[Jリーグサッカーキング 2012.9月号掲載] 日本サッカーには「黄金世代」という言葉がある。1999年のワールドユース(現U-20W杯)で準優勝を果たした「79年組」を中心とした、あのメンバーだ。オリンピック、コンフェデレーションズカップ、そして2度のW杯出場。マルセイユ(フランス)、FCバーゼル(スイス)で得た経験。世界を知る男の言葉は、ひと味違う。鹿島で不動の背番号6を背負う中田浩二の矜持をどうか、噛み締めてほしい。 インタビュー・文=井上俊樹、写真=足立雅史 ワールドユースの時のナイジェリアは、快適だった 中田選手がワールドカップを実際に「自分が出る大会だ」と意識し始めたのは、いつ頃だったのでしょうか? 中田 1998年ですね。自分がプロになった年で、同年代の(小野)伸二(現清水エスパルス)が日本代表に入ったんです。そこまでは正直「夢」でしかなかったワールドカップで伸二が戦ってい
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