東浩紀+桜坂洋両氏の合作「キャラクターズ」(『新潮10月号』)をようやく読んだ。当然これはぜひ何か書かねばと思ったが、どうも小賢しい文章しか書けず読むに耐えない。まともにこの小説の評論を書くのは、いまの僕の力量では悔しいがちょっと無理なようだ。 とはいえ、思うに、この小説の根幹の思想はたぶんとてもわかりやすい――つまり、小説というのは「可能世界の海を亡霊のように漂っている「キャラクター」という名の曖昧な存在の幸せのために書かれるのだ」ということ、そして通常の純文学はその機能を果たすようにはつくられていないということ、にもかかわらず、私小説が育ててきた(読み手の)集合的な感情の組織化も、ある構造的な手続きを経ればキャラクターの「幸せ」に何かを与えることができるということ。そこでは、純文学とそれを支える批評の回路が名実ともに(つまり雑誌についても、読み手の感情のパターンについても)横領され、