なんで単なるマナー教育のために、歴史を捏造するインチキの必要があるのでしょうね?というかまず「歴史を捏造したら駄目」という倫理を守るべきでは。 ※ 20130711、「ネタ・感想編」を分割→http://togetter.com/li/532226 それにそもそもマナーとしてもそんなに良い事言っていないような気がします。冷静に考えれば。当たり前の事だったり、「被害者謝れ」「田舎者は犯罪に遭って馬鹿にされる」とか、ちょっと神経疑うような「倫理観」が入って居たり。 続きを読む
![捏造された「江戸しぐさ」(偽史・ウソ)](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/d9524869981fb383cd0c723ec7e0e46223c9459f/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fs.togetter.com%2Fogp2%2Ff6261c2991bd53e6e6fca16a8dda6492-1200x630.png)
プログラマ兼業ライター。著書に「プログラマを笑え」その他。最新刊は「Mac OS X/iPhoneのためのCocoaプログラミング入門」。Webでは時にSnakeHole, 黒船来航についての有名な狂歌に「泰平の 眠りを覚ます上喜煎 たった四はいで 夜も眠れず」というのがある。 歌道に暗いヒトのために解説すると,上喜煎というのは煎茶の銘柄。お茶にはカフェインが含まれているから現在のコーヒーと同じように眠気覚ましの効果がある。とは言えその効き目には個人差とか慣れがあって,現にオレなど日に5杯はコーヒーを飲むが夜眠れなくて困ったことはない。つか昼飯にトースト食ってコーヒー飲んで直後に昼寝さえする。当時のヒトが飲んでた煎茶のカフェイン含有量がどれほどだったかわからんが,4杯飲んだくらいで眠れなくなるほどではなかったのだろう。この歌はまずそういう「常識」がベースにあるわけね。 あとは駄洒落だ。
先日の記事に、池田信夫さんからレスポンスをいただきました。「高齢者の高福祉と若者の高負担…をどこまで容認するかという世代間闘争」が、今後の政治の争点になるべきだというのは、私も同意見なのですが、しかし池田氏自身がしばしば嘆かれているように、現在の日本では当の若者たちが、(脱原発や反TPPでは盛り上がっても)そのような方向には立ち上がらない。実は、これは理念的に真逆の立場の論者から見ても同様のようで、「新自由主義的な格差社会で一番苦労するはずの不安定雇用の若年層に限って、小泉改革を支持して自分で自分の首を絞めている」式の言説が、数年前まで論壇を席巻していたことは記憶に新しいでしょう。あらゆる陣営から首尾一貫性のなさを叩かれてばかりの「若者」は、果たして思慮が足りないのでしょうか。どうして日本では、理念的な整合性を伴った構図での「改革」が貫徹されないのかを、歴史的に考えてみます。 拙著でも論じ
朝鮮半島や中国では現在でも犬を食べる風習がある。それを野蛮だと思う日本人はけっして少なくないはずだ。だが、同じ東アジアに属する日本でも、かつては犬が食べられていた。その事実を伝える文献は少ないものの、江戸時代の武家屋敷など中世から近世にかけての遺跡からは、刃物の傷のついた犬の骨が数多く出土し、人間が食べたものと考えられているという(松井章「日本の食犬文化」『週刊朝日百科 動物たちの地球128』)。 そうした風習がなくなってしまったのはなぜか。どうやらそれには、江戸幕府5代将軍・徳川綱吉のあの有名な「生類憐みの令」が大きく影響しているらしい。 もっともこれは、そうした名前のまとまった幕令があったわけではなく、1685(貞享2)年以来、元禄年間を通じて綱吉が出した一連の「お触れ」をのちに総じて名づけたものだ。歴史学者・塚本学の『生類をめぐる政治』によれば、こうした政策には、下級武士たちによる食
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