2022年12月20日のブックマーク (4件)

  • 「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 15) - saleemのブログ

    『人間は神に何を捧げられるか ?』(15) 一人の画家が、その木の脇に 立っている。 彼にとっては、その木は 緑に見える。 画家が 一の木を見る時、その木は ただの緑ではないことを、あなた方は知っているだろうかと、私は思う。 緑には、何千ものタイプがあるからだ。 普通、あなたが木を見ると、全ての木が緑に見える。 しかし、二つとして 同じ緑は存在しない。 二つの緑は 二つの色だ。 全ての緑に、それ独自の 緑がある。 だから 画家にとっては、単純な緑ではない。 それは、A緑、B緑、C緑だ −−− 多様な色合い、多様な 個性が ある。 悲しみのなかにある恋人、最愛の人を亡くした恋人は まったく木を見ないかもしれない −−− その緑は とても悲しく見え、来の色合い、風合いとは 違うように見えるだろう。 彼には、その木の膚合いを 感じられない。 また感じたとしても、それは木の膚合いではなく、恋人

    「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 15) - saleemのブログ
    saleem
    saleem 2022/12/20
    「そして それは、あなた 次第だ ! 」 OSHO
  • 「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 14) - saleemのブログ

    『人間は神に何を捧げられるか ?』(14) ウパニシャッド 曰く 『この世界を通して、あらゆる ものごとを通して、あなたのマインドを “それ” ヘ 捧げなさい』 いかなる障害も 作り出しては ならない。 相対するものを 作り出しては ならない。 それが何であろうと  “それ” だ。 すると、当に 奇跡が起こる。 私が「悪を通して 善を見なさい」と 言う時 悪は 消え去ってしまう。 私が この世界を通して  “それ” を見なさい という時 この世界は 消え去る。 それは 透明になり、そしてただ  “それ” が留まっている。 世界は そこには存在しない。 だが我々には、そこに存在している  “それ” を まだ 知ることができない。 世界は 消え去ってしまう。 だから シャンカラは「世界とは幻想だ」と語った。 幻想、マーヤとは 「世界が存在していない」という意味ではない。 それは「世界とは実在

    「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 14) - saleemのブログ
    saleem
    saleem 2022/12/20
    「 シャンカラが『世界は幻想であり、“それ” が あからさまになった時、消え去る』と言うのは、夢のように消え去ってしまう、ということではない −−− そうではない ! 」
  • 「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 13) - saleemのブログ

    『人間は神に何を捧げられるか ?』(13) (…自らが課した拷問を 楽しみはじめるなら、その人は 正気ではない、狂っている ということだ。 もう、彼は まともではない ) あなたは、自分自身の愚かさの 殉教者にもなり得る。 あなたは 他の人達から崇められることすら、あり得る。 というのも、人が 自分自身をいじめているのを、とても 幸せに感じる人達が 存在するからだ。 彼らは それを楽しむ。 彼らは サディストであり あなたは マゾヒストに なり始める。 あなたは 自分をいじめる。 あなたは常に、自分自身を痛めつける。 全世界が 神に反する時、あなたは自分をいじめるだろう。 生は 絶え間ない拷問となる。 すると、あらゆることが罪になり、あらゆることが罪悪感、恐怖、不安を 生み出し、あなたは 絶えず混沌の中に 生きることになる。 あなたは 自分をいじめ、マゾヒストになる。 マゾヒストが いれば

    「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 13) - saleemのブログ
    saleem
    saleem 2022/12/20
    「宗教とは、根本的には エクスタティックな生を創造すること、祝福のある生を生み出すこと、絶対なる喜びである生を 生み出すことだ」 OSHO
  • 「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 09) - saleemのブログ

    『人間は神に何を捧げられるか ?』(09) (…クリシュナは どこにいても くつろいでいられる。 たとえ地獄にいても、彼は そこで踊っていられる。 というのも、地獄でさえ 彼にとっては  “それ” だからだ ) 私は、ジャイナ教徒はクリシュナを 地獄に送り込んだ と言った。 というのも、クリシュナには、インドの大戦争、マハーバーラタの責任が あったからだ。 ジャイナ教徒は、クリシュナを七番目の地獄に 送り込んだ。 そこは、大罪人達の行く 最も深い地獄だ。 しかし私が目を閉じ、地獄にいるクリシュナのことを思い浮かべると、そこには 踊っているクリシュナ以外は 想像できない。 彼は 地獄で 踊っているに違いない。 地獄ですら “それ” だからだ。 そして、彼は そこで何一つ あくせくしていないだろう。 また、地獄から出してくれるようにと、祈ってもいないだろう。 彼は 何の努力も していないだろう

    「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 09) - saleemのブログ
    saleem
    saleem 2022/12/20
    老子曰く 「天と地の間を 一寸 分けることが、全てを 分かつ。 善と悪の間を 一寸 分けることが全てを 分かつ」 何一つ、区別すべきではない。