自衛隊に派遣や出動を命じる前提として、日本の安全に影響のある「事態」をどう認定するか。安全保障関連法案では、新しい事態が次々と作られ、基準や線引きが整理されないまま乱立している。 関連法案には、日本への危険度が高い順に、武力攻撃発生事態▽武力攻撃切迫事態▽武力攻撃予測事態▽存立危機事態▽重要影響事態▽国際平和共同対処事態−−などが盛り込まれている。
![Listening:<社説>安保転換を問う 乱立する「事態」 政府も説明し切れない | 毎日新聞](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/3df7b229795ccd713044b83f76865c4787066818/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn.mainichi.jp%2Fvol1%2F2015%2F12%2F18%2F20151218hrc00m010001000q%2F9.jpg%3F2)
タブレットPCを使った教育事業をめぐり、疑惑まみれとなった佐賀県武雄市(小松政市長)への情報公開請求から、同市が樋渡啓祐前市長時代から売り出しを図ってきた特産品の販売状況を示すデータを、一切保有していないことが分かった。 同市が特産品として売り出していたのはハーブの一種「レモングラス」と「いのしし肉」。一時は担当課まで設置する力の入れようだったが、販売実績を示すデータは残されておらず、“やりっぱなし”の状況。「改革市政」の実態が、パフォーマンスに明け暮れる張りぼて市政であったことを証明する事実と言えそうだ。(写真は武雄市役所) レモングラス・いのしし肉 担当課まで設置したが…… 武雄市は2007年、樋渡前市長の発案で「レモングラス」を市の特産品として育成する試みに着手。翌年には「レモングラス課」を新設し、商品開発や販路の拡大を展開するなど、市をあげて売り込みを図った。2010年、「販路につ
安倍晋三首相は一日の答弁で、集団的自衛権を行使して戦時の中東・ホルムズ海峡で実施する機雷掃海について「受動的、制限的な行為」と強調するため「完全な停戦合意はしていないが、合意に向けた話し合いが進んでいる状況」でのみ行うような説明をした。 だが、そんな限定的状況なら期間も短く、ほどなく正式停戦になるし、手続きが残っているだけなら外交力で早く決着させればいい。原油の輸送ルートもほかにあり「国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」という武力行使の要件に当たるはずがない。 首相はこんなに無理がある事例に、なぜこれほどこだわっているのか。現憲法で集団的自衛権の行使を容認する解釈の変更をするために、何とか説明のつく事例として、自身が一番理解できたのが機雷掃海だからではないか。 首相は私が官房副長官補を務めていた第一次政権でも解釈変更しようとしたが、当時の事例は弾道ミサイル迎
日米が一体となって中国を押さえ込む、というのが両国政府のもくろみだが…。写真は2014年の日米印合同演習 Photo:USFJ >>上編から続く 前回に続き、元防衛官僚で安保政策の専門家である柳澤協二氏に、今国会の焦点である安保法制のポイントと問題点を聞く。柳澤氏は、今回の法制案は内容的にも手続き的にも大きな欠陥があると指摘。さらに、そもそも安倍政権の考え方は日本の抑止力を高める、すなわち日本を守ることにはならず、むしろ危機を招くと説く。(聞き手/週刊ダイヤモンド編集委員 原 英次郎) 武力行使の基準を 書かないのは欠陥法案 ――昨年、集団的自衛権の行使を認めるかどうかの議論がなされたときに、行使が必要な事例として、政府・与党はいわゆる15事例を挙げました。しかし、米軍の船が避難する日本人を運ぶなど、ガイドラインに照らしても現実性のない事例が多いという強い批判も出ました。その最も重要な点に
いよいよ今国会最大の焦点である安保法制の審議が始まった。具体的には関連法10本を束ねた「平和安全法制整備法」と「国際平和支援法」の2本立て。集団的自衛権行使を可能にするなど、戦後続いていきた安保政策の大転換だが、法案はいかにも分かりづらい。 元防衛官僚で、安保政策の専門家である柳澤協二氏に、安保法制で何が変わるのか、そしてその問題点は何かを聞いた。柳澤氏は4月27日に合意したガイドライン(日米防衛協力のための指針)を読めば、その目指すところが分かるという。(聞き手/週刊ダイヤモンド編集委員 原 英次郎) アメリカとの公約が先行 自衛隊・米軍の平時からの一体化が進む ――まずガイドラインと安保法制の、特徴と評価を聞かせてください。 大変驚きました。 手法そのものが、先にアメリカで事実上、公約し、夏までに法案を通すような話までしてしまうというものでした。 そうした政治的手法もさりながら、やはり
年に1度の関東戦国史編を。カテゴリ3です。 今回の「第12部」でようやく完結。 すでに北条家が滅亡し、関東での戦乱は終わってるのですが、 関東諸侯たちはまだシブトく生き残ってました。 そこで彼らが関東から消えるまでの話をさくっと。 1590年7月6日。小田原城が開城して「北条家」はあっけなく滅びました。 それから1ヶ月も経たない8月1日。 さっそく徳川家康が新しい関東の覇者として江戸に入城します。 それまで家康は駿河・遠江・三河・甲斐・信濃の5ヶ国を統治しており、 133万石を有する大大名でしたが、その領地は全て没収されまして、 代わりに北条領をそっくり丸々受け継いだのでした。 武蔵・相模・伊豆・上野・下総・上総 の6ヶ国。石高にすると255万石。 関東に入封した家康は、さっそく家臣たちに領地の分配を行ないます。 このうち4万石以上の大領が与えられたのは5人。 井伊直政 上野箕輪 12
465 :日出づる処の名無し:2015/05/28(木) 19:51:15.95 ID:jACIq+I8 今日の我が党も酷かった 後藤「NHKの生中継用にフリップを用意して参りました。 国民の皆様はよくご覧ください。 このフリップの通り、ホルムズ海峡を通る石油がなくなったら、燃やすためのあったかいものが なくなってしまうわけです。 国民の皆様も、このフリップを見れば石油の必然性が一目瞭然でしょう!」 ttp://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org338822.png 後藤「まさか政府は1人でも凍死したら派兵するとは言わないでしょうね! 国民の皆様に対し、果たして何人凍死したら派兵するのかをお答えください!」 中谷「長期的に原油が来なくなれば、凍死では済まない深刻な事態に繋がります。 原油不足が原因の凍死者が出る事態を待っては明らかに遅いですが・・・」 後藤
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