2009年2月8日のブックマーク (4件)

  • 水戦争・続き - himaginary’s diary

    昨日は米経済学界の淡水学派と海水学派の間に勃発した“戦争”について取り上げたが、今日もその続き。 昨日のエントリで紹介したワルドマンのエントリは、Economist's Viewの1/27エントリで取り上げられたほか、クルーグマンも1/28エントリで触れているので、それなりの反響を呼んだと言えそうだ。 そのクルーグマンのエントリでは、以下の文が興味深かった。 This insularity is asymmetric. Ask a PhD student at Princeton what a real business cycle theorist would say about something, and he or she can do that; ask a student at one of the freshwater schools what a new Keynesian

    水戦争・続き - himaginary’s diary
    saka-san
    saka-san 2009/02/08
    淡水学派と海水学派の分類では、万キューやぶらんしゃールのような数学志向が強く、合理的期待仮説が好きなニューケインジアンは淡水学派に所属
  • あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ - himaginary’s diary

    海の向こうでは時ならぬ“水戦争”が勃発した。といっても、水利権を巡る争いではなく、いわゆる淡水学派と海水学派の話。 ああ、魚介類の研究の話か、と思われるといけないので(いないよそんな奴)、この問題を取り上げたAngry Bearエントリから、まずは用語の解説部分を引用してみる*1。 In the field of macroeconomics there is a much deeper division between macroeconomics as practiced at universities closer to the great lakes than to an Ocean (Fresh water economics) and that practiced at universities closer to Oceans (Salt water economics).

    あっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ - himaginary’s diary
    saka-san
    saka-san 2009/02/08
    最近の財政刺激策に関する論争から、完全市場と対称的な情報を備えた一般均衡モデルが現実をよく反映していると考える淡水学派と、必ずしもそうではないと考える海水学派の論争が激しくなってきている
  • "中心"が存在しない日本の都市にコンパクトシティは似合わない。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月

    というのが、以前、誰が何のために「限界集落」を守らなければならないのか? - とれいん工房の汽車旅12ヵ月で参考にしたid:Dr-Setonさんのエントリーを読んでの感想。 彼によって最近書かれた「自滅する地方 自滅した浜松 その3 - Dr-Seton’s diary」と「自滅する地方 自滅した浜松 その2」を併せて読むと、 「浜松は郊外型大規模小売店舗によって(katamachi注 中心市街地が?)い尽くされた。」 「郊外化は自治体の財政を圧迫するからだ。インフラ整備を行う面積が拡がればそれだけ必要な経費は増大」 「大規模小売店舗が出店する事で“自治体全体”の固定資産税は減少」 「このような浜松の状況は地元企業「スズキ」と無関係ではありません。」 というお話しである。 日の地方都市というのは60年代までは駅前や繁華街などの従来からの市街地を核とした都市構造を形成してきたが、その後、

    "中心"が存在しない日本の都市にコンパクトシティは似合わない。 - とれいん工房の汽車旅12ヶ月
    saka-san
    saka-san 2009/02/08
    日本における地方都市の郊外への流出は10年以上前からじわじわと進んできた。日本の都市には「中心」となる旧市街地や教会・モスクのようなものがなく、欧米などの都市との成り立ちの違いを認識する必要があるのかも
  • ○×△の起源は?

    人としては、 ○=よい、Yes   ×=だめ、No というのは水や空気のように自然な事実。そして △=○と×の中間 というのも当然のことと考えがち。つまり、いい順に○→△→×ですね。 しかし、これ全くアメリカを初めとした英語圏では通用しないんですよねぇ。それ以外の国はよく知らないが、まず通じないのではないかと。どれくらい通用しないかと言って、たとえば日人が 「★ ※ ♪ の3つをいい順に並べろ」 と聞かれても呆然とすると思うが、それくらい通じない。つまり、○=よい、×=だめ、も通じなければ、△がその間に位置するということも通じないのでした。 当地(やオーストラリア)では、テストの「マルをつける」時も、Vの右側が長めの「チェック」をするだけ。日風にマルをつけると何のことかわからないか、または 「えっ、零点?」 と思われる可能性あり。 同じ流れで、電化製品のスイッチはマルと縦棒、つまり

    ○×△の起源は?
    saka-san
    saka-san 2009/02/08
    欧米だけでなくアジアでも、○×△を書いたものを見せると、「何これ?」というコメントが間違えなく返ってくる