リゾートホテルはたまに行くから快適なのだ。どんなに素晴らしいホテルでも、この先ずっとホテル内だけで生きることを強いられたら、監獄のように感じ始めるのではないか。 19人の障害者が殺害された「津久井やまゆり園」(相模原市)の建て替え問題で、町中に小規模施設を分散して建設する神奈川県の方針に家族会や職員らは反対している。「施設規模を小さくしないでほしい」「自分の仕事が否定されたと思う」「やまゆり園は私たちがやっとたどりついたかけがえのない家だ」 離れたところにいる親には素晴らしい施設に思えても、そこでずっと暮らしている障害者はどうなのだろう。嫌ならいつでも辞められる職員と違い、障害者は嫌になっても言えず、ストレスで行動障害を起こすようになれば、ますます施設内に閉じ込められる。ただ現状に慣れるか、あきらめることしか許されないのである。
定員100人以上の知的障害者入所施設は全国に約120カ所ある。多くは1960年代から70年代にかけてできた。60年に精神薄弱者福祉法(99年から「知的障害者福祉法」)が制定され、入所施設建設の動きが広まった。知的障害のある子を育てる親たちが、自分がいなくなった後に子供が安心して暮らせる場として施設を望んだ。70年に大阪府富田林市に国内最大規模(定員850人)の「府立金剛コロニー」、71年には群馬県高崎市に「国立コロニーのぞみの園」が開設された。 「地域社会から隔離されている」との批判が強まり、80年代に入ると障害者を施設から地域へ移す流れが起きた。89年には地域で数人ずつ暮らすグループホームが制度化された。
大規模施設に入所する知的障害者をめぐって、国は「地域移行」の推進を掲げるが、施設解体構想が頓挫するケースが各地で相次いでいる。重度・高齢の障害者がとり残されているのが大きな理由だ。障害者全体の数が増える半面、重度者を受け入れられるグループホームは少なく、障害者への理解が広まらないことも背景にある。 宮城は「解体宣言」断念 JR仙台駅から車で1時間、山々と水田に囲まれた宮城県大和町にある障害者入所施設「県船形コロニー」。東京ドーム10個分に相当する約47ヘクタールの山を切り開いて1973年に開設された。2002年、浅野史郎知事(当時)の下で「解体」を宣言し、全国的に注目された当時の定員は500人。その後、家族の反対や知事交代で解体は断念され、現在地で新施設に建て替えることが決まっている。現在も19~94歳の209人…
先日、自動車王手メーカーのトヨタがリハビリロボットのレンタルサービスを開始したことを取り上げた。 トヨタでは、1970年から産業用ロボットの開発に着手した後、家庭用向けのロボット開発を進めてきた。 これまでにも、バイオリンを演奏するヒューマノイドロボットや、トヨタの施設を案内するツアーガイドロボットなどを開発。 ・北米で身体障害者をサポートするテストプログラム さらに一歩進め、高齢者や身体障害者をサポートする“Human Support Robot(HSR)”のホームトライアルプログラムを、初めて北米で実施することとなった。 プログラムに協力してくれたのは、アメリカの退役軍人Romulo (Romy)Camargo氏。 Camargo氏はアフガニスタンで負傷し、首から下が麻痺状態になり、日常生活を送るのに周囲のサポートを必要としている。 ・スナックを運んだり、ボトルを手渡したり そこで登場
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