□ 原子爆弾(げんしばくだん)が投下(とうか)される前(まえ)の広島(ひろしま)には、美(うつく)しい自然(しぜん)がありました。 大好(だいす)きな人(ひと)の優(やさ)しい笑顔(えがお)、温(ぬく)もりがありました。 一緒(いっしょ)に創(つく)るはずだった未来(みらい)がありました。 広島(ひろしま)には、当(あ)たり前(まえ)の日常(にちじょう)があったのです。 昭和(しょうわ)20年(ねん)(1945年(ねん))8月(がつ)6日午前(むいかごぜん)8時(じ)15分(ふん)、広島(ひろしま)の街(まち)は、焼(や)け野原(のはら)となりました。 広島(ひろしま)の街(まち)を失(うしな)ったのです。 多(おお)くの命(いのち)、多(おお)くの夢(ゆめ)を失(うしな)ったのです。 当時小学生(とうじしょうがくせい)だった語(かた)り部(べ)の方(かた)は、「亡(な)くなった母(はは)
被爆2世、消えぬ不安=遺伝恐れ、差別も体験-原爆忌 放射能の影響の遺伝による健康不安を訴える被爆2世の占部正弘さん=6月30日、広島県福山市 広島の被爆者を父母に持つ「被爆2世」の不安は、原爆投下から72年がたつ今も消えない。今年になって26人の2世が、国に慰謝料を求める訴訟を広島地裁に起こした。原告の1人、広島県福山市の中学校教員占部正弘さん(59)は、10年前から喉の痛みを感じている。被爆し、肝臓がんで亡くなった父を思い、放射能の影響に恐れを抱き続ける。 全国被爆2世団体連絡協議会によると、被爆2世は全国に少なくとも30万~50万人いるとされる。訴訟で被爆2世らは、放射線の影響は遺伝している可能性があり、健康不安を抱えているのに十分な支援を受けていないと主張。国側は「遺伝は科学的に立証されていない」と反論している。 占部さんの両腕には子どもの頃に突然、白斑ができた。被爆直後、父親の
「突然ふっと、ね」。知的障害がある小西勉さんは自宅に近い横浜市内の駅のホームで、向かってくる電車の方に吸い込まれるように進むときがある。「ここ2、3年、何回も。今だってあります」。途中で「ああ」と思い、足が止まる。相模原殺傷事件の植松聖(さとし)被告(27)は「障害者は不幸しかつくらない」と主張。ネット上には賛同する書き込みもあった。小西さんは「悲しいけど、周りにもそういう人はいるし」とポツリ。“自殺”しそうになる理由を一つには絞れないが、社会の空気は大きな要因だという。 発生から1年がたった相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」殺傷事件で、警察は殺害された19~70歳の入所者19人の氏名を公表していない。「遺族の希望」が理由だ。 ■無事かが不明 小西さんは、事件現場となった施設に何度も足を運び、献花した。友人が入所していたという仲間は「名前が出ないから、無事かどうか分からない」と嘆いた
麻酔や酸素など医療機関で使用されるガスの配管工だった山際光博さん=当時(60)=が肺がんで死亡したのは、会社がアスベスト(石綿)対策を怠ったのが原因だとして、山際さんの家族が、勤務先だった大阪府吹田市の設備工事会社「近畿医療設備」に計約5千万円の損害賠償を求めた訴訟が、大阪地裁で和解したことが1日分かった。同社が解決金3千万円を支払うなどの内容で、7月27日付。 和解条項では、同社が今後、従業員や退職者に石綿の粉塵(ふんじん)の危険性を周知するほか、労災申請などの希望があった場合に速やかに必要な協力を行うことも盛り込まれた。 訴状によると、山際さんは昭和50年〜平成8年に同社に勤務し、医療用ガスの配管設置作業に従事。天井裏で鉄骨に吹き付けられた石綿の粉塵を吸い込むなどした。23年9月に肺がんと診断され、同10月に死亡。24年に労災認定された。
貧困や虐待、性被害などに直面した十~二十代の女性を中長期的に受け入れ、自立できるまで後押しする全国でも珍しい民間のシェルターが東京都練馬区に開設された。困難を抱えた少女らを支援してきたNPO法人「BOND(ボンド)プロジェクト」(東京)が運営。空き家を活用してスタッフが共に暮らし、一時的な保護にとどまらず、少女らを支える。 (神田要一) シェルターは二階建ての住宅で「ボンドのイエ」と名付けられ二十七日にオープン。二階には個室が二つ。常に二人が最長一年程度、生活できる。一階の部屋は短期間の入所者向けだ。 面談で保護が必要と判断されれば全国から少女らを受け入れ、スタッフが泊まり込みで食事を作る。入居時に「三カ月間」「二十歳になるまで」などと期間を相談し、少女らは月三万円の生活費を負担する。臨床心理士のカウンセリングも予定している。
平成27年11月に茨城県取手市立中3年の中島菜保子さん=当時(15)=が「いじめられたくない」と日記に書き残して自殺した問題で、同市教育委員会が自殺の直後、生徒や保護者らに自殺の事実を明かさない方針を決めていたことが30日、分かった。同市教委幹部が明らかにした。遺族の意向や受験を控えた生徒への配慮を理由として、生徒に対する調査などでも自殺には触れていなかった。 市教委によると、中島さんが死亡した27年11月11日、学校側が「自殺を図り救急車で運ばれた」との緊急報告書を市教委に提出。その後の学校側と市教委の協議で自殺の事実を公表しないことを決めた。 中島さんが自殺した事実は28年3月中旬まで明かされることはなく、その間に実施された全校生徒へのアンケートでは中島さんについても触れなかった。市教委は同月、調査結果を基に「いじめは認められない」と結論付け、いじめ防止対策推進法が規定する「重大事態」
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