物の開陳を規制するので、性器写真などを公の場に貼るイタズラ(『トレインスポッティング』に出てきたようなの)は取り締まれないのでは?
  • 表記と速度と身体性 - 地下生活者の手遊び

    書く書くと言いながら書いてにゃー宿題がたくさんあるのだけれど、その中のひとつに応答しますにゃ。下記エントリコメント欄で、「はんろん、というわけではなく、エントリをたてておこたえしたい。」と書きましたにゃ。 かんじを つかわないと ひょうげん できない こと lever_building(以下やねごん)の、ひらがな分かち書きに対する反応には僕も興味深いと思っておりましたにゃー。「読みにくい」という否定的反応が目立ちますよにゃ。 で このひらがな分かち書きとそれに対する反応を見ていて、僕が連想したのは詩の書き方と読み方なのですにゃ。 詩(ここでは散文詩をのぞく)というものの形式のひとつとして、改行と連というものがありますにゃ。改行や連というものがもつ効果はいろいろとあるんだけれど、一般的に 読む速度を落とす という効果があるのではにゃーだろうか。 もっと正確に言えば、詩というテキストの要求する

    表記と速度と身体性 - 地下生活者の手遊び
    saebou
    saebou 2010/01/16
    共感覚者なんですが、漢字ぬきの文章はマジでつらいです。薄い色がチカチカして何がなんだか。
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