「関西ダービー」として行われた日本シリーズは1964年に一度行われた。顔合わせは大阪球場を本拠地としていた南海(現ソフトバンク)と阪神の顔合わせで、10月1日に阪神の本拠地である甲子園球場で開幕。この年は10月10日に東京五輪が開幕する予定となっており、異例の早さでスタートした。 先に王手をかけたのは阪神で、甲子園での2試合を1勝1敗、大阪球場での3試合を2勝1敗として本拠地の甲子園に戻った。しかし、第6戦と第7戦に連敗。通算成績を4勝3敗とした南海が逆転で日本一とり、MVPは3勝した先発右腕のスタンカが獲得した。 そのときの監督は阪神が藤本定義さん、南海が鶴岡一人さんが務めた。阪神には吉田義男さん、村山実さん、南海には野村克也さん、広瀬叔功さんらが選手として在籍しており、全員が後に監督を務めた。また、吉田さんは85年に阪神では唯一の日本一に導いた。 関西勢同士の日本シリーズは史上初めてだ