第三の質問 (01) 「あなたの講話を聴くとき、または ほかのとき、私は、光明を得るために必要なことを すべて自分が知っている、ということを知っています。 そういうときには、私は光明を得ているのでしょうか ? この明白で表面的な「知ること」は いったいどうやって「在ること」にまで浸透し、「在ること」になることができるのか、どうか 説明してください。 この「知ること」は 私から純真さや、もっと完全な体験的認識を奪っているようにみえます。 その知識が、私の 存在の成長をだいなしにしてしまったのです。 それにもかかわらず、私は、自分の存在というようなものは いっさいないことを知っているので、ひとつになりたいという動機を まったく感じません。」 まず、初めにーーー あなたは 言う 「あなたの講話を聴くとき、またはほかのとき、私は、光明を得るために必要なことすべて自分が知っている、ということを知って