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思考法に関するsakaguchigのブックマーク (124)

  • 大学教員の日常・非日常:具体的ってなんだ

    クビにされそうだった大学教員です。現役大学生とか、これから大学生になる人とか、大学生の親になる人向けのつもりで。 面白かったときにブログランキング【ココ】を押してもらうと、中の人が喜びます。 これは反応しておくと、自分のためになりそうな気がした。 ロジカルシンキングの練習:反例を作ること http://d.hatena.ne.jp/idadi/20081116/1226848629 「論理的」とは、「経験との対応が明確に表現されている」ということである。言いかえれば、「具体的」ということである。日語,わかりにくいですね.「言い換えれば」という部分なんですけど.たぶん,「論理的⇔具体的」を言ってるんじゃないの?きっと.引用された部分は、宇佐美先生の文章なんで、こっから書くことは、あくまでフラスコの解釈です。できれば原典を読んでほしいけれども、たかがフラスコのエントリのためにほいと買えるほど

  • パターン認識と予測: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 分類と階層構造化、あるいは関係性の把握。もうちょっと広げると状況の把握。そうした把握が自分のなかでしっくりきた際に「わかった!」となる。これ、言うまでもなく当たり前のこと。 ようするに、そうした自分でしっくりくる状況、パターンを把握すること。その自分でしっくりくるパターンを見える形にする視座がいわゆるフレーム。 当たり前だけど、パターンがなければ人間は考えることはおろか、普通に行動することもできません。床と壁のパターンの違いが認識できるから部屋の中を歩けるのだし、ドアの向こうをなんとなくであれ、予測できるからこそ、そのドアを開けるかどうかの判断も可能です。 パターン認識があっての私たち。そのために視座であるフレームを固定化する必要があるのもYes。問題ありません。 フレーム

  • ひらめく発想のマネジメント力: DESIGN IT! w/LOVE

    アブダクションについては、今日のところはこんな引用を。 帰納は経験を重ねる過程の中で規則(習慣)を形成し、アブダクションはたとえば種々の楽器の音からそれらの音そのものとはまったく違う調和的な音楽的情態を生み出すように、経験の諸要素を結合統一し、まったく新しい概念を生み出すのです。 アブダクションは「まったく新しい概念を生み出す」。つまり、発想法に使えるよねー、と。 眠っている情報を動かす基的には、眠っている情報を動かして、情報来がもつ「情報はひとりでいられない」というあたりを呼び覚ましてあげるのがポイントだと思ってます。あるカテゴリーの枠内に収まってしまっている情報、固定観念に縛られて身動きがとれなくなっている情報を、別の情報につなげてみることで、違う角度から情報がみえるようにする。つまり、情報をみる自分自身を変えるということ。 で、情報を動かすというのはどうするかというと、 複数の情

  • 大事なことはわかることじゃない: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今月はぜんぜんブログが書けてないですね。まぁ、この忙しさじゃ仕方ない面がありますけど。 そんな忙しさのなかでも最近思ったことをすこし。 自分の能力を高めるためには、を読んだり、誰かに聞いたりして、すぐにわかってしまうより、わからないことに自分でこだわってみることのほうが大切なことなんだなーと思います。 わからないことにこだわり、自分でいろいろ試して経験するなかですこしずつわかることが増えてくる。そういうわかり方を大切にしたいな、と。 わかった気にならないわかりやすい言葉を読んだり聞いたりして、わかった気になることって簡単です。でも、そういうのってあんまり役に立たない。役に立たないものをどんどんわかった気になって蓄積しても、それこそ役に立ちません。 それにわかった気になって

  • http://neta.ywcafe.net/000944.html

  • 前編 写真と動画で“見る”「ポメラ」の開発秘話

    テキスト入力以外で立石さんが開発当初に掲げた機能は、(1)4インチ液晶ディスプレイ、(2)折りたためること、(3)乾電池2で70時間以上稼働すること――だった。このうち、乾電池2で70時間以上だけはできなかったが、ほかは実現した。電池は取り替えることもできるし、「優先度に応じて決断した」というわけだ。 一方、開発途中に悩んだこともある。通信機能やスケジューラなどの機能を盛り込みたいという、ほかの部署の“外圧”や、自分自身の“欲求”だ。結果から言えば、立石さんはこうした外圧や欲求をはね退けた。「コンセプトからずれる要望は辛かった。ですが、ポメラが何するものか問われたときに『テキストを入力するものです』と答えたかったのです」。ポメラはテキスト入力だけ――このシンプルなコンセプトが最大の特徴であることを立石さん自身が熟知していたのだ。 立石さんはこう続ける、「携帯電話は十徳ナイフ」だと。多機

    前編 写真と動画で“見る”「ポメラ」の開発秘話
  • 「勝つ予感」はデザインされる - レジデント初期研修用資料

    恐らくは「名将」なんて持ち上げられるような人というのは、あとから冷静に振り返ってみると、 案外「ショボい」勝利しか上げていないような気がする。 「名将」はその代わり、大きすぎる問題を切り分けることが上手で、「小さく解決する」やりかたをデザインして、 現場から「勝つ予感」を引き出すことが上手で、もうひとつ、そうして得られた小さな勝利を運用して、 それを大きな戦果に結びつけるのが上手なのだと思う。 えらい人が指揮する部隊は怖い 墨東病院が大騒ぎになっている。 人手が絶対的に足りなくて、結果的に患者さんが一人亡くなった。都知事と厚生大臣と、 日を代表するような大物が二人、病院を舞台に喧嘩を始めた。すごくよくないことだと思う。 どちらが勝つにしても、喧嘩の舞台になった病院は、これから先は、 大物自らが指揮を執ることになる。 「ふがいない。俺様自ら戦闘というものを教えてやる」なんて、 現場を知らな

  • 言葉を形にして理解する(あるいは、テーブルにもいろいろある): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「図になっているとわかりやすい」と矢野さんは言った。 僕は、人の話している言葉はテトリスのブロックのように落ちてくる、と思っている。 そう。言葉はわかりやすい図にしてもらいたくて落ちてくるのだ。 言葉がテトリスのブロックのように落ちてくる僕は常々、人の話す言葉にも、に書かれた文章にも、テトリスのブロックのように、どれとどれをどう組み合わせればいいかを示す形があると思っています。 もちろん、テトリスのブロック同士もそうであるように、その組み合わせは決して1つの正解があるわけではありません。でも、意味をなす言葉であれば、必ずそれを構造的に組み合わせる形を、言葉は示唆してくれているのだと思います。 その形を、話を聞きながら、を読みながら、頭のなかで組み合わせていけば、図表にな

  • 取材する力と、グーグルの成功譚と・・ - michikaifu’s diary

    昨日の続き。 毎日新聞という企業が今後どうなるかは時の流れに任せるとして、「エセ記者」と「ブロガー」の両方ともにスタンスを持つ私として、やや複雑な思いを持つのは、「取材を仕事にするプロ」をこのあとどうやって確保していくのかなー、という点である。 記者のまねごとをしたり、メディアの方とお話したりして、つくづく思うが、やはり給料をもらって、毎日毎日取材をするプロの記者というのは、どうしても必要な存在だと思う。片手間でやっているブロガーとしての私では、どうしてもできないことは多い。ふだんからのリサーチ、記者会見への出席、人のつながり、インタビュー先を探し出す手法、足でかせぐインタビュー。同じ記者会見に出席しても、質問の仕方やそのための覚悟が、アマチュアとプロでは違う。(プロでもヘタな人はいるが、それはとりあえずおいといて、全体のレベル、という意味で・・・)表現の仕方も、まとめ方も、プロはプロであ

    取材する力と、グーグルの成功譚と・・ - michikaifu’s diary
  • 大学教員の日常・非日常:議論は、なぜ要るのか

    クビにされそうだった大学教員です。現役大学生とか、これから大学生になる人とか、大学生の親になる人向けのつもりで。 面白かったときにブログランキング【ココ】を押してもらうと、中の人が喜びます。 読んだメモ。 議論は、なぜ要るのか 目次と俺のための引用 1、『「議論の力」をどう鍛えるか』 議論とは何か。 議論とは、自己の意見を正しく適切なものであると主張し、これと対立する他者の意見の誤り・不適切を批判することにより、自己の意見の影響を強め、その他者の意見の影響を抑止しようとする相互間のコミュニケーションである。「議論力のある者どうしが対立して争えば、あげ足とりや詭弁を使おうとする方が負ける。正しいことを誠実に言う方が勝つ。ところが、正しい側であっても、議論の力が無く拙劣な方法で議論をすると負ける。だから、そのように不当に負けて損をすることがないように議論の力を育てるべきなのだ。」 2、思考の種

  • なぜ量が質を生み出す可能性を持っているのか?: DESIGN IT! w/LOVE

    ある陶芸のクラスで、質を追求するグループと量を追求するグループに分けたところ、実際に質の良い作品が数多く見られたのは、量グループだったという話。 質を求められていたのは「質」グループのはずだったのに,なぜ質を求められていなかった「量」グループの生徒たちが,質で上回る結果になったんだろう? これが事実として成り立つからこそ、ブレインストーミングでもアイデアの質より量を問うんですよね。このブログでも、再三にわたって「まずは手を動かそうよ」といってるのもそういうこと(cf.「小さなアウトプットの蓄積で完成形を生み出すための5つのプラクティス」「みんなで手を動かしながら考えるということを図にしてみました。」)。 先の記事中にも「質」より「量」が結果として「質」を生む理由として「多くの作品を作り出す過程において失敗を繰り返し、その失敗から多くのことを学ぶことができた」と書かれていますが、そのことにつ

  • ■ - jun-jun1965の日記

    「マックス・ヴェーバー論争」について以前ここに書いた文章を、まとめを行っている北大の橋努氏に送ったところ、掲載されました。 http://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/Japanese%20Index%20Max%20Weber%20Debate.htm さて、久しぶりに新潟大学の三浦淳(あつし)(三浦あつしって人は多いね)のサイトを見たら、「一限の授業を持たない専任教員は給料を一割減らすべし」と書いてあった。そういう発想にはまったく賛成である。まあ私が専任だったら(永遠の反実仮想)、一限などやるのは嫌だから一割削減してもらう。ところが世間というのは、こういう取引をものすごく嫌がるのだが、これは日だけの現象だろうか。 たとえば教授でも、研究がしたい人、研究はもう能力がないから事務がしたい人、政治がしたい人などいるから、「研究教授」と「事務教授」に分け

    ■ - jun-jun1965の日記
  • 本質の本質を理解せずに本質という言葉を使うのが流行してる - 分裂勘違い君劇場

    質」という言葉を、みんな気軽に使う。オイラも含めてね。 そういう自分に気がついて、自己嫌悪に陥った。 いまや、「質」という言葉にかつての重みはない。 質の大安売りだ。デフレだ。 「質を理解した」、と人が感じるとき、人は対象を単純化してとらえている。 人は、整理し、単純化し、要点を取り出すことができていないと、「分かった」という感じはしない。 しかし、質自体が複雑なものごとがある。 質を損なうことなく、整理し、単純化することのできないものごとがある。 たとえば、個別具体的な人間だ。たとえば、個別具体的な社会だ。たとえば、個別具体的な生命だ。たとえば、個別具体的な愛だ。たとえば、個別具体的なソフトウェアシステムだ。たとえば、個別具体的な惑星だ。たとえば、個別具体的な組織だ。 そういうものごとの、「質を理解した」と人が感じるとき、そこには「理解」の衣を着た「誤解」があるだけだ。

    本質の本質を理解せずに本質という言葉を使うのが流行してる - 分裂勘違い君劇場
  • PR下手で損してる人(たち)に贈る日々のPRを続ける5つのコツ:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 会社でも、個人でも、自分(たち)ができること・やりたいことをうまく外部の人に理解してもらえてなくて損してるよなーと感じることがよくあります。 まわりにもっと自分(たち)ができること・やりたいことをわかってもらえば、いまよりやりたい仕事ができるようになるし、やりたいことをもっと楽にできるようになるのになーと、はたから見ていて感じるわけです。 そういう人(たち)って、一言でいえば、PR下手。 だって、よく知らない相手と仕事するより、多少なりとも相手ができること・やりたいことを知ってたほうが仕事するうえでのコミュニケーションの苦労もずいぶん軽減されるのに、相手に自分のことを知っておいてもらうための事前のPRができない。 誰が何ができるかがわかっていれば、相手はそれが必要になったと

  • 代表的!=典型的 - 書評 - 代表的日本人 : 404 Blog Not Found

    2008年07月10日13:30 カテゴリ書評/画評/品評Culture 代表的!=典型的 - 書評 - 代表的日人 ちくま新書の松様より定期便にて献御礼。 代表的日人 齋藤孝 これで、確信できた。 齋藤孝の最良の特長は、ロールモデルに対して偏見を抱かない事。 そして、最悪の問題は、ロールとは一体何かを理解していない事。 書「代表的日人」は、「代表的」な「日人」を取り上げる事により、「衰退」した日人を鼓舞するという、最近の著者の代表的なスタイルのそのまた代表というべき一冊。その代表性のあまりの高さは、目次からも伺い知ることが出来る。 目次 - 筑摩書房 代表的日人 / 齋藤 孝 著にないので手入力 はじめに 第一章 与謝野晶子の女性力 第二章 嘉納治五郎の武道力 第三章 佐藤紅緑の少年力 第四章 斉藤秀三郎、秀雄の翻訳力 第五章 岡田虎二郎の静坐力 おわりに 参考文献一覧

    代表的!=典型的 - 書評 - 代表的日本人 : 404 Blog Not Found
  • isologue - by 磯崎哲也事務所: (女子大生、イタリアまで行っちゃった!)

    isologue - by 磯崎哲也事務所: (女子大生、イタリアまで行っちゃった!)
  • フェア(Fair)って何(のため)? : 404 Blog Not Found

    2008年06月11日19:30 カテゴリValue 2.0 フェア(Fair)って何(のため)? 実はまとまっていないのだけど、一生かけて考えるべきテーマでもあるので、途中経過の意味もこめて。 404 Blog Not Found:講義@南草津.立命館 新幹線の中で突貫工事で作ったslidesがこちら。 立命館2008.06.05 - What's Fair? これだけだと英語だし何のこっちゃですが、改めて日語でまとめる予定です。 「フェア」は「公平」でも「公正」でもない まず、もっとも多い誤解が、これ。 格差社会論(再録) (内田樹の研究室) それでも、とりあえず一つだけ、かなり広範囲に受け容れられている合意事項が存在する。それは「能力や資質が豊かに備わっているにもかかわらず分配上の不利益をこうむっている人々」と「能力や資質に見合わない過分の分配を受け取っている人々」を峻別し、後者が

    フェア(Fair)って何(のため)? : 404 Blog Not Found
  • 「バナナはおやつに入りますかー?」 | isologue

    前のエントリに対して「ぽん」さんからコメントいただきました。 http://fsahandbook.info/FSA/html/handbook/ こちらをご覧いただいてもわかりますように、UKFSAは何千ページものマニュアルを作ってしまったものですから、業界から減らせと言われて、プリンシプルを作ったのだと理解しています。 日の場合は又聞きですが、まだまだルールが足りないと言っておられるのは実は業界側で、検査の現場ではできる限りルールを増やすなと言っている声もあるそうです。 コメントどうもありがとうございます。 英国の状況はよく存じませんが、日についてはその通りじゃないかと思います。 なぜなら、それも、「境界線が明確でないとボコボコにされる可能性があるから」。 今までの金商法改正(改悪)の歴史を見ても、半分は民間が、 「そのルールだと不明確なので、もうちょっと明確化してくださーい」 と

  • あなたはオペレーターですか? デザイナーですか?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「大事なのはトータルな視点での創造する力であって部分的な方法ではない。」に、こんなコメントをもらいました。 グラフィックデザインの場合に限って言えば下積みの期間もなく簡単に線が引ける様になって、結構誰でも一人でコントロールできる工程が格段に増えました。 コントロールしようと思えば、どこまででもコントロールできるようになってしまっていて、今まで気にしていなかった部分まで気にしなくてはいけなくなったのでは? と思っています。 僕が「来身体から切り離せないはずのデザインという行為を、やたらと機械や方法論のほうに切り出してしまっていて、それゆえに全体が見えなくなってしまっている感はないでしょうか? 手で線を引いていた時代には見えていたものが見失われていて、ユーザー中心デザインなる

  • ドラえもんの道具

    最近、子供とドラえもんを見ていたときに気付いたことがある。 ドラえもんの出す道具の一つの特徴として、「空間」があるのだ。 つまり野比家ような狭い東京の一戸建て(といっても東京では十分広いが)で育つ子供にとってはうれしいであろう、地下のスタジオとか、亜空間の砂漠とか。秘密の隠れ家とか。 そこで大喜びして遊ぶ子供たち。 日にいるときは何の違和感もなく見ていたものだ。 オタワに来て見ると、それは不思議な感じである。 人間の感覚から言うと、ほぼ無限に広がる平地がある。 車で何時間も途方もなく何もない平原を走った後で、地図で確認してみると、地図上の恐ろしく狭い範囲であることに愕然とする。 こちらの子供たちには、空間自体に対する憧れはないのかもしれない。 今更ながら思うのは、日人の緻密な物造り、パッケージングへのこだわりはこの空間への憧れがあるからであろう。 もし日人全員がカナダに丸ごと移住して

    ドラえもんの道具