クロ・リュセ城が建つ一帯は十三世紀以降アンボワーズ家の領地となり、家臣らに与えられたのち、アンボワーズから五キロメートルほど離れたロワール川の上流の町リムレイ(Limeray)を拠点とするシトー派のモンス修道院(Abbaye de Moncé)の管理下となり、修道女たちの居館が建てられた。 1471年、モンス修道院からフランス王ルイ11世の側近を務めたアンボワーズ家の重臣エティエンヌ・ル・ルー(Étienne le Loup)に売却され、ル・ルーによって新たに城が築かれ、「クルー館(Manoir du Cloux)」と呼ばれた。1490年、フランス王シャルル8世(在位1483-98)は王家の夏の王宮とするためエティエンヌ・ル・ルーから城を買い取って増改築を行い現在の姿となる。 シャルル8世は新王妃ブルターニュ女公アンヌ(Anne de Bretagne)が王宮であるブロワ城へ行くまでの間こ
![クロ・リュセ城――レオナルド・ダ・ヴィンチの終の棲家 | Call of History ー歴史の呼び声ー](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/58ec23ca8411200be38e437538959421f5e574e2/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcall-of-history.com%2Fwp-content%2Fuploads%2F2020%2F12%2F622e2627a0afb7a9ccf6d42d58a5200b.jpg)