「太平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず」 幕末ペリーの来航で初めて黒船を目の当たりにした幕府はビックリして大混乱、その挙句開国を迫られアメリカの武力に屈し開国した。 幕府の弱腰外交と今でも揶揄されている事件ですが、本当に弱腰だったのか本当にペリーによって開国させられたのか? その答えを導き出してくれる男がいます。それは林羅山から数えて11代目にあたる儒学者林大学頭(だいがくのかみ)号は復斎。 彼の冷静沈着にしてタフなネゴシエーションが、どのようにして幕末日本を救ったのか!当時の幕府そして林大学頭は手強い相手だったようですよ。 ペリー来航の目的は? 1853年7月アメリカ東インド艦隊司令長官マシュー・ペリー率いる4隻の蒸気船が、アメリカ大統領フィルモアの親書を携えて浦賀にやって来ます。 しかしこれは親書とは名ばかりで早い話しが、アメリカが幕府に要求を突きつけたと言ってもいいでしょう
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