「国語」としての日本語は、滅びない。そして英語は道具として使われる。 - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定) これは重要な論点だと思う。 日本語という「国語」は、国家統合の要であり、象徴なんです。 日本語を話すから、「日本人」という共同幻想のメンバーに加わることが出来る。 むしろ、英語がコミュニケーションツールとして使われるようになればなるほど、日本語は「高級な言語」「国語」として、歓迎され、階層の高さを表す一つの教養としての扱いを受けるでしょう。 国民国家というフィクションに一定のリアリティがある限り、「国語」としての日本語は無くならないし、危機に直面した時に、むしろ求心力を増す可能性もあると私も思う。 でも問題は、国民国家としての日本がそのまま残るかどうかだ。 人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか この本の中で、著者の水野氏は1995年を境にしていろいろ