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ブックマーク / urbansea.hatenadiary.org (34)

  • ドラゴン・タトゥーの女→中村勇吾→ - 北小路ゲバ子の恋

    要するに、スクリーンを「プロダクトの延長の実平面」と捉えるか、「仮想的な空間を覗く窓」と捉えるかの違いで、どちらもそれぞれに、気持ち良い面、気持ち悪い面をもっている。  (中村勇吾 on twitter) ドラゴン・タトゥーの女。▲TOHOシネマズの座席を立つ際には、いまひとつと想いもしたのだが、日が経つと傑作に想えてきた。それは映画の記憶が薄れ、女の魅力のみが残っていったからであろう。▲スタイリストとヘアメイク、このふたりの勝利に違いない。平成のはじめ、「ゴッドファーザー3」を見た私は、すぐさま皮のコートを買った。アンディ・ガルシアの影響である。いい歳した今、「ドラゴン・タトゥーの女」を見た私は皮のジャケットが欲しくなった。しかしながら、帰り、無印良品でスキンケア商品を買って帰る。年をとるというのはそういうことなのだろうか。▲音を次のカットにこぼす編集がしつこいほど多用されている。これは

    ドラゴン・タトゥーの女→中村勇吾→ - 北小路ゲバ子の恋
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    saz_go 2012/03/29
    真鍋大度+石橋素「プロポーション」
  • ALWAYS三丁目の夕日'64 - 北小路ゲバ子の恋

    上映後の床はポップコーンだらけ、3Dメガネのせいでツマミみにくいのかもしれないが、こんなに散らかっているのも珍しいというくらいの有さまで、ハレの映画の証、すなわち年に1度映画に来る程度の人(つまり大半の日人)をかき集める映画、大衆を相手にしたそれであることをポップコーンが語っているようであった。年がら年中映画を観る人はこの映画を黙殺するのであろうけれども、変なこだわりは捨てて観たほうがいいんじゃなかろうか。▲コンテンツ商売なんてものをやっているため、年中「エッジが効いている」だなんだてな物言いを聴くのであるが、「エッジが効いている」ものよりも、大衆を相手にしたものの方がすごいし、こしらえるのも大変に違いない。この映画を見ながらずっとそんなことを考えていた。▲勤務先の上司は、地方で暮らすブルーカラーの兄貴にも届くか…と自問自答しながらコンテンツ商売をしているのだが、たとえばテレビとスマフォ

    ALWAYS三丁目の夕日'64 - 北小路ゲバ子の恋
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    saz_go 2012/01/24
    はじめてALWAYSが観たくなった
  • 牛窓 - 北小路ゲバ子の恋

    ○牛窓(岡山県瀬戸市) 牛窓を知ったのは、川三郎「日すみずみ紀行」(昭和62年刊行)によってである。この書籍は川の町歩き・紀行もののなかでもいちばん好きなものかもしれない。これにも下の写真にある「ニコニコ堂」は登場し、川は「おでんと小さなイカの煮物をさかなにビール」を呑む。その後、遊郭から転業した旅館で一泊した後、広島の大崎下島の町・御手洗に向かう。ここもかつては遊郭の町であった。一泊した後、以下のように川は〆る。 お婆さんの作ってくれたワカメの味噌汁がおいしかった。朝刊を見ると、広島県でプロ野球のオープン戦、広島と西武の試合が行われたとある。春はもうすぐである。朝をすませ、船着場まで行く私をお婆さんが見送ってくれた。こんどの旅はなんだかお婆さんにばかり会ってきたようだ。  川三郎「日すみずみ紀行」現代教養文庫21頁

    牛窓 - 北小路ゲバ子の恋
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    saz_go 2012/01/12
  • いまさらのfacebook - 北小路ゲバ子の恋

    深夜、ひと稀なオフィスのフロア、音の割れまくった音楽が聞こえる。あるガールズバンドの仮歌のデモが同僚のノートPCのスピーカーから流れている。デモゆえの荒っぽさがノートPCのスピーカーゆえに増殖され、余計に心を揺さぶる。社畜の日常でおきる、ささやかなエモーショナルな情景である。 これを実名アカウントで書くわけにはいかない。リリース前の楽曲なのだから、ヘッドフォンで聴くべきであるとの誹りを受けかねない。それは正論である。(実際、私はそうしている) 協業者に不安をあたえるかもしれないし、勤務先に迷惑をかけるかもしれない。実名アカウントとは、かくも不自由なものある。 晩秋、商売の都合でfacebookアカウントをとる。そんな経緯もあって、これは社宅の空き地なのだと知る。4・5階建ての社宅と社宅の合間のスペース、そこにて大声で唄ってみせる、そんな感じだろう。 たとえばCM制作会社の制作進行やテレビ

    いまさらのfacebook - 北小路ゲバ子の恋
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    saz_go 2012/01/05
    facebookはボディコピー的な短文とURLを拾う場となる。その意味ではfacebookは、立食パーティーの軽い挨拶と簡単な会話に近い。 “facebookはボディコピー的な短文とURLを拾う場となる。その意味ではfacebookは、立食パーティーの
  • 光の教会、および、いかに私がクズであるか。 - 北小路ゲバ子の恋

    ○光の教会(大阪府茨木市) 晩夏、あるいは初秋、ペットボトルと文庫、写真機をコンビニ袋にいれて大阪にむかう車中、暇つぶしにケータイメモリの整理をする。イマジカFT窓口なんて二度と用事はなく、キンコーズの店舗の番号がやたらと入っているのに前職の名残りを見たりもする。国立天文台は日没の時間、国土地理院は日没の方位を問い合わせのにメモリに入れていたのだったか。もはや記憶にない。 そこには、その昔、好きだった女の名前があった。 その女を好きになったのは、女がマイノリティだったからである。私のようなどうしようもないニンゲンは、自分に自信など物ごころついた時からなくて、そんな身の上の女に、そうであるがゆえに安心感を覚え、安心して好きになれたのである。女が抱えていたであろう負い目に、私はただ、つけこんでいたのである。 そのような私は、どうかんがえてもニンゲンのクズであるに違いない。 ニンゲン性はとっくに

    光の教会、および、いかに私がクズであるか。 - 北小路ゲバ子の恋
  • 伊東豊雄/谷口吉生/ドミニク・ペロー/丹下健三/安藤忠雄/SANAA/ - 北小路ゲバ子の恋

    ○伊東豊雄設計 今治市伊東豊雄建築ミュージアム(愛媛県今治市大三島) ○谷口吉生設計 鈴木大拙館(石川県金沢市) ○ドミニク・ペロー設計 大阪富国生命ビル(大阪大阪市北区) ○丹下健三設計 今治市公会堂(愛媛県今治市) ○安藤忠雄設計 福寺水御堂(兵庫県淡路市) ※堂は撮影禁止のため写真なし。とにかく素晴らしい。 ○SANAA設計 金沢21世紀美術館(石川県金沢市)

    伊東豊雄/谷口吉生/ドミニク・ペロー/丹下健三/安藤忠雄/SANAA/ - 北小路ゲバ子の恋
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    saz_go 2011/11/27
    本福寺水御堂
  • 五社英雄備忘録 - 北小路ゲバ子の恋

    鬼龍院花子の生涯 「『鬼龍院花子の生涯』の撮影に入るときには、あの子はもう病気だったんですよ。それで、撮影前に「仲代さん、私、病気持ちでして、ここに大きな傷跡があるんです。それで、仲代さんとはラブシーンがあるから先にみせておきます」って、パッと着物をはだけさせて、胸元の手術跡をみせてくれたんです。そのとき、これは凄い人だと思いました。わが身を削ってまで、共演者に気を遣ってくれたんですからね。」  (春日太一「仲代達矢が語る「昭和映画史」第四回 「Voice」2011年12月号221-222頁) 「あの子」とは夏目雅子である。「なめたらいかんぜよ」のセリフで知られる高知九反田の侠客・鬼政の娘・松恵の役は当初、大竹しのぶであった。しかし、五社英雄の映画に出ては何をされるかわからないと、降りられる。そうして白羽の矢は夏目雅子に向けられる。この作品の監督・五社はもともとはフジテレビの社員ディレクタ

    五社英雄備忘録 - 北小路ゲバ子の恋
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    saz_go 2011/11/22
    女殺油地獄を観ようと思った
  • blue 〜魚喃キリコ・本調有香・安藤尋・川内倫子・鈴木一博 - 北小路ゲバ子の恋

    安藤尋「blue」2003 手をつないで走り出す制服の仰角の少女ふたり …映画blue」のキービジュアルをみるとなぜか渋谷警察署向かいの山下書店を想いだす。その頃、やたらとそこにいっていたのである。おそらくそこで川内倫子の「blue」の写真集を繰り返し開いていたのであろう。これをポストカードにした宣材がとても好きで、会社のパーテーションにずっと貼っていた。それがなくなると自室のドアに貼っていた。すなわち乙女チックなまでにその写真が好きだった。 過日、「ジョゼと虎と魚たち」(渡辺あや)のシナリオを読もうと想いたって「03年鑑代表シナリオ集」を手にすると、一緒に調有香「blue」のシナリオが収められていた。安藤尋による映画の脚である。夢の超特急・湘南新宿ラインの車中でいっきに読んだ。「桐島」「遠藤」…名字の呼び捨てで呼び合う硬質なトーンが心地よかった。あだ名で呼び合う「あの花」をちょこち

    blue 〜魚喃キリコ・本調有香・安藤尋・川内倫子・鈴木一博 - 北小路ゲバ子の恋
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    saz_go 2011/10/23
    そう言えば映画は観てない。観たくなった。
  • 葉山 - 北小路ゲバ子の恋

    ○ 真名瀬バス停(神奈川県葉山町) 州の西端、そのコンビナート地帯にあってはありふれた、高卒の工場労働者の家庭で私は育った。小学低学年の頃、テレビで勝田清孝が警官を撃ったとのニュースを見たあくる日から、新聞の社会面を読むようになる。新聞を読む息子に両親は喜んだ。ただ犯罪者が好きなだけであったのだが。小学校の中ほどになると、親が買って帰る週刊誌を読むようになる。週刊宝石と週刊ポストが多かった。竹久みちと大久保利春に興味が向いた。 そんな風に活字体験を重ねていった。それが私である。goldhead氏のように親の書棚から吉隆明をひっぱりだすなどとは無縁の生活であった。親の貧しい書棚にはボイラー技士試験のテキストなどが並んでいる、そんな家庭であった。 三流私大に入る。東武伊勢崎線沿いの女にドナルド・バーセルミを薦められる。誰だよ、そいつは。南関東出身者たちはメタフィクションを好んでいた。 「え

    葉山 - 北小路ゲバ子の恋
  • 結局のところ、私の人生の最高潮の時というのは、コルベットを買った時ではないか。グランツーリスモ4での話であるが。 - 北小路ゲバ子の恋

    ○横須賀美術館(神奈川県横須賀市) ネットにある病の診断をすると、満点近くになるのである。その質問の多くに「ここ2週間〜」との枕詞がついているのだが、ここ2週間どころか、小学校に上がる前から、寝付きが悪くて、不安で…の私は、いったい何なのであろうか。 ただでさえ不安でしょうがない私を、さらに会社が追いつめる。その元凶はケータイである。 その昔、大井川鉄道にひとりロケハンにいった。日帰りで3回くらい出かけたか。ボーダフォンは圏外であったため、誰からも電話がかかってくることはなくて、河川沿いの桜並木や茶畑を気ままに歩くことが出来た。いくら何でもそんなところで撮らないだろうというところまで歩き、スチールで抑えてまわった。あの時のロケハン写真を手元に残しておけばよかったと時折、想う。 ただでさえケータイで捕捉されているというのに、twitterなどまで実名アカウントであったら、逃げ場がなくなって

    結局のところ、私の人生の最高潮の時というのは、コルベットを買った時ではないか。グランツーリスモ4での話であるが。 - 北小路ゲバ子の恋
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    saz_go 2011/05/06
    タイトルと文章と写真のこの組み合わせ!
  • Blue Valentine - 北小路ゲバ子の恋

    生きるということ。そして死ぬということ。誰ひとりそこから逃れることはできない。私たちはこの世界にたった一人でやってきて、たった一人で去っていくのである。そのほとんどが寂しく、おびえて、人生の大半を無駄に送るのだ。 (ブコウスキー「狂った生き物」より) この映画人生も例外ではないようだ。「ブルーバレンタイン」、口唇性愛をさせそうな男*1の子供を身ごもった女は、口唇性愛をしてくれる男と結ばれる。けれども結局、うまくは行かない。そんな映画である。 映画の冒頭、男は娘と一緒になって、テーブルに直接乗せたレーズンを手を使わずにべて遊ぶ。女はそれを嫌がる。この些細なシーンに、女と男の間の、どうしようもない溝が描かれている。決定的…という程のものではなく、違和感をうむ程度の、である。この程度がこの映画の妙である。だから、ふたりは時間をかけて瓦解していく。たいしたプロットポイントも持たずに瓦解していく

    Blue Valentine - 北小路ゲバ子の恋
  • 上智大学 - 北小路ゲバ子の恋

    この写真に2011.03.14などと日付が入っていたらば、ひとはそれを見て、東北地方大地震への追悼とみなすだろう。しかし、実際にはこれは昨年のクリスマスだかクリスマスイブだかの上智大学である。 この写真に「pray for japan」とキャプションが添えられれば、ひとはそれを見て、東北地方大地震への追悼とみなすだろう。しかし、実際にはこれに添えられるべきは「Merry Christmas」なのである。

    上智大学 - 北小路ゲバ子の恋
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    saz_go 2011/04/12
    「Merry Christmas」
  • 相米慎二「台風クラブ」と、それからの十日間 - 北小路ゲバ子の恋

    気だるさと高揚感。東北地震からの十日間の、私をとりまいた空気感である。なんだかんだで毎日出勤し、缶コーヒーをすすりながらエレカシを聞いて、ときおりustreamでNHKの原発ニュースを見る。仕事は遅々として進まず、だからといって世の中自体の動きがそんなのだから、なすすべもない。会社にはいるものの、遊んでんだが、仕事してんだかわからない、ustを通じてみる放射能だか放射線だかの恐怖にはいまいち現実感が持てないまま、時間を喰い潰していく。そんな感じの空気感。 地震から十日目の夜、映画「台風クラブ」を見ながら、作中の中学生らと同じ空気感にいることに気づく。気だるさと高揚感、そんな感じ。その夜に読んだ飲めヨーグルト氏のブログエントリ「それからの十日間」にも、文体のせいかもしれないが、同じそれを感じた。南関東で暮らす、少なからぬニンゲンは「台風クラブ」のような日々だったのかもしれない。 ここ数年、春

    相米慎二「台風クラブ」と、それからの十日間 - 北小路ゲバ子の恋
  • 終わっていながら終われずにいるニンゲンにとっての「キッズリターン」 - 北小路ゲバ子の恋

    ビートたけし(北野武)から「やめちゃダメだ…ねえちゃん達はティナ・ターナーのように50代になってもミニスカートにハイヒールで歌わなくちゃ」と言われ活動を再開  (wikipedia「キャプテン (アイドルグループ) 」の項より) 建てかえ前の文芸坐地下で北野武「キッズリターン」を見たのは昭和71年12月のこと、帰りにストリップ小屋近くの福しんで飯を喰ったことを覚えている。その前の週末、ひいきにする騎手・熊沢重文の手からわずか1cm差で栄光がこぼれ落ちた。まあそのうち、と想った。しかしその後も掴みかけた栄光を落とし続けた。そんなことを繰り返すうちに、私は熊沢騎手からも競馬からも興味を失っていった。 「俺たち終わっちゃったのかなぁ」 「ばかやろう、まだはじまっちゃいねぇよ」 この映画の有名な会話である。 …当時の私はまだ20代であった。そんなこともあって、いいセリフだなと、ひとなみに想った。田

    終わっていながら終われずにいるニンゲンにとっての「キッズリターン」 - 北小路ゲバ子の恋
  • 映画「海炭市叙景」 - 北小路ゲバ子の恋

    *1 映画「海炭市叙景」、その舞台である海炭市から西に40キロ、私はそこで生まれ育ったはずである。原作の文庫の解説にて、川三郎は「この小説を読むと誰もが自分の住んでいる町と、そこで働きながら生きている人々のことを愛おしくなるではないか。」と書く。架空の町に自らの暮らしをそこに見つけ出せる…ということだろう。しかし私に限ればそんなことはない。海炭市はいささか大き過ぎる。原作者の故郷・函館市がモデルであり、ロケ地であるから仕方がないのかもしれないけれども、そこは私の生まれ育った州の西端のどこよりも大きい。 プラザ合意による円高不況のあおりでコンビナートの一郭の工場が閉鎖されると、そこの家庭の子供がごっそりと消えた。麻雀や飲酒くらいしか愉しみのない高校生活を過ごしたのだが、あのままその地で暮らしていたならば、それにパチンコくらいしかくわわるものがなかったに違いない。そのような薄い絶望が約束さ

    映画「海炭市叙景」 - 北小路ゲバ子の恋
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    saz_go 2011/01/30
    映画「海炭市叙景」
  • 「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」なんかじゃなくって、いつまでも「ハイスクールはダンステリア」って言い続ければ、私たちは「昭和」を生き続けられるのです。 - 北小路ゲバ子の恋

    昭和六十三年、すなわち村西とおるがダイヤモンド映像を、前田日明がUWFを立ち上げ、エレカシがデビューをし、なにより阪急ブレーブスが消滅してしまう、そんな年の夏、ブルーザー・ブロディが死んでしまったり、大分県立津久見高校がベスト8で敗れたりもした、そんな特別な夏に聴きこんだパーソンズの「be happy」について書こうと想ったのであるが、頓挫する。かわりにヨソ様の書いた、音楽にまつわるエントリで、好きなものを以下に羅列する。 あの頃は確かに、どうしようもなさの中にいて、好きなバンドはと聞かれれば、迷うことなく「Radiohead」と答えていた。 Radiohead があった - イチニクス遊覧日記 8年前の今日、ハイロウズの「Relaxin'」が出たのであった。なかでも「青春」は、何度聴いたかわからない。当時はすごく好きなひとがいて、歌詞の通りに「時間が当にもう当に/止まればいいのにな」

    「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」なんかじゃなくって、いつまでも「ハイスクールはダンステリア」って言い続ければ、私たちは「昭和」を生き続けられるのです。 - 北小路ゲバ子の恋
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    saz_go 2011/01/18
  • 告白について - 北小路ゲバ子の恋

    風俗嬢の妊娠線、履歴書の空白期間、ケータイに出るなり ふいに名乗った日名 … 想いがけないところで言葉によらない告白が始まる。そう、告白は多くにおいて異性に愛を伝えることの謂いで用いられるが、それは用途のひとつにすぎず、元活動家であること、刺青を負っていること、母親が禁治産者であること、執行猶予中であること、おっさんなのにチャットモンチーのファンであること、符の計算が出来るのは嘘であること、あるいは出産、ニート、国籍など、告白のその題材は多彩であるし、冒頭に記すように形態とて多様である。 ブログの文章の一端が、掲載された写真に入り込んだ何かが、エントリ旨とは別のことを告白し始めることだってある。 そのうちIDごと消えてしまうのではないか、と不安を覚えさせるようなブログに惹かれる。言わなくていいこと、撮らなくていいこと、そのようなもろさのうえに立つそれに。そう気づいたのはこちら様のブログ

    告白について - 北小路ゲバ子の恋
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    saz_go 2010/10/17
    「そう気づいたのはこちら様のブログの消滅によってである。」
  • 三軒の鰻屋、その想い出 - 北小路ゲバ子の恋

    どうすればOKがもらえるか、途方に暮れる経験  … さる映画監督 / 竹乃家(調布) 商売でものをつくる、とりわけクライアントワークであれば、否応なしに理不尽な要望にうんざりすることになる。たとえば世間はCGは何でもできると想いがちであるが、そんなことはなく、3DCGIの場合、レンズの影響を受けるために表現に制約が生じる。そんなことお構いなしにあれこれ言ってくる。広告主に限らず、代理店だろうがディレクターだろうが言ってくるのである。これを理不尽として拒絶しては商売にならない。そうであるように見える、で対処していかなくてはならない。技術と見え方との折り合いをつける作業である。…これはいささかネガティブな要望であるが、中島哲也のように純粋にスタッフへの要望の水準が高ければ、当然にどうすればOKがもらえるか、途方に暮れることになる。そのようにして、映像はできていくのである。そんなビルがうまい具合

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    saz_go 2010/10/05
  • CMの実務的な「パクリ」について - 北小路ゲバ子の恋

    のCMはなぜ海外CMおよびPVを「パクる」のかについて、実務的見地からの私見を述べる。(とはいえ、私は久しくCM制作から離れている。また、それを生業にしていた当時は、inferno*1の登場により、かわった場面転換が流行っていた時期である。前世紀から今世紀にかけての、すなわちカイル・クーパーのモーションタイポとミシェル・ゴンドリーの魔術に魅せられていた時代である。それはそれで特殊な時期なのかもしれない。というエクスキューズをあらかじめしておく。) [追記] 一般に「アイデア」という言葉を使いがちであるが、これは「表現」と「技法」とに区別できる。モーフィングなどの技法は広まるものである。それはソフトウェアや特機によるものであるのだから。その際に、「表現」までをも取り込んでしまうと問題になる。実務的には、コンテを通す過程において、技法の説明が表現の領域にい込んでしまうと … ということで

    CMの実務的な「パクリ」について - 北小路ゲバ子の恋
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    saz_go 2010/10/05
  • 東京3Q - 北小路ゲバ子の恋

    ○2010.09 JR四ッ谷駅(東京都新宿区)) 泣こうとしたがうまく行かなかった。映画を見るとたやすく泣けるのに自分のこととなるとそうは行かない。育ちぞこなってしまった、と思う。 (松浦理英子「セバスチャン」) *1 当時はまだ少なかった海外オムツマニアのホームページを発見したら、トップページに「You are not alone」とあって、これには正直感動した。 (永山薫「エロの黄昏」WEB SNIPER) *2 「……ところで、成功の秘訣を知りたくないかね、モルテーニ君。(略)それはだね、駅の切符売り場の窓口の前で行列にしたがうように、人生でも順番にしたがうことだ。根気を持ち、列を変えない限り、われわれの順番は必ずやってくる。(略)あんたはうんと遠いところへいける切符をもらえるよう、わたしは祈るよ。アメリカまでもね」 (アルベルト・モラヴィア「軽蔑」 河出世界文学全集375頁) *3

    東京3Q - 北小路ゲバ子の恋
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    saz_go 2010/09/26
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