うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
東浩紀+桜坂洋両氏の合作「キャラクターズ」(『新潮10月号』)をようやく読んだ。当然これはぜひ何か書かねばと思ったが、どうも小賢しい文章しか書けず読むに耐えない。まともにこの小説の評論を書くのは、いまの僕の力量では悔しいがちょっと無理なようだ。 とはいえ、思うに、この小説の根幹の思想はたぶんとてもわかりやすい――つまり、小説というのは「可能世界の海を亡霊のように漂っている「キャラクター」という名の曖昧な存在の幸せのために書かれるのだ」ということ、そして通常の純文学はその機能を果たすようにはつくられていないということ、にもかかわらず、私小説が育ててきた(読み手の)集合的な感情の組織化も、ある構造的な手続きを経ればキャラクターの「幸せ」に何かを与えることができるということ。そこでは、純文学とそれを支える批評の回路が名実ともに(つまり雑誌についても、読み手の感情のパターンについても)横領され、
東浩紀・桜坂洋の「キャラクターズ」(新潮10月号掲載)を読んだ。論壇へのスキャンダラスな興味で読むぶんには面白いのだけれど、宣言した「キャラクター小説」としては失敗だと思う。文芸誌に載るキャラクター小説とはいかなるものか、そこにしか興味はなかった。オタク哲学者とラノベ作家の共作ということで期待したのだが、残念ながら期待は裏切られた。これはキャラクター小説ではない。この作品のどこら辺がキャラクター小説だと考えているんだろうか。私小説が「この作品の私は作者としての私ではありません」と説明することと何が違うというのか。東浩紀の虚構話を書くこととキャラクターとしての東浩紀を書くことは違うのだ。この作品には標題に反してキャラクターなんて一人も描かれてはいない。 100歩譲って、この作品の登場人物はキャラクターである、という説明を受け入れたとしよう。それでもこの作品はキャラクター小説としては駄作だと思
サイバーパンクと未来への想像力 2007/09/02 ワールドコン テーマ 情報社会化でサイバーパンクが予見していたものしていなかったもの。 携帯、mixi、というサイバーパンクが一番弱かったもの 巽さんはサイバーパンク関係のほとんど出席しているので。 サイバーパンクの総括:4半世紀、日本への影響。 サイバーパンク的想像力がどうなるか 巽: サイバーパンクの歴史的経緯を「サイバーパンク・アメリカ」という本にまとめている いくつか規格があるなかで 小川隆がやっているのと2系統 小川さんのはアメリカの今のこどもたちを書いているもの 原型としてパット・キャディガン→http://homepage1.nifty.com/ta/sfc/cadigan.htm エレン・ダトローhttp://homepage1.nifty.com/ta/sfd/datlow.htm アイリーン・ガンhttp://hom
このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネット(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 ※1 日本のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 ※1 レジストラ「GMO Internet, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 ※1 2020年8月時点の調査。
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
著:東浩紀・桜坂洋 画:和田タカアキ 講談社MouRa*1東浩紀が未来世界を予測し、桜坂洋が小さな成熟のぶつかり合いを物語る2045年の未来学エンターテインメント。2週間おきの連載も、すでに6thターンが終わり、再開を待つ期間になっています。 この連載に対する桜坂洋の文章には特徴がないとの感想を読んで、ちょっと違和感を感じました。たぶん私は、すぐに見てとれる《クセ》や《味》といった文体を魅力に売るのが小説の本道である、という考え方に馴染めないんだと思います。超売れている村上春樹の文章だって《クセ》のない文だと思うんです。 桜坂洋の過去作の文体については、すでに分析が始まっていますので、私はギートステイトの文体について考えてみたいと思います。 確かに本作、いつもの桜坂文体とはちょっと違う印象を受けてました。物語に応じて適した文体を変えてくるのが桜坂洋の持ち味の一つですから、本作でも何かやって
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く