2024年2月29日のブックマーク (1件)

  • 「古文漢文必要派vs不要派」は政治的な争いである

    古文漢文なんていらねぇ!という主張は、とにかく評判が悪い。受験期になると毎年のようにこの手の論争が再燃するが、話がまともに前進することは稀である。 ほんとうに意味のない教養信仰やマウントやwhataboutismをとりのぞいたとき、私の考えでは、必要派のまともな論拠は以下の一点に絞られる。すなわち、古文漢文を学習することは、日人としての文化的アイデンティティを養うことに繋がるので、古文漢文は学ばれるべきなのだ。 いずれにしたって、古文漢文に優先的に学ばれるだけの価値があるとすれば、それは役に立つからである。 任意の学問について学ぶことにはそれ自体価値がある(誰もこれを否定するべきではない)のだが、それだけでカリキュラムに組み込まれるわけではない。古文漢文は英語数学とならんでとりわけ役に立つからこそ、受験科目にするほどの価値を認められているのだ。そうでないとすれば、あれやこれを受験科目に

    「古文漢文必要派vs不要派」は政治的な争いである
    sakisakagauri
    sakisakagauri 2024/02/29
    古文漢文教育の要不要が政治的な争いだという分析はたぶん正しいのだろうが、自称愛国保守論壇の中にも古文漢文教育不要派が結構いるので、実情は単純な話ではなさそう。