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2014年4月22日のブックマーク (6件)

  • 84年続く史上最も長く時間がかかる実験、久しぶりに動きあり

    年代を超え、世代を繋ぎ、うけつがれていく実験。 実験が始まったのは1930年。今でも続いているので、84年もかけて行なわれている実験ということです。そんな長期にわたる実験なんてどんだけ大層なものかと思いきや、実験内容はただ待つのみ。特に何かするわけでも、何が起きるわけでもなく、ひたすら待ち続ける。これが実験。忍耐力が何よりも鍵となります。 なんの研究かというと、水の2300億倍もの粘着性がある物質が垂れて落ちるのをただ見るというもの。なんせものすごい粘り気なので、1滴落ちるのも相当な時間がかかります。実験開始から84年間で今まで落ちたのはたったの8滴。今回落ちたのが13年ぶり9滴目となりました。 上の画像がその物質。あまりの粘着、という固さにハンマーで砕くこともできるほど。 これだけ長い研究ですから、時にその動きを見届けられないこともあるもので。オーストラリアのブリスベンにあるクイーンズラ

  • fladdict

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    sbtqe 2014/04/22
    実験場
  • JavaScriptでゴリゴリ実験サイトを作ったよ | fladdict

    fladdict.netのトップをリニューアル。JavaScriptの実験場にしてみた。久しぶりにゴリゴリJS書くと、かなり楽しい。 古き良きゼロ年代のFlash実験サイトはほぼ絶滅してしまったわけだけど、それを現代のJSとHTMLでやり直してみたらどうなるか?そんな感じのスタディ。使用ライブラリはpaper.jsとprocessing.js。時間があるときにcreate.jsも導入してみたいけど、ざっと見た感じcreate.jsは冗長すぎてスケッチには向かないと思う。スマホだと重すぎてだと動かないので、時間あるときに分岐するようにしたい。 最近はインターネットも成熟化したのか、グラフィック、インタラクション、プログラミングを三位一体でする人が減ってる気がする。分業化が進んでいるのだろう。インタラクション系がわかるエンジニアは需要があるわりに、新しい人が学ぶ機会が昔にくらべれば激減している

    JavaScriptでゴリゴリ実験サイトを作ったよ | fladdict
  • 新人WEBディレクターに教えたい。オリエンテーションとヒアリング

    以前WEBディレクターの仕事について簡単に記事にしましたが、今回からもう少し詳しく、1つ1つの仕事について紹介させていただこうと思います。 WEBディレクターの仕事というのは非常に多岐にわたっていて、一言でこんな仕事をしているよ!とは言えません。Webディレクターはプロジェクトの受注からサイト企画・進行管理・運用などさまざまな業務に関わり、案件を滞りなく進めていくことが主な役割です。そのため基的にサイト制作のすべてにWEBディレクターは顔を出します。だからこそ一言でWEBディレクターの仕事を表すのは難しいんですね。 オリエンテーション・ヒアリング クライアントからお問い合わせを受け、受注に至るまでには大きく分けて5つのフローが存在します。その中から今回はWEBディレクターの最初の仕事であるオリエンテーションとヒアリングのポイントを紹介させていただきます。オリエンテーションやヒアリングはW

    新人WEBディレクターに教えたい。オリエンテーションとヒアリング
  • GitHub - kawasima/jagrid: Japanese-styled grid framework.

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    sbtqe 2014/04/22
    Excel方眼紙をCSSで再現w
  • 中田浩二、日本が誇るマルチロールが世界で見てきたもの「僕はトルシエに”作られた”と思っている」 | サッカーキング

    [Jリーグサッカーキング 2012.9月号掲載] 日サッカーには「黄金世代」という言葉がある。1999年のワールドユース(現U-20W杯)で準優勝を果たした「79年組」を中心とした、あのメンバーだ。オリンピック、コンフェデレーションズカップ、そして2度のW杯出場。マルセイユ(フランス)、FCバーゼル(スイス)で得た経験。世界を知る男の言葉は、ひと味違う。鹿島で不動の背番号6を背負う中田浩二の矜持をどうか、噛み締めてほしい。 インタビュー・文=井上俊樹、写真=足立雅史 ワールドユースの時のナイジェリアは、快適だった 中田選手がワールドカップを実際に「自分が出る大会だ」と意識し始めたのは、いつ頃だったのでしょうか? 中田 1998年ですね。自分がプロになった年で、同年代の(小野)伸二(現清水エスパルス)が日本代表に入ったんです。そこまでは正直「夢」でしかなかったワールドカップで伸二が戦ってい

    中田浩二、日本が誇るマルチロールが世界で見てきたもの「僕はトルシエに”作られた”と思っている」 | サッカーキング
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    sbtqe 2014/04/22